第10話 邂逅

「ほう」

 猪苗代城を見るなり重吉は感心したように呻く。

 小西行長に仕え、天草国人一揆で獰猛な肥後国人と戦った経験を持つ重吉は、猪苗代城が容易ならぬ堅城であることを見て取ったのである。たかが一万石程度の陪臣がこれほどの城を整備するには、それこそ莫大な資金と人脈が必要であるはずだった。

「どうやら利殖に巧みという噂は間違ってはおらぬようですな」

 実戦的でありながら、確かな数寄者の手腕を感じさせる優美な庭のつくり、それだけでもかかった金は到底年貢米だけで贖いきれるものではないであろう。旧主小西行長がもともと商人の出身で、経済と数寄に明るかったために、重吉も覚えずそうした目を養っていた。

「はよう、立派なセミナリオをみとうおすな」

「ハイ、楽シミデス」

 三人とも猪苗代城に抱いた印象はすこぶる良いものであった。毎日生命の危険を感じながら続けてきた長い旅が今度こそ報われるのではないか、という予感を藤右衛門もアダミも感じていた。



「――――定俊様」

 藤右衛門たちの訪問を定俊に報せようとして、静かに書院の襖を開けたおりくは思わず絶句した。

 どこまでも深い藍色に染め抜かれた裃を着て、端然として正座瞑目した定俊がそこにいた。その裃は氏郷に拝領したもので、第一級の阿波染であり、氏郷の死後定俊が家宝として封印して以来、一度も着たことがないことをおりくは知っている。

 その装束で正座した定俊の全身から、まるで煙るように闘志が立ち上っていた。

 同じような定俊をおりくは何度も見ていた。同時にそれは、大阪城落城以降ついぞ見ることのなくなった定俊でもあった。正しく戦を前にした男の貌(かお)である。

 問題なのは、なぜ大坂城の落城以来、もう二度と見ることもないと思われた武士(もののふ)岡定俊の貌に戻っているのか、ということだ。

 いや、原因はひとつしかありえなかった。おりくにはない、定俊だけが持つ武士としての勘が、戦の匂いに反応したのだ。そしておそらくその匂いは、これからやってくる南蛮人から漂ってきている。

「ご機嫌がよろしいですのね?」

 たとえどんな内心の葛藤があったにせよ、おりくはそれを一切外に表すことはなく、どこまでも優しい目で定俊を見つめて言った。

「すまんなおりく。この昂ぶり、どうにも抑えられん」

 犬歯をむき出しに定俊は嗤う。極まった興奮に広い肩が筋肉の痙攣でぶるりと震えた。

「仕方ありません。ずっとずっと待ち焦がれていたものが来てしまったのですから」

 ほんの少し寂しそうにおりくは微笑んだ。

 ――あの日、大坂城で豊臣家が紅蓮の炎の中に滅び、日本から戦がなくなった日から、定俊は一種の抜け殻だった。幾度も肌を合わせてきたおりくには、定俊の心が年とともに潤いを失い、荒れ果てた大地のように乾いて徐々にひび割れていくのがわかっていた。

 だが、今の定俊の心は瑞々しい水が満ち溢れ、春の新芽が萌えるように芽吹いていた。たとえ身体は若返らずとも、心は若返ることがあるのだ。たとえ生命の危険があろうとも、定俊にとって戦とは、心が生きていくためになくてはならぬ糧であったのだろう。

 畢竟、武士(もののふ)とは、そうしたどうしようもない男なのである。そんな定俊に惚れてしまったのだからしようがない。おりくにできるのは死ぬまで定俊に寄り添い従うことだけだ。思えば最初からそう覚悟は決まっていた。

 初心を思いだして、おりくの心もまた健やかに若返ったようであった。

「――――しばらくぶりに亡き昌林院(氏郷)様の夢を見た」

「昌林院様はなんと?」

「それが……たった一言、好きにしろ、とさ」

 うれしそうに定俊は微笑した。まるで大好きな父親にようやく一人前の大人として認められた息子のような、面映ゆそうな笑みであった。

 定俊は氏郷に生前、会津のキリシタンを頼むと遺言されている。猪苗代に煌びやかなセミナリオを建築したのも亡き氏郷の希望によるものだった。定俊もまた、同胞たるキリシタンをその命にかえても守ると氏郷に誓った。その誓いを忘れたことはない。忘れるつもりもない。

 ――――だが

 それでもなお、誓いなど忘れて死ぬまでお前は武士として生きろ、そう氏郷に言われたような気がしたのだ。氏郷もまたキリシタンである前に生粋の武士(もののふ)であった。むしろ徹頭徹尾、骨の髄まで武士であったからこそ、心の平穏をキリスト教に求めていたように定俊には思えた。

 利休七哲の筆頭に数えられるほど茶道に親しんだ氏郷であるが、利休が秀吉に処刑されて以後は茶道からも遠ざかり、戦とキリスト教に没頭した。己の身体が余命いくばくもないことがわかっていてもなお、朝鮮出兵のために九州へ赴いたほどだった。

 戦のためならば人生のすべてを捧げても後悔はない。そんな若き日の血がむらむらと丹田から湧き上がってくるようであった。

 かつて若かりし頃の覇気を全身から迸らせ、定俊は獰猛に笑った。

「人生最後の大戦(おおいくさ)になる――そんな楽しい予感がするわい」




「摂津の産にて山藤右衛門、洗礼名をジョアンと申します」

 猪苗代城を訪れるとすぐに弁天庵に通された三人を代表する形で、藤右衛門が大柄な身体を深々と折って畳に額をこすりつけた。

「よくぞ参られた」

 藤右衛門やアダミが国外追放を受けた罪人であると知っても、定俊の態度はいささかも変わらなかった。そんなものは会う前からある程度は察している。信仰を守って追放された程度で、同胞を見放すなど思いもよらぬことであった。

 自慢の日差しが明るすぎる茶室で茶をたてながら、定俊は屈託なく笑った。

「長旅お疲れであろう。兄弟の家と思って寛いでいただきたい」

 アダミは定俊の言葉に素直に安心して莞爾と笑った。しかし残る二人の同志――武士はそう素直には受け取れなかった。なぜならまるで、この場所が戦場になったようなひりつくような緊張感が茶室全体に漲っているからである。

 迂闊な動きをすれば、次の瞬間には定俊の刀で貫かれているのではないか。障子の向こうから矢が飛んでくるのではないか。そんな身の置き所のない心細さに、藤右衛門と重吉は胸を圧迫されているかのように呼吸を乱した。

 無論それはただの心象にすぎない。茶室は当然のことながら武器を持ち込むのはご法度であり、定俊は悠然と茶杓を操っているだけなのだが、うなじから背中のあたりに嫌な汗が噴き出るのを藤右衛門も重吉も抑えることができずにいた。

 ――――ごくり

 比較的年の若い重吉が、生唾を飲みこむ音がしん、と静謐な茶室内に生々しく響き渡った。そこではじめて気づいたように定俊は苦笑して頭を掻いた。

「これはご無礼を。年甲斐もなく胸が躍っておりまする」

 つと、今まで茶室を満たしていた死と隣り合わせのような張り詰めた空気が、雲散する。ようやくにして藤右衛門と重吉は太いため息を吐いて脱力した。この二人、今の今まで本気で死を覚悟していたのである。

「トテモ美シイセミナリオデス。早ク私モ教壇ニ立チタイデス」

 根が素直なのだろう。あまり美味しくもなさそうにアダミは茶を啜るが、顔はうきうきと子供のように笑み崩れていた。

「願ってもないこと、残念ながら我がセミナリオでは指導者が不足しておりましてな」

 アダミのような本格的な教育を受けた宣教師なしに、セミナリオの運営は事実上不可能であるともいえる。セミナリオはあくまでも教会ではなく、教育機関なのだ。純粋な日本人による宣教師が神学的な教養を蓄えるには、まだまだキリスト教が布教された時間は短すぎた。

 フランシスコ・ザビエルによるキリスト教の伝来から、誕生した日本人司祭はわずか九人ほどで、しかもその半数近くが追放され異国で客死している。また残る日本人司祭も活動期間は短く殉教に至っており、正確なキリスト教の教義体系――神学は日本には根づかなかったのである。

 その結果として幕府の目を逃れるため地下に潜った禁教令以後のキリスト教徒は、土着の信仰と結びついて変質を余儀なくされた。子安観音をマリアとしたり、納戸神をキリストにしたり、独自の場所を聖域にしたり、オラショに代表される翻訳不可能な祝詞を口伝するなどして、幕府の追及を逃れ生きのびるためにその姿を変えたのである。

 そのため明治以降、禁教令が解かれたのちも先祖代々受け継がれてきた土着のキリスト教を守る人々を隠れキリシタンとよび、カトリックに復帰した人々は潜伏キリシタンとして区別される。いずれにしろ華やかなりしパリ大学、カルチェ・ラタンという当時最高の学び舎で、神学を学んだフランシスコ・ザビエルの教養を受け継ぐものはついに日本には現れなかった。

 定俊はそこまで考えていたわけではないが、自分たちが教義に対する理解度が不足していることくらいは十分に承知していた。

 なかなかそこに思い至る武将は少ない。高山右近のような例外を除けば、キリシタン大名のほとんどは、南蛮との貿易と進んだ科学技術が欲しかっただけでその信仰は見せかけである。また実際に信仰していても、学問としての神学に理解のある大名はなお少ないのだ。

 アダミや藤右衛門の、定俊を見る目が変わろうとしていた。

 己の野心のためにキリシタンを利用しようとしただけの政宗と定俊は違う。信仰に対する敬意の払い方でそれを察したのである。

 だが、重吉だけは二人ほど素直に定俊を信じることはできなかった。むしろ壮大なセミナリオと、その目的を理解している定俊の力の源はなんだ――それは金、金ではないか。吹けば飛ぶような一万石の領地などではなく、莫大な資金力こそが定俊の力の源泉であるとすれば、はたしてこの男を信用してよいものか、と疑ったのである。

「それにしても見事どすな。こないな結構な建物、京大坂でも見たことおへん」

「左様……はたしてこの日本(ひのもと)にどれほどここまでの財力を自由に使える大名がいることか」

 石高だけなら定俊を超える者はいくらでもいるだろう。しかし伊達政宗も含め、石高が多い大名には多いだけの苦労があり、家臣があり、格式がある。いわば定俊は給料の何十倍も副業で稼いでいるわけで、可処分所得が桁違いに多いのだ。

 セミナリオだけではない。この茶室も恐ろしく凝っている。天井板は楠の一枚板であり、京都の鹿苑寺に倣ったものと思われた。また城の廊下から見えた八曲の屏風は、おそらく狩野長信の手によるものであろう。狩野永徳の弟で、安土城の障壁画で力を発揮した当代一流の絵師である。並みの大名では手に入れるのも難しい高値がつくはずであった。

「政と違って銭は裏切らぬのがよい。もっとも、裏切りはせぬ代わりに、人を迷わせはするのが困りものだがな」

 そういって定俊は呵々と笑った。

 銭はどこまでいってもそれ自体に価値はない。銭は交換するものにこそ価値があるのであって、交換の融通性のために産まれた仕組みにすぎないのだが、往々にして人は銭そのものに妄執してしまうのである。

 定俊は銭自体は好きだが――まあ、その程度は別として――銭が利用してこそ力を生むものだということは知っている。

 ――ゆえに迷わない。たとえ主君を凌駕するほどの財力をもっても、その力の大きさを誤解することはない。

 世の中には、銭とは交換できないものがあり、実はその交換できないものほど途轍もない価値があるものだ。まあ、そんなことに関係なく銭はよいものだが。

「人を迷わせることもまた十分な力と存じますが」

 定俊の言葉に満足しなかったのか、重吉は重ねて問いかけた。

「だが武士(もののふ)は迷わぬ。だからいかに銭の力が大きくとも、銭の力だけでは天下はとれぬ」

 そう確信しているところが定俊の武士たるゆえんであり、同時にこの時代の武士の共通した矜持であった。信長以来ようやくその萌芽が見えたとはいえ、経済力が人口と武力の指標となるのはまだ後の世の話である。戦国を戦い抜いた定俊の声には万鈞の重みがこめられていた。

「銭で天下はとれまへんか?」

「とれぬな。もし本当にとれるなら、俺は武士ではなく商人を選んでいただろうよ」

 確かに戦に銭は必要不可欠といえる。銭を自在に操った秀吉が天下を取れたのがその証左であった。だが兵は銭だけでは決して戦うものではない。まして将は大将の器量でしか動かぬものだ。銭で動かぬものにこそ本物の価値がある。信仰や忠誠がまさにそれだ。現に氏郷死後続く蒲生家中の混乱は、蒲生家が銭や禄ではなく氏郷のカリスマによってまとまっていたために起きているのであった。。

「では――――信仰は? 銭の力で信仰は守れましょうや?」

 重吉から投げかけられた何気なく思える問いに、並々ならぬ覚悟が含まれていることに定俊は気づいた。

 期待していた伊達政宗にも裏切られ、大友宗麟や高山右近はこの世になく、彼らキリシタンを支えるものは同胞の結束と――異国の知識と資金。それしかない。

 武力でもはや幕府に敵わないことはわかっている。もちろん、抵抗することはできるだろう。あるいはいくつか大名の首を挙げることも可能かもしれない。しかし最終的に戦争に勝利することはまず不可能に近かった。

 殉教することは怖くない。むしろ名誉である。だが、同胞たちが弾圧されることに心が揺れぬはずがなかった。はたして座してそれを見ていてよいのか。たとえどんなに小さくとも、勝ち目があるのならそれに賭けるべきではないか。いや、勝ち目がなくとも抵抗するべきではないか。

 三人のなかで、重吉だけがいまだ武士であることを定俊は一目でわかっていた。この男だけがまだ戦って勝つことを諦めていない。

 定俊の思うところ、畢竟、武士(もののふ)というのは戦うことでしか生き方を貫けぬ男である。藤右衛門は歴戦の元武士かもしれないが、もはや武士ではない。彼は戦わずとも敵と話し合うことで、憐れむことで、神を敬うことで、己の生き方に折り合いをつけることができる。しかし定俊や重吉にはそれができない。戦うという儀式を経なければ、敗北や諦めを受け入れることができないのだ。

 ――その重吉が銭で信仰を守れるか、と問う。

 すなわち、重吉は言外に銭で同胞を守れないのなら戦うべきではないか、と言っているのだった。同時に、この男のいう銭とは――――おそらく定俊の個人資産ではない。

「貧しき同胞にとっては銭こそが何より力となろう。それは間違いない。しかし信仰を守るために、本来銭などはいらんのだ」

 そも、信仰とは己の魂の在り方ゆえに。

「では同胞たちに黙って死ね、と?」

 失望したように重吉は唇を噛んだ。

 政治力も武力もないキリシタンが信仰を守る、というのはもはや殉教以外には考えられない。幕府の弾圧から銭で身を守れないとはそういうことである。

「俺は常々思うのだが、信仰とはそもそも、他人が守るべきものか?」

「なんと?」

 重吉は憤慨したように叫ぶ。

 しかし定俊は可能な限り手助けはするつもりだが、究極的に信仰とはその人間個人の心の在り方であると考えている。神の前に人類が等しく兄弟であるというのはそういうことではないか? 少なくとも定俊は自分の信仰を家や家族に守ってもらうつもりは微塵もなかった。

「力無キ民ハ守ラネバナリマセン。彼ラノ手ニ剣デハナク鋤ガ握ラレテイルノハ、彼ラノセイデハナイノデスカラ」

「民の生活と平穏を守ることと、信仰を守ることは違う。いずれ今の平穏が失われても信仰を守れるか、どう守っていくか、あるいは捨てるのか誰もが考えなければならぬ時が来ているのだ」

 今の定俊なら、キリシタンの同胞を国外へ逃がすこともできよう。しかし彼らは住み慣れた土地を捨ててまで信仰を守ることを望むまい。良くも悪くも農民とはそういうものだ。

 本当は定俊も、重政に言われるまでもなくわかっていた。近い将来この地から信仰は失われてしまうのだということを。

「……やはり平穏は続きまへんか」

「この俺の寿命もそう長くはないし、我が蒲生家も亡き御母堂が大御所の娘だから大目に見られている部分がある。いずれ破綻は避けられまいな」

 弟の岡重政が大御所の命で切腹させられたのは、大坂の陣の翌年の元和元年のことであった。重臣蒲生郷成を追放し、ついに藩の実権を掌握した重政であるが、忠郷の実母である振姫との権力闘争に負けたのである。

 その命令がどれほど理不尽なものであったにせよ、重政は定俊に手出し無用と文を送って逍遥と腹を切った。

 蒲生騒動以来、家臣同士のいさかいが続くことを嫌った振姫が、人気のない嫌われ者の重政に責任をかぶせたともいう。はたしてそこにキリシタンの扱いに関する事情が絡んでいたかどうか、定俊にはわからない。

 いずれにしろ重政の死後、蒲生家はより幕府に気を遣うことを強いられていた。

 このままキリシタンの弾圧が続けば、蒲生家としても、もはやキリシタンを排除することをためらわぬだろう。

 この数年、家中で自分が孤立し始めていることを定俊は肌で感じていた。

 とはいえ、下手に断罪してキリシタンが一揆など起こせば、やはり蒲生家は管理不行届きとして取り潰されてしまう。残念ながら藩主、蒲生忠郷には伊達政宗のようなカリスマと統制力はない。藪をつついて蛇を出す危険を犯すわけにはいかなかった。領民のおよそ二割から三割がキリシタンと推測される現状では当然の配慮であろう。おそらくは定俊が死んで、邪魔者がいなくなってから、一気にキリシタンの粛清を進めるつもりではないだろうか。

 あるいは謹厳実直にして剛毅果断な弟重政が生きていたなら、案外もっと早い段階で自分は粛清されていたかもしれぬな、と定俊は嗤った。

 あの重政ならば、蒲生家を守るために単身定俊と刺し違えるくらいのことは、いとも容易くやってのけるはずであった。

 この猪苗代の地もすでに安住の地ではない。定俊の言葉を三人は暗澹たる思いで聞いた。それが定俊のせいではなく、世の流れであるとわかっていても、どこか認めたくない思いがあった。

 まだこの日本の片隅でもいい、自分たちが穏やかに生きていける望みがあるのだと信じたかった。


「――キリシタンノ王国ヲ築クノニ、百万両デハ足リマセンカ?」


 現実の未来はあまりに悲観的なものである。

 重苦しく一筋の希望の見えぬ空気に、思わずアダミがすがるように定俊に呟いたのはそのときであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る