Chapter38・人を想う涙は美しいんだ

高一 九月 火曜日 放課後 一年B組教室


「はっはっはっ」


 秋の西日が射し込む廊下を駆け足で急ぎ教室を目指す。怒涛の一日を終えて一刻も早く和歌から詳しい事の顛末を聞き出したかったものの、やっと放課後になったかと思いきや和歌は同じ目的を持った式部先生に連れ去られてしまっていた。やむなく補習で時間を潰してようやく話を聞けると思うと気ばかりが焦ってしまう。俺は空きっぱなしになっている教室のドアに手をかけると和歌の席を確認する。


(なんだまだいないのか……)


 一時間きっちりの補習を受けた俺の方が絶対に遅くなると思っていたので、ここにいなければどこかと思う。だがその心配は間もなく霧散する。


「時間通りね。今日の補習は誰だったの?」


 和歌だった。廊下からは死角に当たる廊下側の席で会話していたから見えなかっただけだった。他に藤吉さんを含めて三人の腐女子グループがいるので一緒に時間を潰していたのだろう。


「荒竹先生だよ」


「そう、私のこと心配していた?」


「いやむしろ安心していたよ。式部先生から問題について聞いて責任を感じていたらしいから」


「そう、なら良かった。式部先生も私の話を聞いたら安心してくれたわ」


 満足そうに微笑む和歌。なんせ四限の英語Cの授業では姫野さんが和歌とのグループワークを申し出たものだから何の前振りもなく対応を求められた先生としては緊張したに違いない。結果として俺が和歌からは発音や表現の、姫野さんからは文法の指摘を受けまくってサンドバックになっただけで問題にはならなかった。むしろ二人のツッコミでグループが笑いで沸いたくらいだ。


「じゃあ米沢君も着たし私は帰るね。あ、これからは英紀君って呼んだ方がいいのかな?」


 言葉を交わす俺達に藤吉さんが割って入ってくる。


「藤吉さん達、和歌の話相手になってくれていたのか。ありがとう。あ! 俺も絵美さんって呼んだ方がいいのかな」


「私はOKだよ。いいけどむしろ私達より男子達と熱く、いやもっと暑く厚く呼び合ってほしいかな。休み時間の時の英紀君と遼君のアイコンタクトすっごく良かった! キュンキュンしちゃった! もう私の脳内でセリフが再生されちゃってたよ! 『遼、いいのか?』『ああ英紀、全てを俺に任せてくれ』ってね。ああ! 早くマンガにしたい!」


「うん、それは止めて……」


 確かに冴上とはアイコンタクトを取った自覚はあるし言葉自体はその通りだけど、藤吉さんに言われると意味が異なって感じられて複雑だ。しかし「分かる分かる!」「良かった!」と盛り上がる彼女達に水を差すほど野暮にもなれない。むしろ和歌を一人で待たせないように気を使ってくれたんだ。なら俺が言うことは一つしかない。


「絵美さん達早速和歌に付き合ってくれてありがとう。まだ今日明日で事態が治まるか分からないのに」


「それは大丈夫じゃないかな。小石川さんお昼休みの告白で桜木君と付き合うんでしょ? 嬉し泣きして帰って来るくらい素敵な告白されたらもう頭の中はお花畑よ」


 どうやらあの紙飛行機そのものはラブレターではなかったらしく、昼休みになるやいなや二人は緊張の面持ちで教室を去ったかと思えば今度は手を繋いで帰ってきた。しかも留依さんは嬉し泣きしていたのだからそれはもう教室中の生徒が度肝を抜かれたものだ。おかげで昼休み中に和歌と話す間もなくなったが。


「ああ、あれな。いったい桜木君昼休みに屋上で何やったんだか」


「さあ知らないわ。とにかく姫野さんについては和歌ちゃんが自力で解決したみたいだし姫野さんグループの半分がもう無視のことなんか考えなさそうなんだから大丈夫でしょ? 和歌ちゃんも英紀君も安心して」


「ありがとう絵美……」


 知的な縁なしメガネに手癖で触れつつ慈愛に満ちた微笑みを浮かべる絵美さんに思わず見惚れてしまう俺。およそ一週間ぶりに女友達の優しさに触れて感極まりそうな和歌。そして絵美さんの傍らで和歌の震え声の感謝を聞いた他の腐女子グループ達二人。彼女達は和歌よりも先に想いをたかぶらせて和歌に抱き付くと二人で和歌の頭を撫でながら泣きだした。


「和歌ちゃん良かったね!」


「あの時は無視してごめんね! 私怖かったの!」 


「……みんな……うっ」


 それまで感情の発露をこらえていた和歌の口元が緩む。あの休み時間からずっと続いていた緊張の糸が自分を再び受け入れてくれた女友達の抱擁を受けてプツリと切れたかのように和歌は双眸に涙を浮かべ。


「ううぅっ、わた、グスっ、ワタシも、私も怖かった! 怖かったよぉ――ああぁぁぁ――ん!」


 両肩の友達を自らも腕で抱き返して泣き出した。普段自宅では鉄でできた女とばかり接しているからか、他人を想う女の涙のあまりにもの美しさに俺も心を打たれてしまう。


「はい英紀君、使う?」


 ふいにティッシュを差し出す絵美さん。


「へ? あ、別にいいよ。大丈夫」


 まさかこの状況で声をかけられるとは思っていなかった俺は間抜けな声をあげて絵美さんの方を向く。BL語りをする時以外は割と冷めた印象がある絵美さんもまたメガネを外してハンカチで涙を拭っているのを見て俺も自分の目頭が熱くなっているのを自覚する。なんだか人前で泣くのは恥ずかしいと思った矢先。


「男の子が泣いてもいいんだよ。好きな女の子の幸せのために泣けるならかっこいいと思うよ」


 再び絵美さんに見透かされたような言葉を投げかけられてドキリとしてしまう。


(好きな女の子? 俺が? 和歌を? 好きなのか?)


 言葉の意味を素で考えると余計に気恥ずかしくなる。


「絵美さんも好きな男の子同士以外のためにも泣けるなんてかわいいと思うよ」


「素直じゃないね。まあそういう子供っぽいところも男の子らしさかもね」


 俺がつい強がって返したひねくれた返事を絵美さんは口端で笑って流すと自らも和歌達と抱き合い優しく彼女達を撫でるのだった。

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