心がらせんを描くから

nemu

第一部:謎を追って、我を忘れて

第一話:めんどくさい

 学校ってめんどくさい。

 受けていて必要を感じない授業が面倒だし、それなりに成績を残さなければ教師に目を着けられるのが面倒だし、クラスメイトとかいうその場限りの存在と息を合わせないといけないのが面倒だ。

何より面倒なのが、学校を出ないと社会からは冷めた目で見られることだ。

学歴なんて、化粧や洋服と何ら変わらない。それだけでその人のすべてがわかるわけではない。

ただ残念ながら、社会では、少なくともこの国では、きっとその人を表すものなのだ。

 中卒、自称進学校出身、都心の私立大学中退。これらの経歴を眺めただけで「ああ、多分この子は頭が悪くて親に迷惑をかけただろう」「この子は特徴がなくつまらなそうだ」「どうせ大学で遊び惚けていたのだろう」と思われてしまう。彼らの中には環境が整いさえすればノーベル賞が獲れるような者だっているはずなのに。学歴なんてものがあるせいで、こんなレッテルを貼られてしまうのだ。

さて、木瀬開人きせかいとはどうだろうか。

所属する伊谷いたに市立伊谷高校は実績も評判も至って平凡だ。学業では、普通科や特進科などコース分けはされているが、有名な国公立大に進むような生徒は例年わずかである。部活動でも、強制的に加入させられる割には全国大会に出場、なんていうのはもう何十年も無いと聞いている。にも拘わらず、校長から教諭、果ては一部の純粋な生徒に至るまで、文武両道の精神が刷り込まれている。もう何年かすればみんな社会に投獄されるのだ。残された執行猶予の期間を気楽に生きようとは思わないのだろうか。おれは気楽に生きたい。

そんな非国民にとって唯一の救いがあるとすれば、それはこの春から担任になった人物はこの学校のスピリットに染まっていなかったことだろう。

「一人暮らしぃ?」

ため息交じりの声が職員室に上がる。

職員室の椅子の背もたれにだらっと座り、皺の寄ったワイシャツとスラックスを着ている姿からは、お世辞にも生徒を「文武両道に教え導く」という気概は感じられない。白いものが混じった髪はぼさぼさで、メガネは微妙にフレームが歪んでいる。うだつの上がらないサラリーマンと言った風情だが、彼も免許を取得した立派な教師である。

「はい。学校から許可を得るのに、この紙を書いて提出しないといけないみたいだったので」

 おれがそう答えると、その教師――担任の中屋公哉なかやきみやは書類を見てうなった。

職員室内は他の教師や生徒がいるが、彼らは小さい声で話している。そのため、中屋の気の抜けた声は少し響いた。

「でもなあ、木瀬」

 中屋はぼさぼさの髪を掻く。

「お前、ついこないだ中学校を卒業したところだろ?その子供にいきなり一人暮らしってのはなあ。健康とか、勉強に影響だって出るだろうし、親御さんだって心配するだろう」

 と、体の良さそうなことを言う中屋。その割には、怠そうな空気を隠し切れていない。

 この教師、口ではおれのことを心配しているようだが、本心ではそんな気はさらさらないのだろう。入学式の日のホームルームからそうだった。おそらく彼はあまり自分の生徒に関心はないのだ。役割上、生徒を気にかけているよう演じているだけで。

「自分の一人暮らしは、むしろ健康や勉強への影響を鑑みてのことです。実家はここから少し遠いですし。……両親からの許可に関しては、そちらに書かれてある通りです」

 手のひらを向けて書類を指す。指で差すと無礼だと注意されかねない。中学を卒業して間もない子供が一人暮らしをするなどとぬかしているのだ。できる限り目はつけられないようにしたい。

「……まあ必要事項は書かれてあるし、とりあえず受け取っておく」

 中屋は不承不承、といった感じで書類を受け取る。「本当はダメだけど君の熱意を配慮して」というよりは、単に自分の仕事が増えたことに辟易しているように見えた。

「はい、よろしくお願いします」

 わざとらしいくらい恭しく礼をして、踵を返そうとする。

「ああ、そういえば木瀬、お前部活はどこに入るか決めたのか?」

 中屋がデスクの端に積まれたプリントを指で叩く。入学式翌日、部活紹介が終わった後に配られたものだ。伊谷高校の生徒は入学してから二週間以内にどこかの部活に仮入部しなければならない。

「……まだです」

 顔をしかめそうになるのをできるだけ抑えて答える。

「締め切りは来週の月曜だぞ?わかっているのか?もう一組のほとんどが提出したぞ」

「はい。急いで決めます」

「ああ、できるだけ早めにな。部活見学にも行っておけ」

「わかりました。失礼します」

 軽く頭を下げて、中屋のデスクから離れる。

 出口に行く間、職員室内の教員たちの視線が向けられる。興味深そうだったり、心配そうだったり、様々だ。おそらく、先ほどの中屋とのやり取りを聞いていたのだろう。目は口ほどにものを言うという言葉があるが、まったくもってその通りだと実感する。

「中屋先生、生徒が来ています」

「要件はなんです?」

「進路相談だそうです。大学の専攻を薬学か物理学で迷っているとか」

「……わかりました。進路指導室に……」

 来客があったらしく、中屋が立ち上がる。相変わらずけだるそうだ。あんなので進路相談なんて務まるのだろうか。まあおれにはどうでもいいことだけど。

 「失礼しました」と一礼して退室する。ドアを閉めると、自然にため息が出た。職員室は疲れる。ただでさえ注目を浴びるのは好きではないのに、この中にいると自然に目が向けられてしまう。これから一週間は、事を起こさないよう一層気を付けるべきかもしれない。

「……ん?」

 帰ろうとしたとき、職員室のドア横の掲示板に貼られた新聞紙サイズの模造紙が目に入った。上部に書かれたタイトルは「伊谷高校七不思議について」。タイトルの下に「作成者 一年一組 芦引小春あしびきこはる オカルト研究部」と書かれてある。

 一年一組といえば、おれが所属するクラスだ。つまりこの「作成者 芦引小春」はクラスメイトになるが……はて、どんな容姿をしていたか。

 入学してまだそれほど日は経っていないので、クラスメイトの名前と顔はほとんど覚えていない。入学翌日のオリエンテーションで自己紹介の時間はあったが、自分の席の近くの生徒しか覚えていない。

 それにしても、「オカルト研究部」とはまた珍しい部活があるものだ。勝手なイメージだが、屋上で部員が手をつないでユーフォーを呼んだり、深夜にグラウンドでミステリーサークルを描いていたりしてそうだ。

 もし本当ならかなりシュールな光景だが、それはそれで楽しそうだと思う。少なくとも、厳しいだけの運動部よりはよっぽど楽しい高校生活が送れそうだ。

 でも入ろうとは思わない。部活の人間関係はめんどくさいからだ。軽く想像するだけでも、やれ誰の性格が悪いだ、やれ誰が誰を好きだ、やれ誰が誰と険悪だ、やれ誰が誰とけんかしてるだ、やれ誰が来なくなっただ……考えただけで胃液が込み上がってくる。

 ストレスはたいてい人間関係が原因なのだ。他人と関われば、必ずどこかで面倒ごとが起こる。そこに自分から突っ込んでいくような無謀さは持ち合わせていない。部活動は入らず、クラスメイトとの会話はあいさつ程度に済ませる。こうやって避けるのが一番だ。

 「作成者 芦引小春」も、もしかしたら一年だからと押し付けられてこれを書く羽目になったのかもしれない。

 そんなしょうもないことを考えつつぼんやり目を落としていたのだが、意外にも、その報告の内容は読み手の興味をそそるものだった。

 七不思議として取り上げられているのは七つ。

『昇降口近くの銅像が夜に動き出す』

『中庭の桜の木の下で告白して成功したら結婚できる』

 『先生にわいろを渡せばいいものをもらえる』

『旧校舎では謎の実験が行われている』

『バレンタインデーにチョコをもらった運動部員はその年に怪我をする』

『夜に学校に忍び込んで行方不明になった生徒がいる』

『七つ目を知った者はいない』

どこにでもありそうな話だ。

 銅像や木の下で告白なんて鉄板だし、旧校舎やバレンタインデーも都市伝説としてよく聞く話だ。その中で今回扱っているのは『銅像』と『中庭の桜の木』だ。

 例えば銅像のやつなら「大前提として銅像が動くことは考えられない。とすれば、夜に伊谷高校の敷地内を歩いていた人間を銅像と勘違いしたと考えるのが適切だろう。しかし、単に歩いていた人間を見ただけで銅像と勘違いすることはないだろう。この点については、敷地内を歩く人間を見る→何らかの理由で銅像が見えなかった→敷地内を歩いていた人間が銅像だったと誤解したという流れだと考える。したがって、この七不思議は敷地内を歩いていた人間を銅像が歩いていたと誤解したことが発端だろう。ちなみに、敷地を歩いていた人間については『旧校舎で謎の実験が行われている』や『夜に学校に忍び込んで行方不明になった生徒がいる』と関連する可能性があるため、更に調査を進める予定である。」という文面が銅像と共に記載されていた。

 その報告を読み、思わず「なるほど……」と心の中で呟くと同時に、物好きな人もいるものだと感心する。

 七不思議なんて、聞いても大抵の人間が「ふーん」で済ませ、その意味や由来などは知ろうとしない。せいぜい「面白いな」程度で流してしまうものだし、そもそも七不思議何てそういうものだろう。

 それをここまでしっかりと考え、まとめ上げるのは素直に尊敬する。

 先ほど押し付けられて書いたのかもしれないと思ったが、おそらくそれは間違いだ。

 確かにこの報告書自体はあまり凝ったデザインではない。むしろ極端なまでにシンプルで、読者に対して「これを読んでくれ」とアピールしている感じはない。

 だが、作成者の熱意が七不思議の説明と考察に込められているような気がする。「楽しい」「好き」という気持ちが、こんなにもダイレクトに伝わってくる文章を読んだのは初めてだ。

 自分がのめり込めるようなものがあるというのは、本当にうらやましい。芦引小春とは、どんな人物なのだろう、と自然に興味が湧いた。

「……お、面白い、ですか!?」

「わっ!」

 物思いに沈んでいたため、人がいたことに全く気付かなかった。いきなり右から声を掛けられ、驚いてそちらを向く。

 おれよりも頭一つ分小さい女子が、遠慮がちに立っていた。

 彼女は二の腕を掴んだ姿勢で、ちらちらとこちらを見る。

「あ、ええと、それ書いたのぼ……私、だから」

 しばしの沈黙に急かされたように、少女は言う。

「ああ……じゃあ、君が芦引さん?」

 こくり、と少女――芦引小春は小さく頷く。

「まさか見てくれる人がいるなんて思わなかったから、ちょっとびっくりして。……あ、せっかくだから、感想聞けると、嬉しいな。……私が、職員室から出てきたのにも気づかなかったくらい、真剣に読んでてくれてたから」

俯いているためその顔はよく見えない。ただ、前髪の隙間からせわしなく目がこちらをうかがっているのがわかる。

 言われてみれば確かに、芦引は職員室のドアの前に立っていた。自分が出てきたのにも気づかず、更に書いたものを熱心に読んでいる人を見かけたら、話しかけたくなるのも無理はない。

「そうだな……」

 どういう感想を言おうか考えていると、芦引は身構えるように肩をすくめた。貼る前に部員からのチェックはされているだろうが、オカルト研究部の人以外に感想を聞くのは初めてなのかもしれない。

 それを見ているとこちらも少し恥ずかしくなってくる。しかし、こういう時は正直に言うべきだろう。素直に言えばよかった、と後でずるずる考えるのは面倒だ。

「何と言うか、凄いと思った」

 だから、率直に思ったことを伝える。

「凄い?」

 そんな感想が出てくると思わなかったのだろう。芦引は首を傾げる。

「本当にそう思ったんだ。こんなにも、書いた人の好き、楽しいって気持ちを感じる文章は初めてでさ。勿論、面白いなとも思った」

「えっ、本当かい!?」

 芦引は今までの引っ込み思案な印象とは真逆で、少年のように目を輝かせてこちらに距離を詰めてきた。

「そんな風に言ってもらったの初めてだよ!すっごく嬉しい!良かったら一緒に……」

「え、えっと、待って待って」

 驚いて、少し声が上ずる。突然雰囲気が変わったから、引き気味になってしまう。

「あ、いや……」

 おれの心を悟ってか、ハッとした芦引はまた伏せがちになって後ずさる。最初に話しかけてきた時よりも一歩分距離が開いた。

「ごめんなさい、いきなり……」

「べ、別にいいよ。気にしてないから」

「……」

 フォローしたつもりだが、芦引はまた殻に閉じこもったように首を縮めた。

 気まずい沈黙が流れる。

こういう間は本当に苦手だ。どういう反応をすればいいか、考えれば考えるほどにどうすればいいかわからなくなる。

 何より、自分の言葉や態度で相手を困らせてしまったことで強い罪悪感に苛まれてしまう。このような感覚を味わいたくなかったからできる限り他人との接触は避けようとしていたが……結局こうなってしまった。

「じゃ、じゃあ、これで」

 半ば投げやりに別れの挨拶を言うしかなかった。芦引が小さく頷いたのを見て、逃げるようにその場を後にした。

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