Chapter35・朝から昼ドラだ!

高一 九月 火曜日 朝 通学路


 俺達の通学路である目黒川沿いの遊歩道では九月の下旬を迎えているにも関わらず未だに運命の相手を求める蝉の鳴き声がまばらに聞こえる。昆虫採集に興味を示さなくなってからは暑さを助長する彼等の鳴き声はうっとうしく思えていたものの、今は決して諦めず運命の恋のために鳴き続ける彼等に不思議と親近感を感じていた。


「どうしたの? 上なんか見て」


 並んで歩く和歌に問いかけられて、俺は遅鳴きする蝉と今まさに諦めずに行動しようとしている俺達を重ね合わせていたと返す。今日真鶴家の玄関で挨拶を交わしてから初の会話だ。先週までなら日課の英語アニメで聞いた表現の意味を確かめるところだけれども、今日これから実行する計画を考えるとどうもそんな気分にはなれなかった。


「そう、日本人って本当に自然から感じ取ったことで物事を考えたりするのね。私はただ珍しい虫の音がするくらいにしか思っていなかったわ」


「へぇ、蝉って珍しいのか」


「珍しいというよりオランダにはいなかったわ。夏休みにイタリアやスペインに行った時はいたと思うけど、それでも日本ほどうるさくなかったから考えたことがなかった」


「マジか、四季がある国ならどこにでもいると思った」


「本当よ。やっぱり私って日本語を話していても日本人じゃないのね。あなたが蝉の鳴き声で季節を感じたのに私は言われるまで分からなかった。こんな名前なのに」


 自嘲にもとれる言葉選びではあるものの、遅鳴きの蝉に劣らずはっきりとした語り口であったため気負いせずに素直な気持ちで返す。


「名前? いい名前じゃないか。純和風な響きが綺麗でさ」


「ありがとう、私もそう思う。でもね、だからこそ頭で分かっても感じられていない自分が残念なのよ。せっかくパパが付けてくれたのに」


「教英先生が付けたのか。どんな意味があるの?」


「私が生まれた時にはもうヨーロッパの大学からのオファーがいくつかあったらしくてね、私も連れて行くつもりだったのよ。それで海外でも四季と自然を愛する日本人の心が育ってほしいと思って付けたんだって」


「いいじゃないか。教英先生らしい。流石言語学者だ」


「ふふっ、ありがとう。でもまだ名前の通りになってないな、私は」


「気にすんなよ。これからだろ? 日本で暮らし始めてまだ半年なんだから。それに日本人の感性なら日本語しか話せない俺が教えるって言ったろ? 俺が英語を教わる代わりにさ。ギブアンドテイクンだよ」


「ふふっ、それだと与えて取られるの意味になるわ。あなただけが損しちゃう」


「あっ、そうだテイクか。へへっ、でも見ての通りだろ? 俺といれば気付けば日本人になってるって」


「そうだといいね。でもあなたは違う……。いいえ、何でもないわ」


 途中で和歌が口ごもり会話が途切れる。しかし無理に話題を探そうとも思わない。和歌の話から今更ながらに教英先生の和歌への深い愛情を実感したからだ。そしてその愛情がちょうど二週間前の放課後、この通学路で和歌に誓った言葉を思い起こさせる。俺は憐みで和歌を助けるんじゃない。こんな優しさと共感性を持った女の子が笑えるクラスの方が面白いに決まっているじゃないか!


 何気ない会話から決意を改めた俺であったが学校の敷地に差し掛かったところで鉢合わせた面子を見て早速くじけそうになる。早起きは三文の得という諺があるがどうやら俺の辞書には(ただし米沢英紀は除く)と注釈されているらしい。まさかいつもより二十分も早く出たことで彼等に会うなんて。


「Oh, moring Hideki!(お、ヒデキおはよっ!)」


「あ、米沢君おはよう」


 弄り慣れた後輩相手に気軽な挨拶をするブリカス先輩、そんな彼と一緒にいる女子は挨拶はしたもののさりげなく視線を俺から逸らす。逸らしたい気持ちは俺も同じだ。ブリカス先輩が馴れ馴れしく肩に手をかけていた女子は去年俺が告られてからやっぱり振られた愛美ちゃんだった。


「先輩……グッドモーニングアンドユー?」


「You mean “and you?” I haven't told you "How are you?" yet.(エンヂュー?って言ったのかい? まだ僕は『元気?』って聞いていないよ)」


 先輩の返事を聞いて並びの愛美ちゃんがクスッと笑うのが聞こえる。しかし相変わらず視線は外したままで、お世辞にもいい気持ちはしない。確か去年リーマンショックをやらかして振られてからもこんな態度を取られていたな。今振り返れば告白された事実がある以上振られてもチャンスがあると思って未練たらたらだった俺も悪い。今なら去年の俺の痛さが自覚できるから、彼女のクスクス笑いは脊髄反射で黒歴史をフラッシュバックさせる。しかもよりにもよってこの先輩と一緒だなんて、この絵面は俺にとって精神ダメージが大きすぎる。


(やだ、早くこの場を去りたい!)


 自己防衛本能から歩みをずらして早足に立ち去ろうとしたが、それも叶わず俺は自ら立ち止まる。何故なら――


「How dear you!(よくもやってくれたわねこの野郎!)」


 俺が歩みを進めるよりも早く和歌が怒りの形相で先輩に絡みだした。聞き取れなかったが、もしネコ科の動物だったら全身が逆毛立っていたであろう怒気から罵っていることだけは分かる。


「Wow wow wow, What's wrong with you? What are you going so mad at?(おいおいおい、どうした? 何をそんなに怒っているんだよ?)」


 屋上で会った時とは明らかに雰囲気が違うから動揺したのか両手を上下させて暴れ馬でもなだめるようなジェスチャーをしている先輩。ジェスチャーが効いたのか、和歌はほんの少し怒気を治める。


「How come you're walking with another girl as if she's your girlfriend even though you dated Himeno the last Sunday?(どうして日曜日に姫野さんとデートしたのに他の女の子と恋人みたいにして歩いているの?)」


「What? It doesn't concern you who I go out with and who I go to school with too. None of your business. You know?(は? 僕が誰とデートしようが、誰と登校しようが君には関係ないだろ?)」


「It does! because I want to be her friend!(ある! だって私は彼女の友達になりたいから!)」


 何を言っているか分からないが姫野さんの名前が出たあたりからまた和歌の温度が上がって見える。それにしても和歌のガチ英会話を初めて見たが、何というか会話そのものよりも表情と身振り手振りがすごい、まるで海外ドラマでも見ているみたいだ。そう思っているのは俺だけではないようで、先輩の隣にいる愛美ちゃんも口をぽかんとあけてハニワ顔になっている。ハニワと化したモノリンガル二人にはもはや二人を止めるだけの存在感はない。


「You misunderstand something. Why should I have my eyes on just one girl even I don't have a particular girlfriend yet.(君は何か誤解しているね。どうして特定の彼女がまだいないのに一人の娘だけ追わなきゃいけないんだい?)」


「Do not act cocky like a player!(遊び人気取りは止めて!)」


「I'm not a player! You know? I do have self-control as a British gentleman. I can't tell that the girls have it or not, though.(遊び人じゃないよ!なあ、僕は英国紳士として自制心を持っているんだよ。女の子が持っているかは分からないけどね)」


「Look who's talking! That's what the player says until girls get played!(誰が言ってんのよ! それこそ女の子が遊ばれるまで遊び人が言うことじゃない!)」


 会話のスキをついてステータス異常ハニワからかろうじて意識を取り戻した愛美ちゃんがポツリと先輩に呟く。


「先輩、この子最近入って来た転校生だよね? イギリスにいた時の元カノ?」


『No way!(ありえない)』


 こんなに口喧嘩しているのに否定だけはがっちりハモっている。確かにこれじゃあ浮気現場の痴話喧嘩に見えなくもない。まだ続くのかと見守っていると和歌の顔が昼ドラに出てくる小姑のように意地悪くゆがむ。


「Look, Mr gentleman. You seem to be satisfied among nice Japanese girls, but I see that you'd never be able to make this among the British girls. You can't be James Bond in the UK, can you?(いい? 紳士さん? 構ってくれる日本の女の子に囲まれて嬉しいんでしょうけど、イギリスの女の子相手じゃできないんじゃない? だってあなたはイギリスではジェームズ・ボンドじゃないんでしょう?)」


「What? How dare you say that! You bitch!(は? 何言いやがんだこのビッチが!)」


 これまでヘラヘラしていた先輩の語気が急に強くなる。流石に俺もビッチの意味は分かるし聞き取れたので先輩を止めに入る。


「先輩! ビッチはまずいですよ。ジェントルマンなんでしょ? 和歌も何を言ったのか知らないけどあんまり酷いこと言っちゃいけないよ」


 顔を紅潮させた先輩を尻目に和歌の様子を確認するとまだ彼女の顔も怒り心頭だ。


「Anyways, now I'm sure that you don't deserve to be her boyfriend. I'll show you who suits her better than you!(とにかくあなたが彼女の彼氏になるに値しないって今確信した。彼氏にもっと相応しい人が誰か見てなさい!)」


 俺の背中越しに和歌は人差し指でジェジェ先輩を指差して何かを宣言すると、俺達を置いて学校へと駆け出した。


「Hey! Wait! You must apologize!(おい! 待てよ! 謝れや!)」


「先輩やめときなよ。あの子B組でシカトされてるからどうせ何もできないよ」


 怒鳴る先輩の声以上に、過去の想い人が発した無関心な言葉に迂闊にもイラっとしてしまったがために和歌を追う出足が遅れてしまう。


「先輩すみません、俺行きますね。事情を聴いて本当に失礼なことを言っていたら謝らせますから! じゃあ!」


 俺は苛立ちを治めると先輩達会釈する。そして彼等の反応を待たずに和歌を追って走り出した!

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