第二話:エンドラインの外
何だかよくわからない少女、芦引小春と初めて話した翌日の金曜日。
この日の三時間目は体育だった。
一年一組と一年二組、それぞれ男子は男子、女子は女子で体育館を二分して使っていた。
本来のカリキュラムなら集団行動というただただめんどくさいことをさせられるはずだったが、今日は入学後初めての体育ということで、男子はバレーボール、女子はバドミントンをすることになった。レクリエーションの意味も兼ねているとか。
「木瀬、頼むぞ!」
自チームのいかにも体育会系な男子が声をかけてくる。ボールを持ったおれはあいまいに頷き、サーブを打つ場所まで行く。
エンドラインから見渡してみると、コート内に人間関係の構図が出来ているのがわかる。運動部と思しき連中は指示を出したり積極的にプレーにかかわったり、既に自チームの中心となっている。おそらく彼らはじきにクラスでもリーダー的存在となっていくのだろう。 逆に文化系や、体育会系でも消極的な生徒はあまり輪には加わろうとせず、居心地悪そうにコートの隅にいる。学校に生まれる生態系がはっきりと表されている。
ただ、時間が経っていけば文化系がクラスの中心の一人になることもある。半ば珍獣のような扱いをされることが大半だが、まあ上にいけるなら気にならないのだろう。
そして逆に、今はしゃいでいる体育会系がクラスの腫れ物のように扱われることだってある。他の体育会系と何らやっていることは変わらないのに、なぜかリーダーにはなれないのだ。理由は知らないし、知る気もない。当人はたまったもんじゃないだろうけど。
ただ、おれはコート内にすら入れないんだろうな、と思う。
そもそも、入る気すらない。だってめんどくさいし。どうして、わざわざ蹴落とし蹴落とされの戦争に巻き込まれねばいかんのだ。
周囲の争いに巻き込まれることなく、必要事項だけこなしていればいいこの場所が一番身の丈に合っている。
ぴっ、と短い笛の音が鳴る。
左手でボールを上げ、アンダーハンドでサーブを打つ。放物線を描いて相手コートの真ん中へ。文化系の生徒の前にボールが落ちるかと思われたが、体育会系が腕を伸ばしてレシーブ。上がったボールはこちらのコートのちょうど誰もいないところに落ち、相手に得点が入った。
「ドンマイドンマイ!次取るぞ!」
体育会系が声をかけ、こちらのチームを励ます。味方はみんな苦笑いをしたり、あいまいに頷いたりする。彼がこれからクラスの腫れ物にならないことを願うばかりだ。
ちら、と背後の女子の方を見る。和気あいあいとバドミントンをしているのが見える。時折きゃー、と甲高く、笑い声か悲鳴かわからない音が体育館に響く。
女子を見ると、それはそれで色々ありそうだな、と思う。
中学校くらいから特に顕著だったが、女子はあまり体育で本気を出す、という感じが少ない。真面目な人は一生懸命やっているが、大抵は黄色い声を上げて右往左往している。一見するとみんな仲良くやっているようだが、既に彼女たちの中にもカーストらしきものはできつつあるらしい。
体操服の着こなしとかで何となくそれがわかる。カーストが高そうな女子はジャージのファスナーを胸元まで開けていたり、髪形を体育仕様にハーフアップにしていたりする。男子の目があるから、少しは気にしているのかもしれない。ちなみに、体操服を着崩していたりするのは大抵容姿の整った女子だ。男子も、袖を肩までまくり上げたりしているのは、ルックスが良かったり性格的にグイグイいく運動部系ばかりだ。なるほど、既に選別は始まっているのかもしれない。
そんな女子たちの中で、一人、体育館の隅で小さく体育座りをしている者がいた。
芦引小春だ。
消火栓の隣で、他の生徒の試合を見ようともせず、立てた膝の間に顔を埋めるようにしている。体育が始まった時から何となく気になっていたのだが、彼女、ほとんど参加していない。ラケットを握った姿すら一度も見ていない。
芦引の元に、ラケットを持った女子が数人行く。何かを話しているようだが、芦引は彼女たちには目もくれず、ゆるゆると首を横に振るばかりだ。
結局、芦引に話しかけた女子たちは諦めたように去って行った。芦引はまた一人ぼっちで、小さく座る。
昨日、人との距離感を掴むのが苦手そうな雰囲気は見せていたが、あそこまで他人を拒絶するとは。一瞬だけ見せた少年のようなはつらつさはどこにもない。その姿だけ切り取ると、明るい性格なのかもしれない、とさえ思ってしまうが。
「おいおいおい!」
「うわっ!」
突然、自チームの体育会系が卑しい笑みを浮かべて肩に腕を回してきた。
「何さっきから女子ばっか見てんだよ!もう狙ってる子いんのかよ!あの子か!」
体育会系の男子が顎で一人の女子を指す。ジャージのファスナーを全部開け、髪をハーフアップにしていて容姿端麗だ。カーストも高そうだし、男子の注目の的になるのは間違いないだろう。名前は覚えてないけど。そもそも、彼女は一年一組なのだろうか。ちなみに、絡んできた男も同じクラスかどうかは知らない。
「違うよ。ちょっとぼーっとしてただけだ」
「ホントか~?ま、今回はそういうことにしておいてやる。それより、向こうのサーブだぞ」
気づくと、相手の一人がボールを持ってエンドラインに立っていた。
「ああ、ごめん。すぐ行くよ」
そう言ってコートに入る直前、もう一度だけ芦引を見る。彼女は相変わらず殻にこもったように座っていた。
その姿を見ていると、少しずつ心が裂かれていくようだった。
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