1.
ポートマフィア本部の地下深くに造らせただだっ広い空間は、本来ならコンクリート打ちっぱなし、灰色の冷たく殺風景な部屋だ。
今はといえば、無機質な天井に青空と白い雲が投影され、床はといえば、歩く場所に苦労するほどに様々な種類と色の紫陽花の植木鉢が揃えられた、ある意味圧巻の景色となっている。
もう見飽きたと言っていいくらいに見て来たせいで俺なんかは口をへの字にしちまうが、見慣れてない部下は「うわぁ」と歓声のような声を上げる。
初めて見りゃ、ここは一種のテーマパークとか植物園に見えるのかもな。
俺の最近の日課はこれだ。
趣味が園芸だという部下を片っ端から当たってはここに連行し、紫陽花の世話をさせる。今日も暇そうかつ世話ができる奴を見繕って連れてきた。
だだっ広い空間に紫陽花ばかりが敷き詰められているんだ。一人や二人じゃ手が足りないし、俺はこういう事はよく分からない。分かる奴に任せるのが間違いない。せっかくここまで揃えたってのに枯らせちゃ意味がないからな。
「適当にやってくれ。道具でもなんでも、足りなきゃ用意させる」
声をかけ、これまでの部下が使ってきた道具やら肥料やらが入っているボックスを顎で示す。途端に「はい、わかりました」と表情を引き締める部下に背を向け、今日もどこかで寝転がってるか飽きずに紫陽花を見つめているはずの女の姿を探す。
と、すぐに見つかった。昨日買ってきたばかりの紫陽花……あー、名前はなんだったかな。品種改良されて色が変化するように作られてる紫陽花を瞬きもせず見つめている。
「診察の時間だ」
声をかけても返事はない。顔も上げやしない。
紫陽花の事となるとすぐ一人の世界に入っていく女の細い手を掴む。
力加減を間違えるとぽきっと折りそうな手。
ようやく俺のことに気付いた女がのろりとした動作で顔を上げ、首を傾げる。
髪が伸びて傷跡も隠れた。もうあのピンク色はどこにも見えない。
「先生のところに行くぞ。頭痛くなる前に」
コツ、と自分の左側頭部を叩いてみせると、相手はこくりと一つ頷いた。
あの日。俺がバイクでコイツを
だが、すべてが万事元通りとはいかず、目を覚ました女には大きな後遺症が残り、あるべき記憶は全て吹き飛んでいた。
後遺症というのが定期的な頭痛で、本人曰く『頭が割れそうになる痛み』らしい。
その痛みに襲われると『痛い』ということ以外何も分からないような状態になり、泣くなり喚くなりで手がつけられなくなるから、仕方なく痛み止めの入った注射器を持ち歩かせている。
薬剤の打ちすぎで細い腕は注射痕でぼろぼろだ。
手袋越しの指でつつつと細い腕をなぞる。ぼこぼことした感触が布越しでもわかる。
「痛くないか」
「?」
「コレ。腕」
「べつに、なんとも。あたまいたいときが、いちばんいたいから。それいがいは、なんともない」
その言いように口がへの字に曲がるのを自覚する。
一番の痛みと比べたらそりゃ何でも痛くないになるだろうが。
どこかズれているのは目が覚めたときからで、始終ぼうっとしているのも首領曰く『後遺症の一つ』だそうだ。
首領が医者の先生として使っている『診察室』の扉をノックし、「入り給え」の言葉に「失礼します」と断ってから扉を開ける。
ここでは白衣を着てにこりとした人の良い笑みを浮かべてみせる首領はただの町医者、先生だ。「せんせい」彼女はその事を疑っていない。
俺は苦虫を嚙み潰したような思いで二人のやり取りを見ている。
頭の痛みはどうだとか、何か思い出せた事はあったかだとか、一週間に一度の診察は毎度同じ事を繰り返している。
今日違った事はといえば、俺が仕事で留守にしてる間に何度か部屋から脱走していた、その時に会ったんだろう太宰の野郎が話題に上がった事くらいだ。
その時の俺の顔は相当酷かったのか、首領が可笑しいとばかりに笑っていた。
「相変わらず仲が悪いねぇ、君達」
「……そりゃあそうでしょう」
これまでコイツの事は隠し通してたんだ。今更バレるとか、最悪以外の何物でもない。
本人は上機嫌に笑う首領をぼんやりとした顔で眺め、不思議そうに首を傾げるばかりだ。
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