Chapter36・真鶴和歌は日本人だ!

高一 九月 火曜日 朝 校内


「やばっ、和歌の奴足早えな。インドア娘じゃなかったのかよ」


 流石はアスリートの娘と言ったところだろうか、歩道から左折して学校の敷地に入ると既に和歌の姿は見えなかった。十秒に満たないとはいえ愛美ちゃんにイラついて反論を考えた自分が恨めしい。


(くそっ、決意を改めたんじゃなかったのかよ俺は! 今更あの女を責めたところで何にもならないのに!)


 思考を後悔に捉われて昇降口に入ったため、またどこに行くべきか迷ってしまう。とりあえず教室に向かうという至極まっとうな判断さえできない自分に更に焦りを覚えながら教室に入ると。


「どうしたの? いきなり?」


 姫野さんの怪訝そうな声が聞こえた。決して大きくはない声ではあるもののはっきりと聞き取れたのは教室が静まり返っていたからだ。自席に着いた姫野さんの正面に彼女を見下ろす形で立っている和歌。状況からこの静けさは和歌が何かをしたからだと直感的に察する。


「I've just met the guy who you dated, on the way to get here.(ここに来る途中であなたがデートした男と会ったわ)」


「それがどうしたのよ?」


 眉を寄せて和歌を見上げる姫野さん、見下ろされている形だが動じていない。ということは意味が分かっているということか。周りには英語の意味を分かりかねたのかヒソヒソ相談をする生徒達。会話の様子を伺いつつ俺は恐る恐る自席に着く。


「He’s with another girl and walking as if they were dating.(彼、他の女の子といた。まるでデートでもしているみたいに歩いていたわ)」


「I knew it. I'm not so shocked to hear that.(やっぱりね。そんなに驚くことでもないわ)」


(英語で返すってことはやっぱり聞き取れているんだな。それに会話に応じる気もあるのか? それにしてもなんでそもそも英語……? あ、そうか)


 ジェジェ先輩にキレてから姫野さんに凸っているのだから彼に絡む話題と考えるのが自然だろう。周りに分からないように英語を選んだということか。和歌なりに考えてはいるようだが分からない俺には困りごとだ。耳では分からない部分を補完するためにも俺は彼女達の表情に集中する。


「Why can you stay so calm even you're gonna be played?(遊ばれそうなのにどうしてそんなに落ち着いていられるの?)」


「It's none of your business.(あなたには関係ないわ)」


「No, it's not, but I can't leave a girl who's gonna be forced an unexpected kiss!(ええ、私には関係ない。でもね、望みもしないキスを強いられる女の子を放ってなんておけないわ!)」


「えっ……? Did he say that to you?(彼がそう言ったの?)」


 驚いたのか少し目を見開く姫野さん。彼女の感情の変化に乗じて和歌の言葉も熱を帯びていく。


「Not to me, but he did say that to the guys in the soccer club. He bragged about the next dating, and then he said, "I'm gonna kiss her in the next time."(私にじゃなくてサッカー部の人達に言ったんだって。次のデートの自慢をしてから『今度はキスしてやるよ』って)」


「……」押し黙る姫野さん、しかし論破されているような屈辱感は見られない。


「Look Himenosan. Is this what a guy who loves you says? If a guy like him kissed you, he'd be going to brag about how he felt your lips like. Can you stand it? As for me,I want to keep its memory only in my mind, and the guy should do that as well. Show it around for fun among the guys? That's impossible! I'd like you to cherish yourself and have no regret!(ねえ姫野さん、あなたのことを愛している人がこんなことを言うかしら? いざキスをしたら彼は今度はあなたの唇について自慢するわ。そんなのあなたは耐えられるの? 私はキスの想い出は私の中に留めたいし、男もそうするべきよ。面白がって男同士で見せる? あり得ないわ! あなたに後悔してほしくない。私はあなたに自分を大切にしてほしいの!)」


 教室の生徒達の果たして何人が聞き取れているのか分からない。無視に加担している女子達は冷ややかに、その他の女子と男子達は不安気に、一貫した様子で二人に注目していた。しかし姫野さんだけは違う。和歌が語りかけるごとに固く結ばれていた口は緩み、眉間の皺は薄れ、目を見開いて行く。和歌が一息ついた時姫野さんは周りの雰囲気とは異なりただ一人呆けた顔で和歌を見つめていた。整った顔立ち故か、口を開いた呆け顔でもむしろ可愛らしく見えてしまう。例えるなら聖堂で天使の降臨を目の当たりにした修道女といったところか。


「あなた……何をやっているの? 私の心配なんかしている場合じゃないでしょう? あなたは自分が置かれている状況を――」


「私はいいの! 今私に起きている問題の原因は私にあるから。でも……でももし私がきっかけで、あなたの、あの……あなたに後悔してほしくない!」


 ジェジェ先輩絡みの話が終わったのだろうか。日本語に戻そうとするも、興奮が邪魔して切り替えが上手くいかないようで、しどろもどろになりながらも尚も真っ直ぐな瞳で姫野さんに語りかけた。すると姫野さんは和歌から目を逸らさぬまま立ち上がる。


「なんで? なんで、自分が苦しんでいるのにそんなに他人のことを考えられるの? あたしなんか……今だって……いえ、いいわ。真鶴さん、来て!」


 和歌の手を取って教室から出ようとする姫野さんの挙動を見て反射的に俺も後を追おうとするが、見越していたのか即座に姫野さんは鋭い眼光で俺を突き、「米沢は来ないで!」と言い放った。その迫力に俺は石像のように立ち尽くしかける。まるでメデューサだ。


(いや、何話しているか分からなかったのにここで行かずにいられないだろ!)


 何とか石化を解いて足を踏み出そうとする俺。しかしまた俺は立ち尽くすことになる。


「私を信じて!」


 姫野さんに手を引かれて教室を出るその瞬間、和歌の言葉を聞いたからだ。大きくなくとも通る落ち着いた声色、俺を真っ直ぐに見た瞳が言葉と相まって決意を感じさせた。だから迷った。俺は和歌を守ると決意を改め、和歌も決意を持って信じろと言っている。この相反する決断に迷わないはずがない。しかし時は過ぎるもの、俺の葛藤を背に二人は教室を去って行った。


 その後朝礼にやって来た式部先生から二人は一限を欠席するとの報告を受けた俺は悶々とホームルームを過ごすのだった。明るい式部先生の軽快なトークも今日だけは空回りしてしまい、いつもの和気あいあいとしたホームルームにはならなかった。


※訂正、本章は火曜日であったのを誤って月曜日のロングホームルームを悶々と過ごしたと書いておりました。月曜日とロングホームルームの文言を削除致しました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る