第二話:パトカー

「……」

 ずーん、という音が聞こえてきそうなほど、隣を歩く小春は落ち込んでいた。

「まあその……なんだ。こういう日だってあるだろ」

 さすがに放置するわけにもいかず、慰める。

「ははっ、そうだね……けど、こうじゃない日って、いつ来るんだろうね……」

 しかし小春は空笑いするだけ。比喩じゃなく、口から白い魂が尾を引いて飛んでいきそうだ。

 ……二時間前、意気揚々と校舎内の調査を開始したオカルト研究部。

 各教室からトイレまで、隅々まで何か怪しいものがないかと探した。

 しかし発見されたのはお菓子の空き箱とかペットボトルとか、そんなものばかりだった。

 そう、調査の結果、『夜に学校に忍び込んで行方不明になった生徒がいる』について得られたものは何もなかった。

 また今回も空振りだったというわけだ。

 小春には悪いが、生徒がいきなり消えるなんて、本当にあったら大変だ。学校では大騒ぎになるだろうし、ニュースとして全国に報道されるだろう。

 しかしそんなことは一切起こっていない。今年だけでなく、去年も一昨年も。行方不明ではなく不登校くらいならあるかもしれないが、ニュースになるようなことじゃない。

「ほら、詐欺師は打率一割でも金が手に入りゃOKって言うじゃないか。気楽にいこうぜ、気楽に」

「一割、一割……うぅ……」

 小春は項垂れ、小さく唸る。嬉々として謎に挑み、それが実らない彼女を見ていると、とてもいたたまれない気持ちになる。同時に、何故そこまで謎を求めるのか、という疑念が沸き上がる。「好きだから」と言ってしまえばその通りなのだろう。しかし、本当にそれだけなのだろうか。それだけで、旧校舎の玄関を破ろうとしたり、夜の学校に忍び込んだりするだろうか。

 ただ、今のところをそれを聞くつもりはない。おそらく、都市伝説の魅力だけでなく、彼女の根幹に関わる話だからだ。おいそれと、他人が踏み込んでいい領域ではないだろう。勇気は最良の結果を保証するものではない。むしろ蛮勇となり、導火線に火をつけてしまう可能性もあるのだ。それは、おれが最も避けたい面倒ごとだ。

「にしても、明日……というか今日は金曜日か」

 今は午前2時。ロッカーに木曜日の八時から隠れていたため、もう完全に日を跨いでしまった。

 今日も授業があることを考えると、憂鬱な気分になる。小春を送って帰宅したらもう3時だろう。どれだけ粘っても8時には起きねばならないことを考えると、普段7時間半設けている睡眠時間が著しく削られてしまう。教師からの評価を悪くしないように授業は良い態度で受けたいが、明日ばかりは居眠りしてしまうかもしれない。小テスト等で挽回する必要がありそうだ。

「そういえば、こんな夜まで出歩いてていいのか?親御さんとか心配するだろ」

 男のおれならともかく、女子の小春が深夜に外を出歩くのは危険だ。あの娘思いな夏花さんがそう簡単に許すとは思えない。

「……ああ、キミの家に泊まるって言ってるから。というわけだから、今日はお邪魔するよ」

「えっ!?」

 思わず出た大きな声が響いた。

 ちなみにだが、小春が今日泊まりに来るなんて話は少しも聞いていない。

「まさか、女の子をつまみ出してこの暗い中一人で帰れと言うんじゃないだろうね?」

 目を細めて、ずいっと顔を寄せてくる小春。

「いくら何でもそんなことしないけどさ」

「じゃ、よろしく」

 頬が触れそうなほど顔を近づけ、にっこりと笑った。

 つい数時間前にむせ返りそうになるほど嗅いだ、あの独特な果実の匂いを感じる。

 いきなりの決定に胸がソワソワし始める。引っ越してから一か月、あの部屋には業者以外誰も入れていない。聖域化しかけていたあの空間に初めて人が来る。しかも女子。そのシチュエーションそのものに緊張する。風呂とかどうしよう。やばい、そういえば綺麗なバスタオル一枚しかなかった気がする。

「っていうか、おれんとこに泊まるのよく許可出たな」

「うん、カイトは信頼できるって母さんが」

 なるほど、それはありがたい話だ。

「けど、そうは言っても男子だろ?」

「そのときは催涙スプレー使う」

「ああ、なるほど催涙スプレー……えっ?」

 遅れて、その単語の物騒さを理解する。

「ちょっと待て、催涙スプレー持ってるのか?今?」

「おっ、気になるかい?いいだろう見せてあげる」

 そう言うと小春はスカートをまくり上げる。一体何をしているのかと不安になったが、右太ももにベルト式のホルダーがあり、そこに長さ十センチくらいの黒いスプレー缶が装備されていた。

「これが催涙スプレーだよ。まともにくらうと痛みで一時間近く動けなくなる」

「うわあ……」

 見た目はただのスプレー缶だが、説明を聞くと途端に恐ろしいものに見えてくる。

「もしカイトが何の脈絡もなくボクを襲うようなことがあったら、そのときはこいつをぶっぱなす」

「何もしないことを誓います」

 たかが性欲のために自分の目を潰されるわけにはいかない。今日ばかりは自分を修行僧だと認識する必要がありそうだ。四時間ロッカーでのすし詰めを耐えたのだ。今回もきっとできるはずだ。

 ……いや、むしろ逆か?

 四時間ロッカーとその後二時間の調査、更に深夜ということも相まって、普段の自制心が機能しない可能性がある。とすると、例えば風呂上がりのHカップに自分のタガが外れてしまうかもしれない。そうなったら目だけではなく信頼まで失ってしまう。

 恐ろしすぎる。据え膳食わぬは何とやらと言うが、対価である絶交とはどう考えたって釣り合わない。小春の持つ上の山と下の山をただのボールだと認識する必要がありそうだ。

 と、すぐそこの困難に憂鬱な気分を感じていた時だった。

「ちょっとキミたち」

 後方から来た車がおれたちのすぐ隣で停車した。開いた助手席の窓から、一人の女性が少し身を乗り出す。

 こんな夜中に声をかけてくる人は決まっている。不審者か、警察だ。

 どちらかと言えば、不審者の方がマシだと思った。そういう奴なら逃げればいいだけだ。車は狭い道には入れないし、そもそも「逃げる」という戦略が使える。

 しかし警察はダメだ。こんな時間に出歩いていたら間違いなく補導される。逃げたら怪しいと判断されるし、その道のプロをただの高校生が振り切れるわけがない。

 恐る恐る車に目を向ける。

 ボディの下半分は黒で、上半分は白。ルーフには灯っていない赤色灯。

 助手席の窓が開き、グレーのスーツの女性が顔を出す。運転席の男性は、暗くてよく見えないが黒か紺の色のスーツを着ていた。

 そう、声をかけてきたのは警察の方だった。

「ちょっと話聞かせてくれない?」

 凛とした、有無を言わさぬ声音が深夜の道に響く。

 最悪だ。

 背中に嫌な汗が噴き出す。

 おれは警察が嫌いだ。これは別に権力を盾にした横柄な態度だとか、身内に対する甘い処分だとか、そういうものに対してではない。単に、自分が行ってしまった悪いことが、大小問わず裁かれてしまうような感覚が苦手なのだ。ただ相対しているだけで、自然と不安が大きくなる。

「ねえ小春ちゃん。こんな時間に男連れて何してるの?」

「えっ?」

 助手席の女性はなじみある名前を口にする。

 驚いて小春を見ると、彼女は肩を震わせていた。

「さ……し、信濃さん」

 信濃、と呼ばれた女性は運転席の男性と少し話した後、パトカーから出てきた。身軽にガードレールを跨ぎ、おれと小春に近づく。

 先ほどは車の中にいたためわからなかったが、立つと信濃は背の高い凛々しい女性だった。おれの身長は百七十そこそこだが、ヒール込みで頭一つ分大きい。夜の闇にもくっきりと浮かび上がる黒髪は首の後ろで束ねられ、風になびく。力の強い瞳を見ていると、自然と後ずさりそうになる。黒い狼という印象を受けた。

「……知り合いか?」

 小春の顔を覗き込む。彼女は目を剥き、こわばった表情をしていた。

 それには違和感があった。確かに小春は先月は不法侵入と器物損壊(未遂)をしている。しょっぴかれる心当たりはあるのだろう。

 しかしそれにしても怯え過ぎている。

 とすると、この表情の理由は警察官ではなく信濃という人物にあるのかもしれない。

「小春ちゃん。この男は?ことと次第によっては捕まえなきゃいけないんだけど」

「あ、相棒だよ。ボクの新しい」

「……」

 信濃の目がおれを捉える。首筋に鳥肌が立つ。彼女の周りだけ、闇が一層濃くなったように感じる。比喩レベルとは言えない殺気が向けられている。

「おいお前。小春ちゃんに手を出したのか?」

「い、いえまさか!」

「本当に?」

 一歩、近づいてくる信濃。そのたった一歩の差で、おれが感じるプレッシャーのようなものが倍増する。

「ほ、本当です!」

 痙攣するように首を振る。少なくともおれの認識では、まだ彼女に手は出していない。ただ相棒として、一緒に活動している仲でしかない。

「……そう」

 しばらくの間じっと睨んだ後、信濃はすっと後ろに下がった。

 意図せずして、深いため息が出た。四時間ロッカーに入っていた事がぬるま湯に思えるくらい、尋常じゃないプレッシャーだった。一つでも間違えれば、本当にそのまま殺されていたのではないかとすら思う。

 警察が多少高圧的なのは知っている。しかし、その比ではなかった。おれの知っている警察は、事情聴取のときに笑顔と圧を浮かべて迫ってくる程度だ。それと信濃は明らかに違った。本当に人を殺すのではないか、という可能性をはらんでいた。警察が壮絶な現場を経験することは間違いないだろうが、それにしてもあの殺気は一般人に向けていいものではないだろう。その黒い残像と、恐怖が視界に残っている。外気は適温のはずなのに、体の芯が冷たく、震えが止まらない。

「……で?こんな時間に何してるの?」

 信濃は小春のほうを向く。肩に変な力が入った小春は、おどおどした様子で信濃に返事する。

「な、何って、調査だよ。キミなら大体わかるでしょ」

「わかってる。だからこそ聞いてるの。こんな時間に何してるの?」

「……ごめんなさい」

「よろしい」

 信濃は頷く。何となくだが、おれと相対したときよりも態度が丸い気がする。うっすらと口元に笑みをたたえているようにすら見える。やはり、信濃と小春は知り合いなのだろう。

 ただ、それにしては小春の表情が浮かない。ずっと目を伏せ、右手で左の二の腕を強く掴んでいる。知り合いと話す態度にはとても見えない。人づきあいが苦手なのは知っているが、それとはどうも様子が違う。拒絶ではなく、遠ざかろうとする意図と申し訳なさそうな気持ちが混在している。

 信濃の表情と小春の表情。見れば見るほど、それらの差異を感じる。

「おい」

 と、二人を観察していると、信濃が睨んでくる。やはり、それだけで人を殺せそうなほど、視線は強い。

「お前、名前は?」

「あ、き、木瀬開人です」

「その名前覚えたから。今後、小春ちゃんに手を出したら一生ブタ箱の中に入れる。忘れないように」

「あ、は、はい、す、すいません」

 緊張でどもりが止まらない。かっこ悪いと思うが、命の危険を感じるこの状況下では余裕など皆無だった。

「さあ小春ちゃん、パトカーに乗って。家まで送っていくから」

「えっ……」

 信濃さんは手を差し出すが、小春は逆に身を引く。

「どうしたの。何か不満が?」

「……ボク、今日はカイトの家に泊まるつもりなんだけど」

「っ!!」

 小春の言葉を聞いたコンマ何秒後、気づくとおれは信濃に胸倉を掴まれていた。

「し、信濃さん!?急に何を!?」

「一つだけ聞く。イエスかノーで答えろ」

 ぎりぎりと、拳を握りしめる音が聞こえてくる。骨くらい砕こうと思えば簡単に砕けてしまうんじゃないか、という感覚を抱かせるほどの威圧感だ。

「お前が小春ちゃんを誘ったのか?」

「……っ」

「答えろ!」

 答えられるもんならやっている。答えは当然ノーだ。しかし恐怖で頭からつま先まで完全に体が固まってしまっている。

「いいか、三秒以内に答えろ。答えなかったら殺す。三、二……」

「咲ねえ!」

 小春の声がカウントダウンを遮った。

「やめてよ咲ねえ。ボクの大切の相棒なんだ」

 信濃が小春を見る。

「小春ちゃん、でも」

「やめて。そもそも、カイトの家に泊まるって言いだしたのはボクだ。決してカイトからじゃない」

「……そ、そうです。おれは決して自分からは誘ってない……!」

「……」

 ぎろり、と再び信濃の目がこちらを向く。夜の闇より黒いんじゃないかと思うほど、怨念のような何かが込められている。

「……っ」

 舌打ちをして、信濃は投げ捨てるようにおれの胸倉から手を離した。

その勢いで後ろに倒れそうになるのをこらえる。

「……事情はわかった。でも警察官として、未成年の乱れた関係は許容できない」

 信濃は小春の肩に触れ、パトカーへ押していく。

「家まで送る」

「……嫌なんだけど」

 小春は眉を寄せ、不快な感情を露わにする。

 仮に二人が知り合いだとしても、警察に対して反抗的な態度を取る小春にひやりとする。機嫌を損ねて余計なことにならないか不安になる。

「……」

 しかし信濃は怒るようなことはなかった。逆に小春を見て、とても悲しげな表情をした。一瞬、頑固で融通の利かない小春を憐れんでいるのかと思ったが、全く違う。あれはそう、失恋したときの表情に近い。

「……どうしてなの?」

「何が」

「どうして私じゃなくてそいつなの?」

「……ごめん」

 小春は謝った。不機嫌な表情から、本当に申し訳なさそうな表情へと変わる。

 それを見て、信濃は更に悲哀の色を濃くする。さっきまでの威圧的な空気が消え、弱弱しく、今にも泣きだしそうになっている。

「……信濃さん、そろそろ行けます?」

 助手席の窓から、運転席に座ったまま男性警察官が顔を出す。

「……小原。口を出すなっていつも言ってる」

「すいません。でもそろそろ出ないと、時間が……」

 小原が左手首の腕時計を見る。

 おれもスマホを確認すると、既に二時半を示していた。

「わかった。じゃあほら小春ちゃん、早く乗って。さもないと、学校に部活停止にするよう連絡する」

「……くそっ」

 小春は悪態をつきつつ、自分でパトカーの後部座席のドアを開ける。

「カイトも乗りなよ。送ってくれるみたいだしさ」

「こんな奴を乗せる席はない」

 そう吐き捨てると、信濃は小春をパトカーに押し込みドアを強く閉めた。

「お前の家はここから近いんでしょ?だから一人で行け」

「え、ちょっと信濃さん、さすがにそれは……」

 と、小原が言うが、信濃に睨まれて首をすくめる。

 まあ、ここからなら五分くらいで帰れる。わざわざパトカーをタクシーにするまでもない。

「わかりました。僕は歩いて帰ります」

「……せいぜい、誰かに連れ去られないように気をつけろ」

 信濃は助手席に乗り込むと、最後にそう言い残してウインドウを閉めた。

「……」

 赤色灯がともっていないパトカーを見送りつつ考える。

 小春は信濃と昔何かあったのだろうか。

 おれは基本的に不干渉主義だ。他人の秘密を無理に暴こうなんて思わない。それに、自分がされたくないことはしない。小学校で習うことだ。

 しかし彼女たちの過去についての疑念は、無視したままにすることはできなかった。それは、今のおれと小春の関係にも繋がるような気がした。

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