第九話:次の謎に会いに行こう
「オカルト研究部に入る?」
翌日。月曜日の放課後、職員室。自分のデスクに着く中屋に入部届を提出しに行くと、彼は意外だ、という風な顔をした。
「はい、そのつもりです」
「しかしお前、オカルティックなことに興味あったのか?まあ、運動部ではないだろうと思ってはいたが……」
「ええ、多少は」
「ふうん」と言って中屋はもう一度入部届を見た後、デスクに置いた。
「ま、そういうことなら受け取っておく。期限には間に合ったわけだしな。ただまあ、後付けでもいいから入部した理由は考えておいたほうがいいと思うぞ。じゃなきゃ、女子目当てだと思われるかもしれんし」
乾いた笑いを上げる中屋。
入部した理由、か。
おおむね女子目当てで間違いない。彼女が吹奏楽部にいたなら、おれは間違いなくそこに入部していただろう。
「……はあ、考えておきます」
ただ、そんなことをここで言うわけにもいかない。何か怪しいことをしていないか教員に疑われ、顧問の監視の目がつかないとも限らない。今後、適当な理由を探しておくべきかもしれない。
「そうそう。オカルト研究部の顧問、俺だから」
「えっ?」
今度はおれが目を丸くする番だった。
「先生がオカルト研究部の顧問?」
「ああ。けど、最近は忙しくてなあ。あまり行けていない」
やけに強調して言う中屋。忙しかろうが暇だろうが、あまり目をかける気はないのだろう。それならそれで好都合だ。深夜の調査がばれたりしたら、色々とめんどくさい。
「というわけだ。これからよろしく」
「はい、よろしくお願いします。では失礼します」
儀礼的な挨拶を済ませ、職員室を後にする。
「終わった?」
廊下に出ると、小春がドアの横で待ってくれていた。学校指定の手提げカバンをリュックのように背負っているため、今日も胸が強調されている。良くないことだとは思いつつ、ついつい見てしまってすぐ目を逸らした。中学時代から、誰かと関わることは避けてきた。こんな風に人と仲良くすることもほぼなかった。それが女子ならなおさらだ。性欲がないわけではないし、小春の身長が低いのも相まって、つい目線が下に動いてしまう。何て面倒なことか。というか、実際どれくらいの大きさなのだろう。下着が顔よりも大きい、とかざらにありそうだ。
今まであまり意識していなかったが、改めて見ると彼女のルックスには人を惹きつける魅力があった。化粧っ気はないし、短く切りそろえただけの髪の毛からも、自分の見られ方にあまり注意を払っているようには見えない。だけど、光に溢れた輝く瞳。あまり高くはないけれど、子犬のように小さな鼻。薄くて、弾けるような笑みを表現する唇。時に少年のような無邪気さを見せ、時に論理的に頭脳を回し、時に不安に駆られて落ち着かなくなる心。
おれはきっと、最初から彼女に惹かれていたのだ。異性的に好きとか、そういうことではないと思う。だけどただ彼女のそばにいたいと思わせる。おれにとって芦引小春はそういう存在なのだ。
「カーイートー。何無視してくれちゃってんのー」
ずいっと不満そうな顔を近づけてくる小春。
「あ、いや、何でもない。ちょっと考え事してた」
「ボクが何カップか、とか?」
「へっ?」
図星だったので、思わず変な声が出る。そんなおれを見て、小春は腰に手を当て、少し前かがみになって「んー?」と目を細めた。
「言っとくけどねえカイト君。ボクは相棒であるキミのことを、この世の誰よりも見ているつもりだ。頭の先からつま先まで全部ね。キミの視線だって」
「……おいおい、勝手に決めつけないでくれないか。そのカバンの背負い方って肩に負担かかりそうだな、って思ってただけだから」
「嘘はよくないねえ。だって今キミ、スケベな顔してるよ」
「うっ」
「それにこないだ駅で待ち合わせしたとき、ボクのおっぱい見てたのも気づいてたんだからねー」
言葉に詰まる。そういえば彼女、おれの表情の変化に聡いんだった。だとしたら、今更隠しても無駄か。悲しい話だが。
「……ごめんなさい。おれが悪かった。反省してる。今後は気を付ける。慈悲をください」
咄嗟に、謝罪の言葉が口をついてあふれてきた。現代社会に生きる中で、ハラスメントには何よりも注意せねばならない。受けた相手が傷つくことも当然ながら、行った側も社会的に死ぬ。特にセクハラなんてしたら最期だ。もう明日はない。土下座でもすべきだろうか。
「ん?別にボク怒ってないよ?」
しかしそんなおれの不安をよそに、小春はきょとんとした顔で首を傾げた。
逆におれもきょとんとしてしまう。
「え、そうなのか?てっきり怒ってたのかと」
「いや、そりゃあキミ以外にそんな顔されたら、催涙スプレーぶっかけてたところだけどね?」
「ええ……」
催涙スプレーというところが妙にリアルで、シンプルに困惑してしまった。小春なら、護身用に持っていてもおかしくはない。
「まったく、昨日言いたいことは言えって話したばかりじゃないか」
「いや、さすがに話題がな……」
「だから、それもさっき言ったでしょ?キミだけはいいって」
小春はおれの手を取る。
「ボクはもう、自分の心を偽るのはやめようって決めた。だから何度でも伝えたい。相棒として、ボクのことを裏切らず、ずっと隣にいること。それだけが、ボクのキミへの望みだ」
「お、おお……」
相変わらず、歯の浮くようなセリフを堂々と言ってのけるものだ。
けどそれは、そういうことを言っても大丈夫、と信頼されているからに他ならない。
だったら、それでいいのだろう。
一緒にいてほしいと、小春は本当に思っている。そしてそれはおれも同じ。
「……よろしくな、相棒」
芦引はにこっと笑うと、おれを引いて歩き始めた。
「ところでキミは、都市伝説についてどう思ってるんだい?先週からずっとごたごたしてたから、結構大事なこと聞くの忘れてたよ」
「おれか?うーん……」
「まあ面白いと思ってる」と言おうとして、思いとどまる。つい先ほど、彼女に言いたいことははっきり言えって言われたばかりだ。
「……話としてはどれも面白いなと思ってる。けどまあ、大抵そういうのって嘘だからなあ。あるいは勘違い。聞いたり読んだりしても、“どうせ嘘なんだろうな”ってどうしても思ってしまう。もちろん、完全に否定しきることはできないわけだけど」
「おや、それはボクとしては聞き捨てならないな」
「けど、じゃあ都市伝説の何が人をそれほどまで引き付けるのか。それには、凄く興味がある」
おれの手を引く小春に目を向ける。都市伝説の何が、彼女をそこまで夢中にさせるのか。オカルト研究部にいることで、その答えが見つかるのかもしれない。
「なるほどね、上出来だ!」
階段で、おれの一段上にいる小春が振り向く。おれはそれに微笑で返す。
学校で笑える日がまた来るなんて。そのかけがえのなさを心でかみしめる。
「……学校生活は好きじゃないけど、部活には来ようと思う」
「来てもらわなくちゃ困る。というか、授業終わったらキミを引き連れに行くから。嫌って言ってもやめないよ」
「覚悟したまえ」と小春がおれを指さす。廊下の窓から入ってきた夕焼けの光が彼女を照らす。その顔は心の底から楽しそうで、輝いている。
そうこうしているうちに、部室の前に着いた。“オカルト研究部”と書かれた紙が貼られているだけの簡素なドア。部室の中も本棚と机、椅子があるだけで、倉庫と言われても大差ない。だけどここが、おれの居場所。どうしようもないおれの人生で、ここだけが楽しさを感じさせてくれる。
「さあ、次の謎に会いに行こう!」
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