第45話
あの日は雨のせいで路面が滑りやすくなっていた。
加えてビニールゴミが原付のタイヤに張り付くというアンラッキーにも見舞われていた。
原付を運転中、テツヤはスリップして横転したのである。
小さい猫が飛び出してきた。
それを避けようとした結果のアクシデントだった。
不幸中の幸いというべきは、誰一人として通行人を巻き込まなかったことくらい。
やばい……。
病院へいかないと……。
それなりの怪我を負ったことは直感でわかった。
救急車を呼ぶべきか迷っていたとき、偶然にも通行人が通りかかり、
「もしもし、意識はありますか?」
そう声をかけてくれたのがレイだった。
右手にはスーパーの袋を提げていた。
「……意識はあります」
「どこか痛いところは?」
「強いていうと足首から太ももにかけて」
氷帝こと織部レイについては以前から知っていた。
でも、言葉を交わしたのはその日が初回だった。
「ひどい怪我……救急車を呼びますから」
レイの近くにはもう1人、レイによく似た女性が立っていた。
テツヤが元気な状態であれば、ああ、姉妹なんだな、と理解できただろうが、当時そんな余裕はなかった。
サイレンの音が近づいてくる。
レイは持っていたスーパーの袋をマナカに預けると、救急車に同乗してくれた。
テツヤはその日、名前を告げた。
3回くらい告げたと思う。
レイはすっかり忘れているらしく、現在のテツヤにとっては、1番の悩みだったりする。
救急車に同乗してあげた相手のことを忘れるだろうか。
3年前とかならいざ知らず、数ヶ月前なのに。
この話には続きがあって、テツヤは1週間くらい入院することになった。
ちょうど始業式と重なって、2年生のスタートダッシュにつまずいたテツヤは、浮いた存在のまま現在に至る、という感じである。
「つまり、お姉ちゃんが救急車を呼んでくれて、病院まで付き添ってくれたから、お姉ちゃんのことを好きになったのですか?」
「そうなるね。実際に言葉にしてみると、
キーキーというお猿さんの声が響いてくる。
何かと思えばオスとオスのケンカが始まっていた。
「そんなことはないです!」
マナカはぶんぶんと首を振る。
「とっても素敵な理由だと思います!」
「俺はただ、ありがとう、を伝えたいんだ。そのためにレイさんに告白した。たぶん、振られると思っていた。その時に、かくかくしかじかの理由で告白した、と伝えられるのではないかと。思いのほか仲良くなって、レイさんとたくさん会話したけれども、どうやら忘れているらしい。もちろん、本人にとやかくいうつもりはないよ」
「それって、もし私が……」
マナカは何かをいいかけて、途中で言葉を切った。
「もし、救急車を呼んで、病院までついてきたのがマナカさんだったら? もちろん、マナカさんを好きになっていたと思う。そう考えると、俺はけっこう単純な人間だ」
「……です」
「ん?」
「テツヤくんの単純なところ、マナカは好きです」
そういうマナカの顔は真っ赤っかで、言葉よりも雄弁に気持ちを表現していた。
「俺もマナカさんのことが好きだ。好きなものをストレートに好きという。それって人間として素晴らしいことだ」
テツヤはマナカの手をつかんだ。
本物の恋人みたいにリードしていく。
「ごめんなさい、テツヤくん」
「ん?」
「お姉ちゃん、本当は風邪なんかじゃないんです。私がテツヤくんのこと好きなのを知っていて、それなら2人きりで出かければいいと考えて、わざと風邪を引いたふりをしています。本人が直接そういったわけじゃありませんが……。私は双子なので、お姉ちゃんの嘘がわかります」
テツヤは足を止めて、くるりと向き直った。
「知ってる。レイさんなら、そうしかねないと思った。教えてくれてありがとう、マナカさん」
「ありがとうだなんて……」
マナカが気に病んでいることを知ったテツヤは、いまの自分にできる最大限の笑顔をつくっておいた。
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