第208話 ブラトップ

 「この女の下着って、洗濯すると知恵の輪みたいにこんがらがるよね」

 「ブラトップの事? 確かにそうね」


 久しぶりに家に居るので、あきらは掃除を、優輝は洗濯をしていた。優輝は物干しに洗濯物を干しながらそうぼやいた。

 付けるのが簡単だと言う理由で、女の時のユウキはブラジャーよりもブラトップを着ている事の方が多い。常に異世界とこちらを行ったり来たりしている為、なかなか落ち着いて洗濯をする機会が無く、ストレージへ溜めて置いたものを一気に洗うものだから、脱水後は洗濯機の中で絡まりあっている事が良く有る。


 「あら、意外と庶民的なのね、あなた達」

 「うわっ、見られた! 我が家にはプライバシーは無いのか」


 このリビングは、デクスターのマギアテクニカ社のCEO執務室と空間通路で繋がっているので、デクスターはこうしていつも遠慮無くやって来るのだ。まあ、一般家庭のリビングルームというよりは、帝国ホテルのエントランスホールみたいなつもりで設計した部屋なので、別に良いと言えば良いのだが。


 「しょうがないでしょう。うちとここのリビングが繋がっているんだから。流石に寝室には入らないわよ」

 「当たり前でしょ!」


 リビングの窓をデスバレーに接続し、窓から突き出した物干しへ洗濯物を吊るしていた優輝は、いきなりリビングへ入って来たデクスター夫妻に驚き、あきらは呆れた様にそう答えた。

 窓の外をデスバレーに選んだのは、高温乾燥の死の砂漠地帯で一気に洗濯物を乾かそうという目論みからだ。ちなみに、窓を設置したデスバレー国立公園の中に在るレーストラック・プラヤは、勝手に動く石で有名。2014年にアメリカの研究チームが石が動く謎を解明したらしい。


 「あきら様、ちょっといいですか?」


 ガチャっとドアを開けて、今度は野木とサマンサが入って来た。


 「あっ、失礼しました。先客がいらっしゃったのですね」

 「デクスターだからいいよ」

 「何か私の扱いがぞんざいになってないかしら?」

 「サマンサ、ごきげんよう」

 「アリエル、あ、アリエスか。ごきげんよう。なかなか男の体に慣れないわ。朝起きた時とかびっくりしちゃうよね」


 一体何にびっくりすると言うのだろうか。


 「そうそう」

 「ところで、サマンサのこっちでの男性名考えとかないといけないわね、どうしようか」

 「じゃあサムエルで」

 「優輝はやい! またアニメから?」

 「いや、普通にサマンサに相当する男性名。普段からサムと略称で呼んでればどちらにも当てはまるよ」

 「はい、頂きました!」


 というわけで、こちらでのサマンサの呼び名はサムエル。略称はサムという事に即決してしまった。


 「それはそうと、野木さんは何の用事だったの?」

 「そうそう! 私、魔法を覚えたので見て貰おうと思って」

 「「「「へえ、魔法をねぇ…… って、なんだってー!!」」」」


 一同は驚いた。こっちの人間って、魔法を覚えられるのかと。しかし、野木は魔法を覚えたと言う。それを見てくれと言うのだ。

 サマンサはこちらの世界の食事に釣られて野木のマンションに転がり込んだ訳なのだが、その時大事に持って来た『シン・魔導書』を野木は目にし、サマンサに魔法を教えてくれる様に頼んだらしいのだ。

 それで、密かに魔法の練習をして、幾つか使える様になったのであきらに見て欲しいとやって来たらしい。


 「ちょっと吃驚びっくりなんだけど、魔法が使えるって?」

 「はい、頑張りました! 今お見せしますね」

 「ちょっと待って、何の魔法を使う積りなの?」

 「はい、デトネーションを」

 「ここで?」

 「冗談ですよ。屋内でやる訳無いじゃないですか」


 魔法はこの場に居る面子めんつならば皆当たり前の様に使うのだが、優輝もあきらも未だ普通の人間が魔法を行使する所を見た事は無い。エルフの二人は当然使うので除外するとして、デクスターの場合は魔法を使うアイテムを使って魔法を生成しているので、人種ひとしゅの、ましてやこちら側の世界の人間が生身で魔法を使う事が出来るというのは、驚くべき発見と言う他は無い。

 では、ラボのある拡張空間内に在る演習場へ行って試してみようという事になったその時、家のチャイムが鳴った。


 「あら珍しい、うちの玄関の呼び鈴が鳴るなんて」


 アキラが部屋のスクリーンに映る映像を玄関前の防犯カメラに切り替えると、宅配業者の制服を着た男が帰って行く後ろ姿が見えた。玄関ドア前には段ボールが置いてあるのが確認できる。


 「置き配かしら。私、ちょっと取って来ます」


 野木が気を利かせて持って来てくれる様だ。

 暫くして、有名通販会社の『JUNGLE』のロゴがプリントされた段ボール箱を野木が抱えて戻って来た。


 「凄く重いです。お米か水でも買われたんですか? あら? 送付元が書かれていないわ」

 「駄目! 高エネルギー物質! 捨てて!!」


あきらはその目で箱の内部に高エネルギー物質である爆薬がぎっしりと詰まっているのを見て、野木へ箱を手放す様に叫んだ。そして、箱の中の物質が反応を開始しない様に抑え込もうと、人差し指を箱の方向へ向けようとしたその時、一瞬早く箱は大爆発を起こした。

 段ボール箱にぎっしりと詰められた高性能爆薬のエネルギーは、この広いリビングルーム内の全てを破壊するのに十分な威力があった。この拡張空間のリビングルームは、幅50m奥行き80mもの広さの空間で、優輝とあきらが暇を見つけてはコツコツと買い集めた高級ブランド品の調度品等がふんだんに飾ってあったのだ。それら全てが猛烈な爆発エネルギーに晒された。


 拡張空間の壁もドアも優輝達が使っているバリアと同じ原理の次元境界面であるので、物理的に破壊する事は不可能だ。しかし、その壁が頑丈である事が仇となった。逃げ場を失った爆圧は密閉されたリビングの内部空間で圧縮され、衝撃波は壁の間で跳ね返りながら増幅され、唯一開かれていた開口部へ雪崩れ込む。そう、そこはたった今優輝が洗濯物を干していた窓だった。内部で膨れ上がった全エネルギーは、窓へ向かって音速を超える速度で怒涛の如く押し寄せる。まるで部屋全体が巨大なエンジンのチャンバーの如く、または巨大な砲弾の薬莢の如く、中の物全てを窓から射出したのだった。


 爆炎と煙が収まって来ると、元リビングルームだった室内に立っていたのは、あきら、優輝、ロデムとその両腕に抱き抱えられていた未来と永遠とわのみであった。デクスターとアリエスも、野木もサムエル(サマンサ)も居なかった。


 「びっくりしたー! おしっこちびっちゃったわ」

 「ぼ、ぼくも……」


 間近で聞いた驚く程大きな爆音に、未来も永遠とわも産まれて初めて驚いた様だった。ロデムだけは表情を崩していない。その表情からは今どういう感情なのか全く読み取れなかった。


 「あああ、俺のブラトップがー!」

 「他人が聞いたら誤解される様な事言わないの! それより急いで四人を探すわよ!」


 四人は窓から外へ放り出されたのだ。というか、撃ち出されたと言う方が正確かも知れない。その四人のバリアも発動した筈なので、おそらくは無事で居るとは思うのだが、彼らのスマホに実装されている絶対障壁は、外部からの慣性をある程度内部へ伝えてしまう。絶対に無事とは言い切れないのだ。急いで探し出して安否を確認しなければならない。


 「あきら!」

 「わ、わかったわ!」


 二人は窓から外に広がるデスバレーへ飛び出して行った。不幸中の幸いだが、窓を設置してあったデスバレー国立公園内のレーストラック・プラヤという場所は、干上がった湖で起伏は殆ど無く、周囲は高い山に囲まれているので、そう遠くまでは飛ばされてはいないだろう。

 窓の向いている向きからある程度は吹き飛ばされた方向は推測出来る為、優輝は浮上術を使いあきらを抱き抱えて上空から探す事にした。あきらは、もう高所恐怖症で怖いなどとは言っていられない。その目でどんな小さな生命反応も逃すまいと全神経を集中した。

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