4.




 取引先のとある組織が全員首を吊って死んでいたあの件以来、ポートマフィアに所属する人間全員に『大振りのナイフの携帯』が義務付けられた。

 理由は簡単で、うちの取引先である組織を壊滅させたろう異能力の持ち主から犯行声明が届いたからだ。

『憎悪するポートマフィアへ』という言葉から始まったその文章には、自分がどれだけポートマフィアにしてやられてきたか、どれだけ憎んでいるかと言った私情がつらつらと並べられ………最後に、『首をくくって死ね』と言う言葉で終わっていた。

 相手の異能の発動条件が不確かな以上、突如首を吊るような事態になったとしても、一人で対処できるように。それが首領ボスが大振りのナイフを携帯せよとした意味だった。

 件の敵の異能は、対処法さえ用意していればそこまで怖いものではない。突然首を吊る事になったとしても、携帯しているナイフで紐を切断すればいい、というわけだ。


「……コイツはどうするかな」


 預かったナイフを眺め、今日も飽きずに紫陽花を見つめている女へと視線を投げる。

 今日は薄い桃色の、まるで薔薇みたいな花弁をしている紫陽花をじっと見つめている。

 空模様は小雨で、今日のヨコハマの天気を反映しているようだ。

 ……このナイフの意味を説明したところで彼女が理解するかは怪しい。

 ぼんやりしている女は、何ならそのまま首を吊って終わりそうな気がして、そんな姿がありありと浮かんで寒気がした。

 一人の人間の全体重を預けられと軋む紐に、ありえないほど伸びた首、鬱血し紫色になった顔と唇、弛緩しぶら下がった体……。

 頭を振ってその情景を追い払う。

 紫陽花で埋まっている床を歩くのが面倒くさく、重力を操って宙に浮かび、紫陽花を眺めたまま動かない女のもとへ行く。


「おい」


 声をかけるだけでは顔を上げることもない相手の細い肩を掴むと、のろりとした動作でこちらに顔を向け、ようやく俺の事を視認する。「ちゅうや」その細い首に、ぴん、と紐がかかる。次の瞬間、その紐が彼女の細い首にめり込み、そのまま天井へとその体を吊るす。

 一瞬それが自分の妄想の類なんじゃないかと呆け、次いで、足をバタつかせ自分の首にめり込んだ紐を掴み抵抗する女の姿に我に返り、細い体を抱き留めた。重力を無効にしその体を俺と同じように浮かせる。「げ…っ」ごほごほと咳をする彼女の首にかかっている紐を引きちぎり、咳き込み続ける細い背を撫でる。

 何がトリガーになるのかまだ特定ができていない、何かを吊るす事ができる異能力。まさかここでまで発動するとは。

 咳き込み、一瞬とはいえ息を奪われた事で涙目になっている彼女は、自分の首を撫でて「くるし、かった」とこぼす。「わりぃ」一瞬呆けて反応が遅れた自分を殴りたい。

 ポートマフィア内でも首くくりが出たという報告を入れると、似たような報告が数件上がってきていた。首くくりの異能野郎が動き出しているのだ。


「行くぞ」

「?」

「……お前一人だと危ないだろうが」


 実際今死にかけたんだぞ、と言うのは口をへの字に結んで言わないでおく。

 裸足の足にサンダルを履かせ、薄い水色の病院着の上に一度も袖を通した形跡のないカーディガンを羽織らせる。

 首を傾げているままの女に、いざというときのために用意しておいた紫陽花のフリーズドライの花束を持たせ、興味と意識をそちらに向けさせつつ、注射痕だらけの腕を掴んで部屋の外へと連れ出した。

 




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