第62話

 いたって普通だった。

 普通に登校して、普通にレイと会話して、普通にバイトをやっている。

 朝晩には必ずマナカとメッセージ交換して、おはよう、おやすみも伝えている。


 今日はやけにピザが売れる。

 本部が動画サイトに広告をバンバン打っているせいだ、と店長は他人事のように話していた。


「はい、結城くん、今月の給与明細」

「あ、どうも」


 その場で開けてみた。


「時給、ちょっと上げておいたから」

「ありがとうございます」


 上がったといっても10円。

 何が買えるわけでもないが、テツヤの価値も上がったみたいで嬉しい。


「店長、ピザを1枚買っていきます」

「へぇ、昇給祝い? 結城くんがピザをテイクアウトするなんてめずらしいね」

「今日は親が外で食べてくるので」


 女の先輩に頼んでピザを1枚焼いてもらった。

 社員割引が利くので、そこそこお得だったりする。


「お疲れさまです」


 テリヤキソースの匂いをぷんぷんさせながら原付を走らせる。


 わざと遠回りをしてみた。

 かつて事故を起こした交差点……織部シスターズとの思い出の地までやってくる。


 街灯の下に猫がいる。

 体の模様があの日の子ネコに似ている。

 向こうが甘えるように鳴いてきたので、本当はいけないと思いつつ、テリヤキチキンの小さい欠片を投げてやった。


 にゃ〜ごろ。

 ネコが一礼したように思えた。

 その姿を写真に収めてマナカに送ると、


『かわいい……』


 と返信がくる。


『うちの近所じゃないですか?』


 とも。


『たまに通るからね』

『ここはうちの店舗の管轄なんだ』


『織部家は?』

『私がピザを注文したら、テツヤくんはきますか?』


『あっちは隣の店の管轄』

『残念ながら、うちのエリア外』


『むぅ』


 テツヤは家に帰ったあと、ピザを食べて、風呂に入って、マナカとメッセージ交換してから眠りについた。

 テツヤに飛んでくるメッセージは、母とマナカとバイト先がほぼ100%だ。


 それから数日後。

 郷土資料室でお弁当を食べているとき、レイがめつけるような視線を向けてきた。


 なにか不快なことを発言しちゃったかな?

 気になったテツヤは、どうしたの? と軽いノリで質問する。


「テツヤくんの口元……」

「ん? 俺の口?」

「汚れちゃっているわよ」


 レイはウェットティッシュを取り出して、我が子を世話する母みたいに、口の周りをきれいにいてくれた。

 恋人のような距離の近さにテツヤの胸はドキドキする。


「いきなりされると、びっくりする」

「私がマナカじゃなくてガッカリした?」

「どうしてそういう発想が出てくるかな〜」


 レイは少し変わった。

 クラスメイトの女子と話しているのを、たまに見かけるようになった。

 それは朝夕の登下校だったり、移動教室のタイミングだったり。

 少しだけ普通の女の子に近づいた。


「レイさんって、その気になれば普通に振る舞えるんだね」

「リハビリ中よ。独りぼっちが長かったから。笑い方を忘れて久しいというか、無理に笑おうとしたら気持ち悪くなるというか」

「ふ〜ん、レイさんが笑いかけてくれるの、俺限定じゃないかと、内心では喜んでいたんだけどな」

「でも、テツヤくんの前が一番上手に笑えるわ」


 恥ずかしいセリフでテツヤの反応を楽しむレイは、小悪魔な一面もあるといえよう。


 レイは笑顔を封印してきた。

 マナカが幸せになるまで、という条件付きで。


 一種の願掛。

 家族以外の前では笑わないとルールを課してきた。


 でも、テツヤと出会った。

 うっかり笑ってしまった。


 内心で大いに焦ったとき、テツヤならマナカを幸せにできるのではないかと閃いたらしい。


「だから、テツヤくんがマナカの恋人になってくれて嬉しいの。最後までちゃんと責任を取ってほしいな」

「責任って……」


 なんか重いな。

 甥っ子か姪っ子の顔が見たい、とか注文されそうで深掘りしたくない。


「しかし、冷静に考えてくれよ。元はといえば、レイさんが風邪で休んだとき、マナカさんが成りすまして登校したのが、この物語の発端だぜ」

「ん? どういう意味?」

「マナカさんが自分でつかんだ状況に思えるね。俺が何かをプレゼントしたわけじゃなくてさ。俺とレイさんは、プレゼントされた側の人間かもしれない」

「へぇ〜」


 レイは人好きのする笑顔をつくって、指先で机をトントンする。


「なんか気分がスッキリした。ありがとうね、テツヤくん。それでさ……ちょっと話は変わるのだけれども……」

「なんだよ」

「家からピザを注文したら、テツヤくんがデリバリーにくるの?」

「こないよ。この前、マナカさんからも質問されたよ」

「でも、店長にゴリ押ししたら? 結城テツヤくんの同級生と告げたら?」

「あのなぁ……」

「つまり、物理的には可能なのね」

「組織的にはグレーなんだよ。俺が個人的にピザを買う。俺が個人的にデリバリーする。それで我慢してくれないかな。そっちの方が安上がりだし」

「やった」


 笑ったとき、織部シスターズは一番似ている。

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