第221話 久堂流

 優輝は、この攻撃が当たったら怪我をするだろうなと思った。義父おとうさんの方が、だが。

 何しろ、優輝の体はカーボンマテリアル化が進み、スレッジハンマーで殴ったとしてもそれを跳ね返してしまうのだから。そもそもそれも初期の頃の話で、今ではどの位の強度があるのか想像もできない。柔らかい人体だと思っている所が鋼鉄並みの硬さだったら、タンスの角に小指をぶつけました程度の話では済まないだろう。

 優輝はそれを懸念して、さっと足を引いた。それを見た義父は、片足に重心が移動する事を見越して態勢を入れ替える。振り下ろした足刀は優輝の足の前を素通りし、反対側の足の外側の位置へピタリと下ろされた。つまり足刀は完全にフェイントだったのだ。優輝が自ら重心を移動させるように仕向けたのだった。

 しかし、優輝の目には人間の動きなどスローモーションの様な物だ。逆に義父が足刀を打とうと片足を上げた事で義父自身もまた不安定な状態に成っているのを見逃さなかった。掴んだ襟を向こう側へ押し、後ろへ転ばせようとした。だがこの動きも義父の想定の範囲内だった様で、義父は優輝の襟を掴んだまま自ら後ろへ半歩下がった。優輝は自分の押そうとした力と義父に引っ張られる同じ向きの力によって前のめりにバランスを崩してしまった。

 その後は、転ばない様に前に踏み出そうとする優輝の足を払われ…… 払われたというか、前に踏み出そうとした足の動きをその横に付けられた足によって阻止されたと言った方が正確だろうか、ちょっとした段差につまづいた時と似た状態にさせられ、更に袖を引かれて畳に仰向けに転ばされてしまった。そして、腹の上に拳を寸止めで振り下ろされ、勝負は決した。

 実戦だと仮定した場合、その拳を当てられたとしても優輝には全くダメージは無かっただろうが、試合の形式上は一本を取られた形となった。


 人間が歩く時、重心は踏み出す側と反対の脚側からやや内側前方にあり、体は前へ傾いて倒れようとしている。倒れる前に支えの様に逆側の脚を出し、足が地面に着地した瞬間から重心が今度は反対側の脚寄りに移り、体が前へ傾くと今度は後ろ側の足は前へ振り出され…… という様に連続的に前へ倒れる動きに順次支えを出す様にしながら前へ進んでいるのだ。

 重心が完全に片側の脚には乗らず、歩行中は身体は常に前へ倒れようとしながら重心はフラフラと両脚の間を移動する。これを動歩行と言う。歩行中の動作は、殆ど自動化されており、頭で考えている訳では無く、リズミカルにテンポよく脚は運ばれている。なので、予測しない不意の外力によりそのリズムを狂わされると、いとも簡単に倒れてしまうという訳だ。


 ひと昔前の二足歩行ロボットは、片足に完全に重心を移してから反対側の脚を踏み出して歩いていた。これを静歩行と言う。静歩行は安定はしているが、素早く歩く事は難しい。

 動歩行は制御が難しい反面、不整地面の歩行や素早い動きが可能で、人間は普段は何も考えなくても自然に動歩行を行っているのだが、やはり制御が難しいと言うのは人間の脳でも同様な様で、ちょっと引っかかっただけで転んでしまう事はよくあるのだ。


 もう一つ、人間が歩く時、足を前に踏み出す動きには実は殆ど力は入っていない。脚は重力により振り子の様に前へ振っていて、筋肉の力はあまり入っていない。

 この時、力は地面に着いた側の脚に入り、後ろへ蹴る動きに使われている。なので、この前へ踏み出そうとする脚は、非常に僅かな小さな力で止めることが出来てしまう。止められてしまえば体の状態は既に前へ倒れようとしている最中なので、簡単に転んでしまうという訳だ。


 二足歩行の人間の動きというのは、殴る動きも蹴る動きもそうだが、どうしても重心を移動させて不安定な状態に成らざるを得ない。

 そして、動き初めと終わりにはほぼ力は入っていない。真ん中辺りが最高速で最も力が入っている。だから、相手のパンチやキックは真ん中をずらしてやれば威力は殺せるし、こちらの攻撃は真ん中あたりの一番速度も力も乗った状態で当ててやれば最高の威力を出せる。武術家は、その動きが自然に身に着くまで修行をするのだ。

 この時の義父の動きは全く力を使った様子は無く、優輝は技で転ばされてしまったのだった。これではどんなに優輝に力があろうと全く勝てる気がしない。


 「まいりました」

 「しかし君は体幹が強いな。何か武術でもやっていたのかい?」

 「はい、通信空手を少々」


 皆の座っている位置まで戻り、あきらの隣に腰を下ろした。

 「やっぱり義父おとうさんは強いな。完全に読み合いに負けたよ」

 「まあね。伊達に師範はやってないわよ」


 そう言うあきらの顔は何だか嬉しそうに見えた。


 「次は私よね? そんなに強いなら魔法で身体強化しちゃっても良いわよね?」

 「お好きにどうぞ。だけど攻撃魔法は駄目よ」

 「分かってるわよそんな事」


 デクスターがワクワクした目であきらへそんな事を聞いてきた。あきらは、身体強化で多少スピードやパワーがアップした程度で自分の父親が負けるとは思えなかったので許可をした。何故なら、身体強化魔法というのは自転車のパワーアシストみたいなもので、自分の力に魔法で力を加算するものなので、思考や反射神経を加速してくれるものではないのだから。


 「まいりましたーぁ!」


 案の定、デクスターも瞬殺でした。

 次はアリエスの番なのだが、この人は戦える人なのだろうか? エルフの王国ではつい最近までずっとお姫様として蝶よ花よと育てられてきた箱入り娘だったのだから、格闘技とは縁遠い気がする。


 試合が始まって暫く様子を見ていると、意外や意外、なんとこのメンツの中で一番粘っているではないか。

 一体どういう事なのかと観察していると、その原因が分かった。体の構造と言うか骨格というか、重心やバランス、そして柔軟性とかが人間のそれとは違うのだ。人間ならばこの位押したり引いたりすればバランスを崩すはずなのに、エルフは持ちこたえてしまう。じゃあというので関節技で決めようとするのだが、肘や膝が反対側にかなりの角度で曲がっても平気な顔をしている。人間なら絶対に極まる筈の関節技が、体のどの部位でも効果が無い。まるで掴み所の無い軟体動物でも相手をしている様で、義父の顔にも段々と焦りの色が浮かんできた。

 とはいえ、流石師範なだけはあって、徐々に対応して来た様だ。最初は素人さんに怪我をさせない様にと手加減をして、これ以上力を入れないとか、これ以上締めないと決めていたみたいだったのだが、どうも一筋縄には行かないと悟ったのか、20分も経つ頃には相手の特性を把握出来てきた様で、開始28分程かかってようやくタップさせる事に成功したのだった。勝ったとはいえ、義父は額に汗を流し、肩を上下させていた。かなり梃子摺てこずった様子が伺える。


 「あきら、何なんだいこの癖の強い人達は」

 「私の夫の優輝とアメリカの魔法使いと異世界のエルフよ」

 「ちょっと待ってくれ、情報が頭の中で大渋滞なんだが。まず優輝君は良いとして、アメリカの何だって?」

 「アメリカの魔法使いのデクスターと、異世界のエルフのアリエスよ」

 「そうかー、魔法使いとエルフかー、じゃあしょうがな…… えっ? 魔法使いとエルフぅ!?」

 「何よそのノリツッコミみたいなのは。動画チャンネルは見てるくせにニュースは見てないの?」

 「え? あれって映画の宣伝か何かじゃなかったのか? まさか現実とは……」

 「こちらのアリエスさんは、異世界では女性でエルフ王国の第三王女様です。向こうでの名前はアリエル。そして、こちらのデクスターさんはその配偶者で、マギアテクニカ社のCEOよ。世界初の異種族間結婚で話題になってたでしょう?」

 「エルフって、あ、ほんとだ、耳が尖ってる。それと、アメリカの会社のCEOだって!?」

 「だからそう言ってるじゃない!」

 「そんなお偉いさん達が、何でうちなんかに?」

 「だーかーらー、うちと優輝の家の御先祖様が、デクスターさんの会社の創設者かもしれないから、ルーツを調べに来たのよ!」

 「えー、ああ、そうなんかー。てっきり外国のお友達を連れて遊びに帰って来たものとばかり思ってたよ」


 義父はポンと手を叩いてやっと納得してくれた様だった。それならと日本の古武術を見せてやろうと張り切っていたという訳だ。義母は、全く人の話を聞かない人ねと隣でやれやれという素振りをしている。今の今まで系図を見せたり武術を見せたりと、義父なりのサービスをしていたつもりだったのだ。


 「ふうん、デクスターさんの会社の創設者ねぇ…… あれ? たえさんって360年前の人だろう? その頃はまだアメリカは無かったのでは?」

 「あなた、たえさんの子孫って事でしょう。このテレーサさんならまだ100年ちょっと前の人だから、彼女がアメリカへ渡ったか、そのお子さんあたりが会社を興したのよ」


 久堂家は、お義母かあさんが頭脳担当の様です。

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