第244話 ルーカス

 男の名前はルーカスというらしい。彼の話によると、およそ10年程前にこの世界へやって来たそうだ。

 どうも話を聞く限り、御崎桜やオーノヒロミさんの様に、自然に開いた異世界間ゲートに偶然入り込んでしまったという訳ではなく、どうやら何者かによってこちらへ連れてこられた様なのだ。

 その当時の詳しい事情ややり取りは分からないが、当時10代だった彼はアメリカの貧民街で育ち、親は居ず、学校へも行っていない不良少年だった様で、少年院と路上を行ったり来たりする生活をしていたそうだ。それ程大きな悪事はしていないが、日常的に喧嘩に明け暮れ、置き引き万引きは当たり前、悪い大人の使いっ走りで小銭を稼ぐという生活だったらしい。少年院へ入ると食事は出来るし休み時間にマンガやアニメを見られるので寧ろ進んで悪い事をしていたふしもある。つまり、真の悪党には成り切れていない小物というか、アンダーグラウンドな世界で生きる子供なりに世渡り上手のお調子者といった感じだ。

 そんな彼が何故異世界へ来る事になったのか、何か事情がありそうだ。


 「あなたをこちらの世界へ連れて来たのはどんな人?」

 「それが、よく覚えていないんだ、偶々子猫を助けようと道路へ出た所へトラックが来た所までは覚えているんだが……」


 その発言には日本人組全員が眉間に皺を寄せた。まんま異世界転生物の導入部だからだ。道路へ飛び出し、トラックが迫って来て光に包まれ、気が付いたらこちらの世界に居たのだという。小悪党が気まぐれに良い事をしようとしてドジを踏んだ。もう、何もかもステレオタイプである。きっとルーカスをこちらの世界へ連れて来た何者かは、彼にチート能力でも授けたのかも知れない。


 「それが、何の能力もくれねーのよ!」

 「あ、そ、そうなんだ? それはひどいね」


 チート異世界転生モノでは無かった様だ。


 「だろ? じゃあってんで、地球の知識を生かして無双してやろうと思ったんだけど、それも出来ない。結局役に立ったのは、向こうで生き抜いて来た処世術位のもんだったな」


 それでこの若さで提督の地位まで昇りつめたのだから凄い。ある意味その処世術がチートレベルだったのだろう。

 話を聞いてみた所、彼は提督の地位を得て初任務が新大陸の開拓だった様だ。身元の不確かな成り上がり者を厄介払いされたのかもしれない。だけど彼は新天地に希望を見ていた。成果を上げれば盤石の地位が約束されるし生活も安泰だ。

 船団を率いてこの地までやって来て、少しずつ港町の整備なんかをしていたのだが、末端が何かやらかしていたらしいというのはユウキの話を聞くまでは知らなかったそうだ。一番上の人間が知らなかったでは済まされないだろうが、船乗りなんて多かれ少なかれ素行不良な人間の寄せ集めみたいなもので、自分もそういう出自なのである程度は目を瞑っていたのだろう。オロや奴隷売買については酷いと思うが地球側の今の倫理観で闇雲に断罪して良いものでも無いだろう。


 よく思考実験で、現代の知識を持ったまま江戸時代へタイムスリップしたら現代知識で無双出来るかどうか、という事を妄想した事は誰でもあるだろう。だけど、おそらく何も出来ないだろうという結論に大体たどり着く。多分、こういった話は既に何十年も議論の対象となって意見が交わされ、ことごとく論破されて来ているのだ。

 例えば、この先の歴史を知っていれば預言者になれるか? おおかた狂人扱いされるのが関の山か、運良く知っている歴史の転換点近くの時にでも居なければ今直ぐ証明する事は出来ないものだし、ましてや何十年先の歴史の知識だった場合は自分の寿命が尽きるまでの間に一つ証明出来るかどうかなので非常に効率が悪い。運良く一つ当てられたとしても、後が続かないのではどうしようもない。

 物作りでは、物が豊富にそろっている現代で、じゃあ今それを作って見せてと言われて作れない様な物であれば、もっと物の無い江戸時代や異世界ではほぼ不可能だろうと思わざるを得ない。いやそんな事は無い、簡単なボルタ電池位は作れるだろうと言われるかもしれないが、じゃあ銅板や亜鉛版、希硫酸を何処から手に入れるつもりなのかと問われれば返答に窮するだろう。そしてそれを何に使うというのだろう? 有名なエレキテルでさえ、ちょっとビリッとさせて驚かせる見世物でしかなかった。それ以前に静電気では幾ら集めた所で使い道は無さそうだ。仮に電池を作れたとしても、それを使う電気製品もセットで作れなければ、だからそれ何? としかならない。

 料理はどうだろうか? まず食材が手に入り難い調味料も無いでは、どうする事も出来ない。大金持ちや権力者に上手く取り入る事が出来ればワンチャンス有るかも知れないが、あなた現代の大企業の社長や政治家と仲良くなる才覚はお持ちですか? と問われれば、無理としか答えようがない。

 良くて辻で娯楽や音楽芸術を披露して、その分野で知名度を上げて一発当てられればラッキー位なものではないだろうか。


 ルーカスもそういった部分で躓いて色々とやってみては諦めていったのかも知れない。ただ彼は、学は無かったが人たらしの才能は有った様で、海軍へ入り一兵卒から地道に努力を重ねた結果、異例のスピード出世を成し遂げたのだろう。


 ルーカスの話では、アレクサンダーからも聞いていた通り、この世界の常識から逸脱した尋常ならざる人間と遭遇した場合には速やかに撤収せよという裏指令を受けていたというのは本当だったそうだ。それは、文章ではなく口頭で告げられ、証拠となるものは一切残されていない。その為部下の中には信じていない者も居たし、末端までは伝わっていない可能性もある。信じているのは、その指令を直接受け取った者達だけだった。ルーカスも半信半疑ではあったのだが、超常の存在はこっちの世界へ来た時に実際に自身の目で見ているし、不思議な体験もしている。信じる根拠は有った。

 建設途中の港や町を放棄するというのは莫大な資材や資金と今までに費やしてきた膨大な労力から考えても勿体無いとは思うのだが、彼の中に逆らうという選択肢は無かったのだろう。


 ルーカスの話でもう一つ驚いた事がある。なんと彼の性別は反転していないそうなのだ。彼は地球に居た時から男性であり、こちらの世界へ来てもそれは変わらなかったそうなのだ。これは一体どういう事なのだろうか?


 「性別が反転しないで異世界へ渡る方法があるのだとしたら大発見だ」

 「何なんだよ、性別が反転するって?」


 ルーカスは本当に分からない様子だった。そんな話は初耳だそうだ。


 「どういう事なんだろう? また謎が増えちゃったよ」

 「取り敢えず、私達はあなた方に積極的に危害を加えようと言う意思はありません。ただ、奴隷として連れ去ったダークエルフの女性を返して頂きたいだけなんです。現地人と敵対しないのならば、私達も争う必要はありませんよ」

 「そうだ! 女を返せ!」


 ロミリオンがルーカスに食って掛かる。ルーカスはちょっと困った様な顔をしてユウキの方を見た。


 「分かった分かった。勝てない争いをわざわざする気は無いよ。ただ困った事が一つあるんだ。女達は既に本国へ送られた後だ」

 「何だと! この野郎!」

 「まあ待て、ロミリオン」


 いきり立つロミリオンを宥めてユウキはルーカスを睨み付けた。

 ルーカスはちょっと何かを考える仕草をしてからゆっくりと口を開いた。


 「そうだな…… もうちょっと早くお前達が来たのなら…… いや、今のこのタイミングの方が逆に良かったのか」


 ルーカスの船団は、とっくの昔に出港して本国を目指している。後処理の兵士を回収するために船を一隻残しておいただけなのだ。当然、ここのトップであるルーカスは最後まで残っていたという訳だ。最初に出た船とは大体1ヵ月程度の遅れは有るのだろう。この船がどの位のスピードが出るかは分からないが、今から最大船速で追いかけても到底追い付きはしないだろう。

 そうなると、ユウキ達は先に飛んで追いかけてしまうに違いない。自分の居ない船では当然戦闘になり、仲間の船員達および高価な船に多大な被害が出る可能性が高い。

 そうルーカスは考えた。


 「なあ、俺もお前達と一緒に、その、空を飛んで行く事は出来ないだろうか? そうすれば、交渉は俺がやる。俺達の方もなるべく被害は出したくないんだ」


 そうルーカスが提案をしてきた。

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