第56話

 レイの連絡を無視したのは、一種のギャンブルだった。

 あれから3通のメッセージが届いたが、怖くて中をのぞく気になれなかった。


 怒っているだろうか?

 ならば、好都合だ。


 怒りの矛先がテツヤへ向くことで、マナカへの怒りが少しでも軽減されるのなら、本望という気さえする。


 なんなら、テツヤが無理やりマナカを連れ回したことにしてもいい。

 レイが信じるとは思わないが、冷静になって考え直してくれるかもしれない。


 雨粒が大きくなってきた。

 なのに通行人の数はどんどん増えていく。

 マナカとはぐれないよう、傘を支えていない方の手でマナカの手をつかんだ。


 遠くで一発、雷鳴が響いた。

 意味はないと知りつつも、手を握る手に力を込める。


 マナカは時々苦しそうにする。

 テツヤと目が合ったときだけ、小さくはにかむけれども、信号待ちの時なんか、だるそうに目を閉じていた。


「マナカさん、まだいける?」


 大丈夫? とは声をかけなかった。


「はい、平気です!」


 気丈な笑みが返ってくる。

 次の瞬間、マナカがフラついたので、テツヤは腰から支えた。


「すみません……」

「いいから。そこのベンチに座って」

「でも……」

「お願い」


 屋根付きのベンチにマナカを座らせると、テツヤはヒールのある靴を脱がせた。


「やっぱり……」


 皮膚ひふが赤くなっている。

 靴ズレしている証拠だ。


「ごめんなさい……お姉ちゃんがお出かけの時に履いていく靴で……まだ慣れていなくて……」

「足の形が微妙に違うのかもしれないね」


 マナカは引きこもり生活だから、毎日高校に通っているレイとは、足に差が出るのかもしれない。


 テツヤはカバンから絆創膏ばんそうこうを取り出した。

 痛くなっている部分に貼り付けてから、靴を戻してあげる。

 反対側の足も同じように。


「気休めだけれども、少しは楽になると思う。がれてきたら交換するから教えて」

「ありがとう。絆創膏を持ち歩いているなんて、テツヤくん、準備がいいんだね」

「バイト先の男の先輩がいっていた。デートの時、絆創膏を持っていたら助かるって。欲しいときにないと場のテンションが下がるけれども、あったら安心だって。いわば保険」

「すごい、すごい、すごい」


 マナカから褒められると、本当にすごいことをやった気になるから不思議だ。


「喉が渇いたな。少し休憩していこうか?」

「はい!」

「何飲む? カフェオレ? ミルクティー? いちごオレ?」

「コーラで!」

「コーラ?」


 その回答を1ミリも想定していなかったテツヤは、久しぶりに笑った。


「いいじゃないですか、コーラ。こういう雨の日、コーラがないとやってられない体質なのです。サラリーマンのお酒と一緒です」

「だったら……」


 缶コーラを買う。

 一本をマナカと回し飲みした。


「ぷはっ、うまい!」

「本当にコーラが好きなんだね」

「そうです!」


 マナカはゴクゴクと喉を鳴らす。


「レイさんは飲まなさそう」

「お姉ちゃんは古い人間ですから。炭酸ジュースを飲んだら身長が縮むと、未だに信じている人種です。それが事実なら、ビールが大好きなドイツは、小人だらけの国になります」

「いえてる。ユニークな着眼点だ」


 2人はクスクスと笑った。


 コーラを飲むとマナカは一気に元気を取り戻した。

 この街にある有名な神社へいきたい! と切り出してくる。


「いいけれども……けっこう歩くよ?」

「かまいません。時間はたっぷりあります。その代わり、ゆっくり歩行でお願いします」

「わかった。手を貸して」


 古い街並みを抜けていく。

 石畳が雨水でテカテカしており、一面にガラスをまいたみたいに美しかった。


 目的の神社につく。

 結婚式のカップルがいるらしく、おごそかな境内にはスーツ姿の人がチラホラいた。


「いいですね。ここだけタイムスリップしたみたいです」

「たしかに」


 お参りの順番が近づいてきたとき、祈願すべき内容をまったく考えていないことに気づいた。


 母の健康は?

 初詣で祈った。


 大学受験は?

 まだ1年以上先。


 あれこれ迷った末、マナカに幸多からんことを、という何とも曖昧あいまいなお願いになってしまった。


「マナカさんは何を祈ったの?」

「テツヤくんが教えてくれたら教えます」

「俺はマナカさんの健康。この先、たくさん笑えますように、みたいな感じ」

「ふむふむ」


 マナカは唇を三日月にして嬉しそう。


「それで? マナカさんは?」

「秘密です」

「おい……」

「テツヤくんには一番伝えにくいお願いです。これを知られたら、私は恥ずかしすぎて死にます」

「ッ……⁉︎」

「テツヤくんの祈りと合わせて、私には2倍のご利益があることになりますね」

「それって、まさか……」


 この瞬間ほど、女性のことをかわいいと感じたことが、テツヤにはなかった。

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