第59話

「マナカさんの部屋、ちゃんと片付いているんだね」


 テツヤが平凡すぎる感想を口にしたのは、織部家へやってきて、30分ほど経過した時だった。

 マナカとの話が盛り上がりすぎたから、切り出すタイミングがなかったのだ。


「え〜と……私の部屋がきれいなのは……」

「ん? もしかして、レイさんが毎週掃除している?」

「うっ……」

「なんだ、図星か」

「笑うなんて、テツヤくんの意地悪」

「いやいや、本当に仲のいい姉妹だと思ってね。妹の部屋を掃除してあげる姉なんて、滅多にいないだろうね」


 マナカはつぼみがほころぶように笑った。


「はい! 頼りになる姉です!」


 レイが自慢の姉であることを認める。


「昨夜はレイさんに怒られた?」

「いえ、それほどでもないです。私のこと、心配してくれました」

「それは良かった。俺もレイさんに許してもらえたよ」


 マナカが携帯を起動させた。

 見せてくれたのはお弁当の写真。

 テツヤがレイに食べさせてあげたキャラ弁だった。


「これ、お姉ちゃんが自慢してきました。テツヤくん、本当に器用ですね」

「ああ、お昼の。レイさんが喜ぶかも、と思ってね。ギャンブルだった」

「いいな〜。マナカもいつか食べたいです」

「元気になったらね」


 ずっとなごやかにしていたマナカの顔に、はじめて影がさす。

 その理由をつかみかねたテツヤは小首をかしげた。


「なにか心配なことでも?」

「そうじゃなくて……私とテツヤくんが無意識に会話していると、お姉ちゃんのことが話題の中心になっちゃうと思いまして……」

「なるほど」


 納得したテツヤはマナカの頭にそっと触れる。


「心配しないで。俺とレイさんが話すとき、マナカさんが話題の中心だから」

「えっ? 本当ですか?」

「そうだよ。今日もマナカさんのことで、たくさん話したよ」

「どんな内容ですか?」

「う〜ん、そうだな」


 マナカの趣味とか、マナカの性格とか、マナカとの思い出エピソードとか。

 レイはわりと楽しそうに話す、と付け加えておいた。


「とにかく、なんでも話す。マナカさんが思っている以上に、俺はマナカさんのことに詳しい」

「やだっ……恥ずかしい……」


 照れまくりのマナカが腕で口元をガードする。


「意外すぎます。お姉ちゃんが私のことを話すなんて」

「俺も聞いていて楽しいよ。まったく飽きない」

「あぅ……」


 テツヤが油断していると、甘えるように抱きつかれた。


「大しゅき……」


 思いっきりハグされる。

 今日のマナカはブラジャーをつけていないから、胸の肉圧がダイレクトに伝わってきて、とても恥ずかしい気分にさせられた。


「ちょっと……マナカさん」

「うっ……ごめんなさい……つい……」

「いや、別にかまわない」


 風邪で弱っているから、ただでさえ隙だらけなのに。

 無防備すぎるというべきか、油断ならないというべきか、判断に迷うところである。


「俺ってさ、今日はじめてマナカさんの部屋に入るから、ちょっと動揺しているかも」

「ですよね……私が逆の立場でも一緒だと思います」


 2人の視線がぶつかる。

 言葉を失くしたままフリーズする。


 マナカとキスしたい。

 浅ましい欲望が頭をよぎった。


 今日のマナカはやけに馴れ馴れしくて、テツヤからお願いしたら許してくれるような気がした。


 信頼の証がほしい。

 こんな気持ち、生まれてはじめてだ。


「あの……マナカさん……」


 拒否されたらどうしよう、とは考えなかった。

 マナカの目つきはトロンとしていて、むしろテツヤの申し出を待っているみたいだった。


「ちょっと俺、不謹慎なこと思いついちゃって……」

「実は私もです。その……いけないことを……」

「もしかして、同じことかな?」

「だったら嬉しいです」

「キから始まる?」

「スで終わります?」

「…………」

「……」


 想いが通じた。

 あまりの嬉しさにテツヤの心は溶けそうになる。


「本当に軽くでいいから」

「はい」


 マナカのあごに手を伸ばしたとき……。


「マナカ、スポーツドリンク持ってきたわよ」


 ドアが開いて、レイが入ってきた。

 慌てふためくテツヤとマナカを見てニヤリと笑う。


「なんだ、青春か」


 レイは深掘りせずに去っていった。

 ドン! と満タンのペットボトルを残して。


「ごめん、ムードに流された。マナカさんが元気になってからにしようか」

「私の方こそ! こんな時にすみません!」

「いや……」


 よっぽど反省しているらしく、マナカは布団に潜って口元まで隠してしまった。

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