第61話

 レイはリビングのところで小説を読んでいた。


「あら、もう帰っちゃうの?」

「マナカさんが寝ちゃったから」


 テツヤが声をかけると、わざわざ席を外して、玄関まで見送りに来てくれる。


「今日の予定は?」

「これから晩飯をつくらないと」


 外は小雨が降っている。

 雨合羽を持っているが、取り出すか微妙なところだ。


 昔のレイは社交的だった、という話が頭をよぎった。

 マナカは自分を責めている様子だったが、10年くらい前なので、果たしてどの程度影響しているのか。


「レイさんが周りと群れないのって、やっぱりマナカさんが影響しているの?」

「なにそれ。変なの。私は元からそういう性格よ」

「……だよね」


 さといレイのことだ。

 テツヤがこんな話題を切り出した時点で、マナカとの会話内容なんてお見通しだろう。


 意地悪をした。

 そういう自覚はある。


「レイさんとマナカさん、姉妹っていうより、親友みたいな側面が強いよね」

「そうね。私って学校では孤立しているけれども、マナカがいるから寂しくないわ。学校の友だちと違って、マナカは死ぬまで私を裏切らないでしょう」

「なるほど」

「だから、孤立していても孤独ではない」

「友だち0人と友だち1人の差は大きい、みたいな?」

「そうそう。1人と100人の差より大きい」


 テツヤを見つめるレイの目に、同族意識のような優しい光が浮かんだ。


 やっと気づいた。

 この気持ちは恋じゃない。


 だだっ広い深海に住んでいる生き物が、数年ぶりに仲間を見つけたような、そこはかとない喜びに似ている。


 独りって悪くないよね。

 そういったたぐいの会話を交わせるニヒルな喜び。


 アホだな、と思う。


 本当は誰かとつながりたいくせに。

 はすに構えることで、気持ちをうまく誤魔化している。


 レイと会話するのが楽しい。

 それが偽らざる証拠ではないだろうか。


「私、テツヤくんのこと好きよ」

「どうして?」

「マナカについて話せるから」


 レイが口にしている好きは、愛しているからは遠い言葉のはず。


「俺もレイさんのことが好きだ」

「どうして?」

「言葉がさっぱりしているから。俺みたいにダラダラと説明しないから。短いセンテンスに本質をギュッと詰め込むから。君と話していると心地いいし、俺まで頭が良くなった気分にさせられる」


 レイがふっと笑う。


「でも、困ったわね。マナカの話、ダラダラして長いでしょう」

「あれはあれで愛らしい」

「それ、バカな女の子がかわいいと主張している?」

「どうしてそういう発想が出てくるかな〜。マナカさんは妹なのに」

「妹だからよ。好きじゃないと、こういう話はしない」

「なるほど」


 いつもの調子で会話できたことに安心したテツヤは、今度こそバイバイと手を振って織部家を後にする。


 スーパーに寄ってから家に帰り、冷蔵庫に食材を詰め込んでいると、レイからメッセージが飛んできた。


『今日はありがとう』


 いつものように素っ気ない一文。


『こちらこそ』


 テツヤも短く返してから、晩飯の支度に取りかかる。


 レイのこと、初恋の人だと思っていた。

 一緒に出かけられて、舞い上がっていた。


 レイさんの不器用なところが好き……。

 自信を持って告げたのに。


 マナカと交流するうちに、レイに対する好きは恋じゃないことに気づいた。


 恋はもっと大げさだ。

『相手のことを幸せにしてあげたい』

『この人と一緒に幸せになりたい』

 心底からそう思えてくる。


 レイは少し違う。

 向こうはテツヤをそういう目で見ていない。


 友だちと一緒。

 その好きには限界があって、重くなりすぎないよう予防線を張っている。


 レイ自身のためにも、マナカのためにも。

 そしてテツヤのためにも。


「レイさん、大人かよ」


 成長の証みたいなやつが、ほろ苦くて痛々しくて、魚の小骨みたいにチクチクした。

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