第三話:良いと思うよ

 集団間の強さの違い。

 学校で一番学ぶのは国語でも数学でもなく、それかもしれない。

 成績の良し悪し、恋人の有無、容姿の美醜、人気の部活と不人気の部活、エトセトラ、エトセトラ。

 今挙げたそれらでより良い側、つまり成績が良く、恋人がいて、容姿に優れ、運動部の中でも人気の部活に所属する者。そういった者はクラスカーストが必然的に上になっていく。

 逆に言えば、そうでない者は必然的に下位の人間になっていく。何かアクションをしたところでカースト上位勢とその取り巻きに抑え込まれるのが常だ。それを自覚していると「どうせ何を言っても聞き入れてくれないだろう」と、クラスでの決め事にも消極的になる。

 特に、文化祭の決め事なんてその最たるものだ。

「お化け屋敷がいいんじゃね!」

 入学当初の体育館でのオリエンテーションでおれに絡んできた体育会系の男子。確か名前は鍵中で、野球部だったか。一年生ながら、ピッチャーとして試合に頻繁に出ていると聞く。背は高く、坊主頭ながら顔も整っている。おまけに性格は快活。そんなカーストが高い彼の一声は、ざわざわとした教室内にぽんと一石を投じた。

「はい、お化け屋敷ですね」

 黒板の前に立っていた女子がチョークで“射的”の隣に“お化け屋敷”と書いた。

 金曜日の七時間目、LHR(ロングホームルーム)の時間。一年一組では二学期の文化祭に向けた出し物を何にするか決めているところだった。

 黒板に書かれている案は“ストラックアウト”、“面白ビデオ作り”、“射的”、そして今出た“お化け屋敷”の四つだ。

 正直、どれも幼稚だなと思う。しかし、実際の高校の文化祭に漫画のような華やかさは無い。学校のルール上、何か料理のような食品を出せるのは三年生だけ。一年生にできるのは教室を使った出し物だけだ。何か突飛なものをやろうとしても、制限は強い。

「あ、いいかも!賛成!」

 おれの前の席に座る、カーストがそれなりに高い女子が今度はお化け屋敷に反応する。彼女、田波はつい先ほどまで「射的がしたい!」と息巻いていたはずだが、その勢いはどこへやら。おそらく、このクラスで最も上と言える鍵中の意見に同調するほうが自分にとって有利になると直感して意見を変えたのだろう。

 クラス内での話し合いと言うのは、大抵こういうものだ。上位陣で出た意見を、更に上位の者が上書きしていくような展開で、そこに下位の者が入る余地はない。

 ただ、こうして見ていると、上位勢の中にもカーストがあることがわかる。“上の下”くらいの者は自分の立場に食らいつくのに必死だ。言い換えれば、その辺りの者たちは低地位の者に自分の座を奪われないように、常に行動しなければならない。実際に、既に田波は自分の席の周りの女子にお化け屋敷にすべきだと布教し始め、同意を得ている。彼女なりのカースト死守活動なのだろう。そんな面倒なことよくできるな、と少し感心してしまう。

「木瀬君はどう思う?やっぱりお化け屋敷だよね!」

 隣の席の女子と話していた田波がいきなり後ろを向き、おれに意見を求めてくる。とは言っても、最初からおれの意見など聞いていない。単なる同意か、“お化け屋敷”というコンテンツを補強する意見が欲しいだけだろう。

「ああ、うん、良いと思うよ。楽しそうだ」

 嘘ではない。おれにもその気持ちはある。塵か埃くらい。

「やっぱりそうだよね!」

 田波は満足そうにうんうんと頷いた。

 おれは自分がカーストの下位にいるのは理解している。そして、そう言った人間は上位陣の意見のコマとして使われるのも重々承知だ。けど毎日落とすか落とされるかの争いをするくらいなら、“いるかいないかわからない奴”くらいでいい。そうしておけば気楽でいられるし、色々と責任を負わずに済む。例えば“お化け屋敷”が盛大にこけたとしても、ただの一票でしかないおれにその責任が向けられることはないだろう。こんなところでクラス全員を敵に回すわけにはいかない。下手すれば学級会議並みの大騒動になってしまうことだってある。

入学してからかれこれ一か月経った。おれはこの一か月、“いるかいないかわからない奴”という立場を貫いてきた。良い意味でも悪い意味でも目立つことはなく、学校生活をそれなりにこなしている。クラスメイトと世間話くらいもする。ただ、楽しいかと言われれば全くだ。正直学校には部活をしに、もっと言えば小春に会いに来ているような状態だ。

「……」

 ちらりと教室の右後ろに目を向ける。後ろのドアのすぐ隣に小春の席があった。彼女はLHRが始まってから一ミリも話し合いに参加していない。じっと目を伏せて押し黙っている。机に遮られてはっきりとはわからないが、おそらくスマホをいじっているのだろう。都市伝説の情報集めでもしているのかもしれない。最も窓に近く、前から二列目に座るおれからしてみれば、うらやましいことこの上ない。

ずっと下を見ていた小春が顔を上げ、おれに視線を投げる。彼女はじっとおれを見た後、自分の手元のスマホを顎で指した。ココアでメッセージを送ったから見ろ、ということなのだろうか。

 伊谷高校は休み時間はスマホを触ってもOKだが、授業中は当然ながら禁止されている。小春のように先生から見えにくい場所ならバレないだろう。だが、教卓から手元が見えるおれがいじれるわけがない。せっかく深夜に二人で徘徊していた件は警察から報告されずに済んだのだ。ここで余計なことをするわけにはいかない。“できるか”という思いを込め、小さく首を横に振って返した。

「……」

 すると小春は唇を尖らせ、明らかに不機嫌そうな表情をした。

 一緒に行動するようになって知ったのだが、小春はココアの返信が遅いのが好きではない。たまに朝起きて彼女からのメッセージが二桁溜まっていることがある。最初は都市伝説に関する内容だったのが、最後の方になると“寝たのかい?”、“起きたまえ”、“カイトー”、“起きてよー”みたいなものばかりになっている。そして翌日会うと返信がなかったことに対して子供のように拗ねる。寝る時は通知音が鳴らないようにスマホを設定しているから致し方ないのだが、毎朝不機嫌なのも困る。設定を変えるべきだろうか。

 それにしても授業中はやめてほしい。日和見主義のおれにとって、スマホを没収されて先生の標的になるのは許されない。かといって返さなかったら小春は拗ねる。面倒な話だ。

 ただ、小春と知り合ってから授業中にココアを送ってきたのは今日が初めてだ。一体どういう風の吹き回しだろうか。

「そういえばさ、木瀬君って芦引さんと仲いいよね」

 と、少し考えているところに田波がそんなことを言ってきた。今のおれの小春とのアイコンタクトを見ていたのだろう。

「あーうん、まあ一応。同じ部だし」

「ああ、あの変な部活だよね!確かオカルト研究部とか言う」

 田波はそう言ってけらけらと笑う。耳につく声だ。寝ている時にまとわりつく蚊を思い出させる。

 確かこいつはサッカー部のマネージャーだかをしていたはずだ。面と向かって「雑用なんかしてるよりはよっぽど楽しい」と言ってやってもいいかもしれないが、それは今後の学校生活をめんどくさくしてしまう。そんなひびは入れてはならない。求めるものは安寧だ。

 それに、マネージャーが楽しくないとは思っちゃいない。普段、裏から支え続けたプレイヤーが試合で結果を出せば、喜びもひとしおだろう。

 要するに、おれはこの女が嫌いなだけだ。いや、正確にはこういうタイプとするべきか。こいつからは、「自分が上にいるためならその他の有象無象は蹴落とす」という傲慢さを感じる。その傲慢さが揺らぐとき、つまり下に見ている者の地位が高くなり始めた時、彼らはその醜悪な本性を持って、出てきた杭が砕けるまで叩き潰すのだ。単なる個人的な意見だが、こういう奴が将来“老害”と呼ばれる存在になるのではないかと思う。

「ねえ、あの部ってちゃんと活動してるの?部員もあんたとあの子だけでしょ?」

「……まあ、色々だよ」

「色々って何!もしかしてそういうこと!?」

 教室に響きそうなデカい声で田波が言う。

「違う。ただ一緒に活動してるだけだ」

 いい加減いらいらしながら答える。口調も少し棘のあるものになってしまう。

「えーホントにー?じゃあ今どういう感じなの?ちょっとだけ、ちょっとだけでいいからさ!」

 「くそったれ」と心の中で毒づく。男女ペアの部活にいる以上こういう質問もいつか来るとは思っていたが、いざ来られるとうざったい。特に田波のような人間からだと。

おれが小春とどういう関係かを過不足なく説明したところで、適当なところで難癖付け、嘲笑してくるに決まってる。“あんな子といて何が楽しいの?あの子全然面白くないじゃん”みたいな感じだろう。

「あんな子といて何が楽しいの?あの子全然面白くないじゃん。暗いし、何考えてるかわからないし」

「……」

 あまりに想像通りの言葉が来て、失笑しそうになる。自分が上にいる、と思っている人間の思考ほどわかりやすいものはない。

 さて、どう返すべきだろうか。今の彼女の発言に対して、「それは違う、彼女にはこんな魅力があって……」とするのは一つの手としてある。しかしそうすると、おれと小春の仲について更に突っ込んだ質問が来るだろう。うっとうしいことこの上ない。かといって「お前といるよりも数百倍は楽しい」と言うわけにもいかない。放置しておくのも厄介だが、この手の連中は敵に回したときに危険となる。徒党を組んで襲い掛かってくるのだ。では、一番の安全策として苦笑いで流すか。それはおれの気が済まない。相棒を侮辱されて無感情でいられるほど、おれはタフな人間ではない。

「田波。今は話し合い中だぞ。関係ない話は放課後にしろ」

 感情の鍔迫り合いを必死に抑えていると、思わぬところから助け船がやってきた。教卓の横の椅子に座り、ホームルームの進行を見守っていた中屋だ。「はーい」とうざったらしそうな顔をして、田波は前を向いた。

 彼女の耳に入らない程度でため息をついた。あれ以上突っ込まれていたら、感情に任せて暴言の一つか二つでも吐いていたかもしれない。おれの今後が守られたことに安堵した。あの担任、普段はやる気の欠片もなさそうな雰囲気だが、いざという時には頼りになることもあるみたいだ。

 ……まあ彼の顔を見ると、与太話をするくらいならこの時間中にさっさと文化祭の出し物を決めてくれないか、という気怠さで溢れているが。

 ちなみに、中屋は一応オカルト研究部の顧問だが、今日まで部室に顔を出したことはない。一応、放任主義ということだろう。おそらく単に見守り役がだるいだけだろうが、旧校舎の敷地に不法侵入したり夜の学校に忍び込んだりしているおれたちにとっては好都合だ。

 で、肝心の出し物は”コスプレ撮影会”になった。鍵中含めた野球部が妙にやる気になり、オセロの駒が端から端に向かって裏返るように決まっていったのだった。

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