紫陽花みたいな君を枯らすべきか愛でるべきか

アリス・アザレア

0.




 バイクで人をねた。

 その事に気付いたのは完全に撥ね飛ばした後で、ギャ、と悲鳴を上げるバイクに構わず急ブレーキをかける。

 そこかしこで銃による硝煙や瓦礫による砂煙が上がってて気付かなかった。完全に撥ね飛ばすまで、人の重みがバイク越しに伝わるまで、気付けなかった。

 気付けなかった事に舌打ちしてバイクを蹴飛ばして下り、人形みたいにと転がったまま動かない人間が生きているのか死んでいるのかを確かめるため、顔の前に手をかざす。

 相手は自分とそう歳の変わらない少女。『羊』の奴らと同じくらいの。

 見たところ銃も持っていないし、俺のバイクに抗う事もなく跳ねられたなら異能も持ち合わせていないのだろう。完全に民間人。民間人を、撥ねた。

 口の中に血よりも苦いものが込み上げてきて吐き気がした。

 龍頭抗争。裏社会のあらゆる組織を巻き込んだ、裏社会史上最多の死体を積み上げた、それは戦争だった。

 この八十八日間、ヨコハマを統べるのはポートマフィアだという事を誇示するため、殺して殺してただ殺した。

 だがそれはあくまでも武力に武力で抗ったってだけだ。そう言い訳ができた。

 後に治める事になるヨコハマの人間に必要以上の敵意や殺意を抱かれるのはこちらも思うところではないからと、民間人はなるだけ保護、殺すな、というのが首領ボスの意向だ。

 そうでなくとも殺すのはもうたくさんだ。血の臭いも取れない錆の色も、ひしゃげた肢体も割れた頭蓋も、もうたくさんだ。

 抗争がようやく落ち着きそうだってときに何をやってるんだ俺は。


「……息は、してる」


 本当にかろうじて、微かにではあるが呼気を感じる。まだ死んじゃいない。

 だが、が覗いていて、それだけで、もう助かるのは無理だろうという事を察して奥歯を噛みしめた。


(無駄な足掻きだとしても病院に連れて行くか? それともいっそ楽にしてやるか。この場合どっちが正しい?)


 思考がぐるりぐるりと意味なく回転している。

 瓦礫の海に、少女が一人倒れていて、ぽたぽたと血の赤を広げていく。

 どうにも思考が鈍った俺の耳に足音が届き、「中也くん?」と呼ぶ声にぎこちなく顔を向ける。我らが首領は現場のチェックにわざわざ瓦礫の中を歩いてきたらしい。

 俺の腕でかろうじて息をしている少女を見て取ると、首領の指示は早かった。「君、担架を」「はい」首領の後ろについていた黒いスーツの男が指示通りどこからか担架を持ってくる。

 そういえば首領は医者をしていたんだとかなんとか、そういう話があった気がする。


「中也くん」

「はい」

「生かすか殺すか、二択だ」

「……はい」

「少女自身に決める事はできない状態だから、君にこう。中也くん。彼女を生かすのか、殺すのか」


 俺が不注意で撥ね飛ばした、普通に生きて普通に死ぬという幸せを享受できるはずだった少女は、頭の左側頭部から脳を覗かせたまま担架で運ばれて行く。

 その様子を見ていると自然と言葉がこぼれていた。


「たすけて、ください」


 可能性があるのなら。羊の奴らとは違ってまだ届くのなら。その未来が、あるのなら。





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