第36話

 ケーキを食べ終わったあとのコーヒーは不思議とうまい。

 こんな苦い水の、どこにお金を出す価値があるのかと、小学生のころは疑問に思っていたのだが……。


 苦味というのは、子どもの頃が敏感で、成長するにつれて感じにくくなるらしい。

 コーヒーが大人の味といわれる背景には、そういう人体の秘密があると、生物の先生から教わったことがある。


「ねえねえ、テツヤくんって母子家庭なのですよね?」


 マナカが身を乗り出して質問してくる。


「そうだよ。よく知っているね」

「お姉ちゃんから教えてもらいました。ピザ屋のバイトをしているのも、それが影響しているのですか?」

「う〜ん、どうだろう」


 もし親父が生きていたら……。

 そういう人生を想像しないわけじゃない。


 でも、クリスマスのサンタさんと一緒で、この目で確かめられる存在じゃないから、ピンとこないのが本音である。


「少なくとも、マナカさんが思っているような、母子家庭だからお金に困っているという問題とは無縁だよ」

「あっ……悪気があったわけじゃ……」

「いやいや、母子家庭、アルバイト、とくればそう思うのが普通だろう」


 母と息子の2人暮らしなので、生活費は安いものだ。

 遠出はしない、お金のかかる趣味もない、食事は基本的に自炊ですませる。

 たまに高い国産牛を買ってくるのが、唯一の贅沢みたいな感じ。


「俺って部活をやっていないから。もはやバイトが部活代わりというか、趣味みたいな感じかな」

「へぇ〜。楽しいですか、アルバイト」

「そうだね。嫌になるときはあるよ。ピザ屋って、悪天候の日にオーダーが殺到するんだ。みんな外に出たくないし、気温も低いから、たまにはピザでも食べようかって。そんな日に販促のプロモーションが重なっていたら、もう最悪。お店のオーブンはフル稼働するけれども、焼けるピザにも、配送スタッフにも、限度ってものがあるから、クレームが入りやすいよね」

「なるほど。クレームを受けるのも仕事のうちなのですね」

「まあね。すみません、申し訳ありません……この2つが口ぐせ。うっかり人身事故を起こすのに比べたら、クレームを受ける方が1万倍くらいマシさ」


 事故は起こすなよ。

 交通ルールは守れよ。

 ピザの代わりは何枚でもあるが、人命の代わりはないんだ。


 雇ってもらうとき、店長から口を酸っぱくしていわれた。


「もう1個質問いいですか?」

「はい、どうぞ」

「どうしてテツヤくんは部活動をやっていないのですか?」


 まったく想定していなかった質問なので、テツヤはまごついた。


「あまり考えたことないな。どうして俺は部活をやっていないのか?」

「えっ、疑問形? アハハ、おかしい」


 マナカが腹をよじって笑う。


 映画を観る前。

 もっとお互いのことを知るべき、と提案したのはテツヤの方。

 仕方ない、昔話をするしかなさそうだ。


「高校1年の初っ端、俺は季節外れのインフルエンザにかかったんだ。そのせいで丸ごと1週間、入学式から休んだ。まあ、友だちのコミュニティーに加われなかったのは別にいい。友だちが多い性格じゃないしね。でも、部活の見学を全然しなかった。だから、部活にも入っていない」

「そんな背景があったとは」


 同情するでもなく、軽蔑するでもなく、マナカはうんうんとうなずく。


「マナカさんは、やりたい部活とかあるの?」

「う〜ん、私はゲームが好きなので、テレビゲームをやるだけの部活がいいですね」

「あいにく、うちの高校にはないな。校則でゲーム機の持ち込みは禁止なんだ」

「な〜んだ。残念……」


 さほど残念ではなさそうな顔でマナカはいった。




《作者コメント:2021/06/21》

明日の更新はお休みします。

次回は6月23日を予定しています。

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