Chapter37・決行だ!

高一 九月 火曜日 三限前十分休み 一年B組教室


 結局二限になっても二人は帰って来なかった。おかげでいつもは教科書に載っていない歴史知識をやたらと高校生同士の恋愛や喧嘩に例えて面白可笑しく説明してくれる先生による世界史の授業も全く耳に入らない。普段は笑いの絶えない授業なのに俺が貧乏ゆすりを注意されるほどに教室も静かだったのを考えると二人を気にしているのは俺だけではないらしい。しかしこの雰囲気も二限が終わるまでだった。


 世界史の先生が教室を出るのと入れ替わりに二人が帰って来たのだ。俺は咄嗟に和歌の表情を確認して安堵する。心なしか口角が上がって見える口元に自信を感じたからだ。顔面が感情と直結している和歌なら間違いない。きっといいことがあったんだ!


「じゃあ和歌さん、また後でね」


「うん、ありがとう」


 自席に戻る途中で二人が交わした言葉を俺は聞き逃さなかった。


(マジか! 和歌の奴、自分でやりやがった!)


 自席に座る直前に目が合うと和歌は「てへっ」とはにかんでから俺にだけ聞こえるように一言だけ。


「姫野さん……いえ、穂奈美さん分かってくれたわ」


 その言葉に思わずガッツポーズを決めて「よっしゃー!」と叫びたくなるが、何とか理性で抑え込む。だって姫野さん自身はもともと無視に肯定的ではなかった人なんだから彼女を取り込んだからと言って迂闊に喜んだりするべきじゃない。


 心配して姫野さんを確認すると案の定小石川さん達がこちらをチラチラ見ながら何か姫野さんに話しかけている。


(やっぱりな。お姫様にこっちになびかれると都合が悪いだろうからな。ならば今度は俺がその都合とやらも全部消し去ってやる! 和歌がやったんだ。今度は俺がやる!)


 俺は立ち上がると深呼吸をしてから姫野グループに向かい踏み出した。俺の接近に気付いた小石川さんら侍女達がチラ見していた視線を反らすが構うものか、目指すのはただ一人。つい先ほど和歌が立っていた位置に今度は俺が立って姫野さんに対峙すると否応なしに警戒心丸出しの彼女と目が合う。俺は一息深呼吸をして覚悟を決めた。決めたのだが……頭を垂れて思いのたけをぶつけようとするあまりに。


「ふぉっ! ふふぉ、ふぉなみぃ――! あるがとぅっ!」


 噛んだ。そりゃもう盛大に。やらかしたと思って恐る恐る頭を上げると穂奈美さんはハニワ顔になって唖然としていた。だが普段見ない表情を記憶に留める間もなく俺と目が合うとハニワ目がジト目に変わる。


「あんた……何やってんの?」


「和歌の話を聞いてくれたお礼がしたかったんだよ。けど、やっぱり穂奈美は優しいんだ! と感激したあまりに噛んじゃった」


「んなこと分かってるわよ! なんでいきなり名前で呼んでんの? って聞いているのよ!」


「あ、やっぱりだめか、じゃあ穂奈美さん?」


「あんたからかってる?」


「からかってないよ! 和歌だけ名前で呼ぶのもなんだしなって思ったんだよ」


「それはあんた達が幼馴染だからでしょ! あたしはあんたとそこまで仲が良かった覚えはないんだけど?」


「米沢、あんたいきなり馴れ馴れしいよ?」


 お姫様が異議を唱えたので大義名分を得たと思ったのだろう、案の定小石川さんも口撃に参加してくる。望むところだ、ここで決めてやる。


「ごめん、確かに馴れ馴れしいよな。でも思ったんだ。和歌だけじゃなくてみんなと仲良くなりたいってさ。だから穂奈美さんも留依さんも俺が名前で呼びたいと思った!」


「ちょっと待ってよ私達の意思は?」


 普段口では女子に勝てない俺が堂々と言い切って予想外だったのか、目を見開いて驚く留依さん。見かねて穂奈美さんが援護する。


「留依の言う通り。あんたが呼びたくてもあたし達が呼ばれたいかは別よ。それくらいの空気は読みなさいよ」


「てことはつまり俺と名前で呼び合うのは嫌でも、和歌とは自分の意志で名前で呼び合ってくれたんだろう? 和歌は穂奈美さんと仲良くしたがってたからさ! それだけで嬉しいよ! ありがとう!」


「あんた! わざと空気読まないで論点すり替えたでしょ! ちょっと! そんな笑顔で見ないでよ! やりにくいじゃない! ああっ、キモい!」


 キモいと言われても本当に和歌を受け入れたと分かって嬉しいんだから仕方ない。穂奈美さんの語彙力が明らかに低下しているのはクラスメイトの前で和歌との仲直りを認めた気恥ずかしさからだろうか。お姫様が俺の全肯定スマイルにたじたじになると、もはや無視を主導していたと思われる女子達も表立っては抗議してこない。だがヒソヒソ話しているから納得はしていないんだろう。


(まあそりゃそうだろうな。じゃあもう一押しするか――)


 そう思って口を開こうとしたものの肩を触れられた感覚に振り返る。冴上だ。サッカーの試合中によく見るゴールだけを見据える顔に似ている。この表情の冴上なら任せていいはずだと直感的に感じた俺は吐き出しかけた言葉を抑える。そして小さく頷いて見せると熱に任せた俺とは異なって牧師のような落ち着きつつも通る声で語りだす。


「ルーさん、いきなりすぎるよ。女子がびっくりしてる。それよりも前にするべきことがあるだろう?」


「え、するべきこと?」


「ああ、まあ聞いていてくれ。みんな! 聞いてほしいんだ!」


 俺に話すのかと思いきやクラス全体に対して話しだすとクラスメイト達が注目する。


「ルーさんの気持ちは俺もよく分かる。俺だって女子とも仲良くしたいからな。でもさ、まずルーさんに限らず俺達男子がまずするべきことがあるんだよ。みんなもここ最近のクラスの雰囲気には気が付いていると思うけど、その原因が俺達にあったとしたらどう思う?」


 何のことやらとざわつきだすのは日曜日の作戦会議にいなかった男子達。


「二週間前に和歌さんが転校して来たよな。その時の俺達の態度だよ。今考えれば和歌さんが親しみやすくて名前で呼んでくれるからって俺達だらしなかったんだよ。海外の文化で育ったからだって薄々気付いていた奴もいたんじゃないか? ぶっちゃけ俺は気付いてた。でもあんまり日本じゃ一般的じゃないって指摘しないまま俺も乗っかっちまった。なんか嬉しくなって受け入れちゃったんだよな」


 ここまで語られれば流石に無視のきっかけが盛った自分達の行動だったと気が付いたのだろう。気まずそうにうつむく男子達。


「だからさまずは女子みんなに謝ろうぜ。空気読まないでごめんってさ」


「そうだな。謝ろう! 空気読まないでごめん!」「俺も……ごめん」「僕も……」


 冴上が促したことで作戦会議にいた面子が率先して謝りだすとつられるように他の男子も続く。クラス中で男子が女子に謝っているという体験したことがない空間に謝罪を受けている女子達も気まずそうな雰囲気を醸し出す。


(この空気どう収拾すんの?)と俺も不安になってしまい冴上を見ると、彼は教室でただ一人満足気だ。


(ごめんなさいで終わりじゃないってことか、任せていいのか? 任せるぞ王子様!)


 俺も腹をくくって頷いて見せると冴上も小さく首肯した。頷きは小さくとも目がガチだ。サッカーでこの目をしている時の冴上はたいていパスさえ通せば後は個人技で繋いでくれる。確信した俺が場に合わせて女子に謝ると再び彼が演説を始める。


「みんなありがとう! 無茶振りに応えてくれて嬉しいよ! 次はこれからどうするかだ! 俺はルーさんにならって和歌さんだけじゃなくてみんな名前で呼び合えばいいと思う! そうすれば誰も浮かないしもっとクラス中で仲良くなれるぞ!」


「おおっ!」と沸く男子の声と「ええぇ――!」と恥ずかしさ交じりに反発する女子の声が同時にこだまする。作戦会議に出たバスケ部達がまるで通販番組のサクラのように盛り立てているから男子の方がやや優勢か。次の授業まであと二分もないのに教室はこの十分休みで最も混沌を極めていた。


(さて次はどうする?)


 次の一手を考え始めたその時、ふわりと紙飛行機が教室を舞った。ルーズリーフを折って作られたそれが喧騒にまみれた教室をゆらゆらと飛ぶその姿はあまりにも不釣り合いで、ある生徒は出発地を、またある生徒は目的地に顔を向ける。


「留依! 中見て!」


 紙飛行機の出発地で留依さんを呼んだのは桜木君だった。そして留依さんの机の上には無事に目的地に到着した紙飛行機が横たわっている。それまで俺に不満気に文句を垂れていた留依さんではあったが桜木君の声にはっとして紙飛行機を手に取る。周りから隠して中身を確認すると留依さんは頬を赤らめて小さく頷く。


「よっしゃ! じゃあ後でな!」


 握り拳を作って桜木君は歓喜すると爽やかに笑顔を返した。


「うん」


 その笑顔に応じて耳まで赤くなった顔で再び頷きながら返事をする留依さん。決して教室中に通るような大きな声ではなかったが多くの生徒が聞いていたと思う。誰が静めるまでもなくさっきの喧騒が嘘であるかのようにみんな二人に注目していたから。そして止まった時間を動かすがごとく次の授業のチャイムが鳴った。

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