4 毎日が良い日

「このサンプル。どうしたの」

夏山愛生堂五階のオープンオフィス。女性社員ばかりの財務部の部長の良子よしこは、デスクの上を見て驚いた。いつまにか置かれた紙袋いっぱいのカラフルな試供品。これを見て、部下に訊ねた。

「ああ。それは先程、清掃員の女の子が使って下さいって持って来たんです」

「これ全部?それにしても。凄い量ね。こんなにうちだけでもらって大丈夫なの?」

心配そうな良子。部下は首を横に振った。

「いいじゃないですか?だって彼女、サンタクロースみたいに、他の部署にも同じくらい配っていました」

良子が袋を覗くとそこには、入浴剤、化粧品。美白のサプリメントなどが入っていた。

夏山の経理を束ねる財務部は、基本、社員同士の行き来しない部署。こういうプレゼントをもらう彼女が良子には羨ましい事であった。

「そうか。清掃員さんは色んな部署を掃除するから、メーカーさんにも逢うものね……」

「良子部長。配送センターからお電話です。誤配の取り消しの件で」

ここで良子は電話を持った。

「……はい、お電話代わりました。佐藤です」

仕事モードに戻った彼女は老眼鏡を掛け直し、パソコンの画面を見つめた。



◇◇◇

この日のお昼休み。休憩室にいた小花に、サンプルの礼を言った良子は、週末の財務部の飲み会に小花を誘った。 御礼が建前だったが。本音は違った。

……美人なのはわかるけれど。どうしてこの娘ばかり、もてるのかしら。

良子は最近までしていた親の介護のせいもあって、未婚の五十九歳。来春は定年だった。

恋をする暇もなかった彼女。おかげで出世はできたが、老後を思うと寂しかった。

やがて電話を終えた良子は、小花がくれたビタミン剤のサプリメントを水も飲まずに口に入れた。こうして仕事に向かっていた。



そして週末。

札幌薄野の居酒屋で開催された財務部の女社員たちの宴会は盛り上がっていた。

「え?小花ちゃんて、未成年だったの」

「はい。でも楽しいですわ」


女子社員たちの弾む声。その中、白いブラウスと紺のフレアスカートの彼女に、良子は勇気を出して隣に座った。

「楽しんでいる?小花さん」

「はい。ありがとうございます。誘ってくださいましてありがとうございます」

小花は律儀に頭を下げた。良子は気になっていたことを聞き始めた。

「ところで貴女は、一人暮らしなんだって?」

「はい。両親は他界して、祖母は今施設に入っているんです」

寂しい身の上。ニコニコ笑顔の小花。良子は気の毒に思った。

「そう。私もずっと親の介護していたのよ。そうか、施設に入れたのか」

うんと小花は頷いた。笑顔であるが、どこか寂しそうに烏龍茶を飲んだ。良子はさらに訊ねた。

「で。夜は定時制の高校に通っているんだってね。でもさ?なんで普通高校に行かなかったのよ」

みんなが気になっている話題。良子は代表の気分で聞いてみた。

「私。道外の学校に通っていたんですが。介護していた母が亡くなったりお金が無かったりで。転校を後回しにしてしまったんです」

「まあ……そうだったの」

この理由。良子は悪いことを聞いてしまったな、と酒を煽った。しかし小花は笑顔で語った。

「でも今は通えてますし。こうやって皆さんに優しくして頂いて。今は毎日、とっても幸せです。あ、お代わりお持ちしますね」

「あ、ありがとう」

健気な笑顔の小花。良子の芋焼酎を取りに席を立った小花の置いたままのピンクのハンカチを見て、良子の目頭は熱くなった。



一次会で解散となり、各々で店に向かう中、良子は小花を誘った。

「遅い時間まで付き合わせないから」

「良いですよ。明日は私も休みですので」

二次会の店へとススキノの道を歩いていると、スーツ姿の男性三人が小花に話しかけて来た。

「すみません。この辺でお勧めの店知っていませんか?」

 すると小花は真剣に答えた。

「あそこのグリーンビルの五階にある居酒屋は知り合いのお店で。お料理も美味しいですし、価格も良心的ですよ」

「そうか、行ってみようかな。ね?君もどう?」

「奢るからさ」

良子を無視したナンパ。ここで良子は間に入った。

「彼女は私の連れなの!あなた達だけでどうぞ!さ、行くわよ」

ふん!と若者に顔を背けた良子は小花の腕を取り、足早に歩き出した。

「あの、すみません!ラーメン横丁はどこですか」

良子と小花の信号待ち。大学生の男二人が、小花に訊ねて来た。

「新しい方ですか、古い方ですか?」

良子は彼女に向かった。

「相手にするんじゃないよ。あっちと向こうよ!ほら、歩いて小花ちゃん!」

その後も男性に声を掛けられる彼女を引っ張った彼女は、ススキノの奥にあるジャスマックプラザホテルのバーにやってきた。

「やっと着いたわ……ねえ、いつもあんな風に声を掛けられるの」

「はい。よく道を尋ねられます。姫野さんからはスマホの地図を見て下さいって返事するように言われています」

「そう……姫君か」

良子はカクテル。小花はノンアルコールのカクテルで乾杯した。カウンターの良子は疲れた顔で話し出した。

「実はさ。私、婚活しているのよ。部下には言えないけどさ」

「まあ。良子部長は年齢よりもお若いから、そのような必要は無いかと思いますが」

良子は独身でおしゃれだった。小花は本気でそう話したが、良子は首を横に振った。

「そんな事ないわ。それに、会社にいても全然出会いが無いし」

良子は酒の勢いもあって、過去の恋愛の苦さを吐露した。




「……そうでしたか。でも、今は婚活しているんですよね」

「一年経つかな。この年だからさ。相手もおじさんになるけど」

「素敵な出会いがあると良いですね」

そういって小花はカクテルを口にした。その綺麗な横顔を良子は見つめた。

「小花ちゃんは好きな人、いないの」

「憧れますが、今は勉強とお仕事で一杯ですわ」

「姫君は?どうなの」

ここで小花はちょっと詰まった。

「……姫野さんは面倒見の良い方なので。失敗ばかりの私を見ていられないって言っています」

好きか嫌いか。返事がないのが返事のようなもの。良子はさらに探りを入れた。


「風間君は?」

「フフフ。風間さんの彼女は何人なんでしょうね。私もわかりませんわ」

「仕方ない奴ね。まったく」

ここで二人の背後から声がした

「……あのさ。小花ちゃんじゃないか?」

「へ?」

男性の声、二人は振り向いた。男は白髪に日焼けした顔。年は六十代かもしれないが、日焼けしたスポーツマン。スタイルが良く素敵なスーツ姿の彼は小花に驚いていた。

「やっぱり!どうした?こんなところで」

「手塚さんこそ?いつもと恰好が違うので、気が付きませんでしたわ」

「小花ちゃん。この男だあれ?」

 中良さそうな初老の男性。モテモテ小花に良子はムッとしていた。こんな良子に小花はホホホと笑った。

「嫌ですわ。地下で配送をされている手塚さんじゃありませんか」

「手塚さん?え?」

 戸惑う良子。小花は手塚に紹介しようとした。

「手塚さん。こちらは財務部の」

 すると。手塚は手でこれを遮った。

「もちろん知ってるさ。夏山の華だもの。良子部長。先日は誤配の件で、お手数掛けたね」

「いいえ?こちらこそ」

聞きなれた彼の声に、良子の胸がドキドキしていた。

……こんなナイスガイだったの?

いつも電話をしている相手がこんなにカッコいいとは夢にも思ってなかった良子は驚きで息を吸うを忘れるほどだった。こんな良子を無視して、小花は話を始めた。

「手塚さん。お母さんはどうなりました?」

「ああ。今は病院にいるけど、ケアマネージャーが来て、これから介護認定がどうのこのって言われたんだけど。あれは、怪我が治ってからの方が良いのかな」

「治る前がいいですよね、良子部長」

 良子も散々介護をした。この内容は詳しかった。

「そうよ。手塚さんがやるの?」

「俺は独身なので……」

 頭をかく彼。小花は説明をした。

「良子部長。手塚さんは夏山の子会社の社長さんをされていて、お忙しいんですよ。あ、すみません。電話だ?」


 バッグからの着信音。良子は出ろと小鼻を席から立たせた。

「いいよ、出なさいよ。手塚さん、ここに座って……」

小花が窓辺で電話をしている間。良子は手塚を隣に座らせた。電話をしながら小花はそんな良子に振りかえった。

「……姫野さんが私に渡したいものがあるので、今から家に来るって」

「じゃあんた。帰りなさい。ここはいいから」

はい、と頷いた小花は電話を切り席に戻ると、良子と手塚は肩を並べ、話をしていた。

「中座してすみませんでした。あの、良子部長?よろしかったら手塚さんのご相談に乗って下さいませんか?手塚さんはその、良子部長を……」

「心配するなよ?彼女は俺が責任持って家まで送るから」

そう言って彼は逞しい腕で良子の肩を抱いた。この衝撃。良子の心臓は熱く高鳴った。

「そうだ。お金を」

「私が誘ったんだから。とにかく行きなさい。また月曜日ね」

「はい。では、お先に」

大人の二人が手を振る中、会釈した小花は店を出た。



夜のホテルの玄関に、黒いフェアレディZが停車した。彼女は駆け寄った。

「ありがとうございました」

「いいから乗れ。急で悪かったな。予定は……もう良いのか?」

「はい。失礼します」

ホテルの正面玄関。どこか不機嫌な彼の助手席。彼女は車に乗り込むとシートベルトをした。それを横目で確認した姫野は、車をスタートさせた。





◇◇◇

明けた月曜日。良子は地下の配送センターに顔を出した。

「おはよう手塚さん。これが話をしていたものよ」

「おお。さすがに仕事が早いな。これを見本に書けばいいんだよな」

作業着の彼は、良子から封筒を受け取った。

「私、水曜日に有給休暇を取る予定なんだけど。ちょうど市役所に行く用があるから、ついでに手塚さんの書類ももらってくるわよ?」

「いいのかな。そんなに親切にしてもらって」

「ついでだもの。それにお母さんが気の毒だしね。あ、それと……」

良子は恥ずかしそうに、紙袋を差し出した。

「これは?」

「朝ご飯を食べる時間が無いっていってからさ。良かったら食べて」

そこには大きなお握りが入っていた。彼の目がパッと輝いた。

「うわ?俺の好きな円型だ!良子さん。また後で連絡するよ」

「……今日は誤配の無いように頼むわよ」

そう男前に決めた良子は五階へエレベーターに乗った。途中、姫野が乗りこんできた。

「姫君……。金曜日はありがとうね」

「何のことですか?」

 ジェスマックプラザのバーでの小花との飲み会。良子は小花が自分と一緒だった打ち明けていないことを知った。

……婚活の相談だったから。あの子は姫野くんに話をしてないのか。気を遣わせちゃったな。

この気遣い。小花の人としてお魅力に良子はますます彼女が好きになった。

「はあ。人の良さってにじみ出るものなのね。歩いただけで、あんなに男の人に声を掛けられてさ……私なんか落とした物も誰も拾ってくれないのにさ……」

「良子部長。何かあったんですか」

「あったなんかもんじゃないわよ」

そして姫野が降りる四階に着いた。良子は彼の背をそっと押した。

「あんたも大変かと思うけど、ちゃんと面倒みなさいよ」

「は?はい……」

こうして五階に着いた良子は、仕事の席に着いた。

「おはようございます。あれ?部長。何か良い合ったんですか」

いつもよりもすこぶる機嫌の良い上司に、部下はドリンクを出した。

彼女は髪をかき上げた。

「何を言ってるのよ!私は良子さんよ?365日、良い事だらけよ……」

彼女はそう言って、目薬を挿し老眼鏡を掛けた。今朝も仕事に向かっていた。



fin

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