第196話 アカシックレコード
「ぎゃああ! い、痛い! 血清!」
女は
床に転がった注射針を見ると、スポイトのつまむ部分の先に針が付いた形をしていて、注射器というよりも吸い口が注射針になった小型のスポイトといった方が適切な物だった。
アキラはそれを拾い上げ、中に残った液体を見てみると、案の定オロの卵が入っていた。
女はこの
しかし、彼女の思惑は上手く行かなかった。アキラは脳の中を流れる信号を目視する事が出来、相手が嘘を
意識の繋がっているユウキは勿論その事を分かっていたのだが、スーザンとアリエルの二人から見たら、酷い奴だなと一瞬思った事だろう。
思惑の外れた女は、見る見る腫れ上がる右手で思う様にキャビネットの鍵を開ける事が出来ない。やっとの事で開錠し、中の箱に入った血清の小瓶を取り出そうとした時、感覚が麻痺して来た右手からするりと小瓶は抜け落ちて床で割れてしまった。
「ああああああぁぁ! 血清! 私の血清がっ!」
彼女はがくりと膝を着き、腫れ上がった右手首を押さえながら床板の隙間に浸み込んで行ってしまった薬液を呆然と見つめていた。
ユウキ達が近付くと、絶望に怒りの入り混じった様な顔を上げ、罵る様な言葉を吐いた。
「私はどうせもう助からない。この子達もね、ざまあみろ!」
薄暗がりに目が慣れてくると、
彼女はわき腹の辺りを腫らして苦しんでいた。皮膚は黒ずみ、腐臭も漂って来ている。
アキラは、怯える彼女の近くへ行き、患部をじっと見つめた。
「オロの卵が孵って、患部を食い荒らしている! 分泌する酵素で肉を分解して腐敗させているんだ」
「どうすればいい?」
「患部を周囲ごと大き目に切除して!」
アキラの指示でスーザンはミスリルナイフを取り出し、一刀の元に患部を切り取った。
本来であれば、耐え難い激痛と大量出血が起こるはずなのだが、アキラが神経伝達をブロックして痛覚が脳に届かない様にし、切断面の血管を収縮させて閉じ、出血を防いだ。
まるでチーズの様に切り取られた自分の体と、全く痛みを感じない事に彼女は恐怖を感じ、失神してしまった。
床に落ちた切除部分からは、もぞもぞと線虫が顔を出している。スーザンは吐きそうになるのを我慢し、マイクロウェーブでその肉片を虫もろとも焼いた。
「失神してくれたのは都合が良い。このまま患部を整復する」
アキラは患部に虫が残っていない事を慎重に確認し、残った部分から周囲の細胞を均等に抜き出し移動させて欠損部を埋め、表面の細胞を皮膚に変化させて傷口を覆った。
傷跡は大きく残ってしまったが、それでも彼女は命を取り留めた。
「な、何なんだその技術は!?」
研究員の女は驚いていた。
まさか、侵略を仕掛けようとした相手の方に治療法が有ったとは、思ってもみなかったのだろう。
自国の方が文明が遥かに進んでいる。木や草で作られた家や穴蔵に住んでいる様な野蛮な原始人を統治し、最先端の文明を享受させ導いてやるのだ。自分達は良い事をしているのだという驕り。彼女はそれを信じて疑っていなかった。
そんな暮らしをしているのに、医療技術だけは自分達より進んでいるなんて、そんな事は信じられない。
しかし、アキラはオロのエサにされている子供達を次々と治療していった。
女は、自分達には出来ない事をこの者達は今目の前でやっている。目撃してしまっている。原始人だと蔑んでいた相手が自分達よりも優れている?
しかし、この砦の壊滅状態はどう説明したら良いのだろう? そして、今目の前で行われている、自分達には到底出来ない医療行為。こんな原始人にしか見えない奴等に何故こんな高度な事が出来る?
女は、そんな馬鹿な、有り得ないという思いで放心状態になっていた。
アキラ達が現れなければ、この女というか、この女を含むこの侵略国家の読みは間違ってはいなかっただろう。偶々こちらの世界よりも一桁も二桁も進んでいる世界からやって来た四人が、侵略しようと思っていた相手側の所に来ていただけなのだから。侵略する側にとっては不運、される側にとっては幸運だっただけなのだ。
アキラ達にとっては、どちら側の勢力に加担しようとかはあまり考えていなかった。ただ、人攫いはあかんよね、取り戻しちゃる。という乗り掛かった船的なアレでしかなかった。
一通り奴隷達の治療を済ませた後、アキラは研究員の女の方を見た。そして、ツカツカと女の方へ歩み寄ると、女は何か酷い事をされるのではないかと思い、小さく『ひっ』と声を出した。しかし、怯える女を無視してアキラは女の右手を取り、状態を観察する。
「おいおい、まさかこんな奴も治療してやるつもりじゃないだろうな?」
「そのつもりだけど……」
スーザンは床に散らばったメモの一つを拾い上げた。メモの文字は勿論読めないのだが、図解が入っていて、何処の場所に何日前に植え付けたのかが図を見ても何と無く理解出来た。
この女が何人もの奴隷を実験台に使い、オロの卵を色々な場所へ植え付けて経過を観察していたらしい。スーザンはそんなアキラに疑問をぶつけたのだった。助けるに値しない奴だと言いたい訳だ。しかし、アキラは気の抜けた様な返事で助けるつもりだと言う。
「なんで! この女がここで何をしていたのか分からないの?」
「うーん、分かり過ぎるというか……」
つまり、こういう事なのだ。
この女の罪をこの場で罰するというのは、実に人間目線の話であって、ロデム程では無いのだが、アキラもある程度魂の流れという時間軸で物事を認識出来る様になっていたのだ。
今の罪をこの人間の生きている内に償わせるまでもなく、次の生まれ変わりの時にはもう虫以下の階位まで転落する事が決定している事が分かってしまったのだ。アカシックレコードには既にそう書き込まれていた。
前世、現世、来世という時間のスパンで見た場合、今見殺しにしようが本来の天寿を全うしようが、どっちみちこの女の魂は罰を受ける事が確定している。十数年程度前後したところでどうせ同じ結果に行き着く。ただ早いか遅いかの違いでしかないのだ。
今後生き延びて人助けをして幾らか挽回するのか、更に罪を重ねて更に転落幅を積み増すのかどちらに転ぶのかは分からないが、アカシックレコードを読む限りどちらの可能性に成っても、琵琶湖の水にスプーン1杯分の水を足すか引くか程度の事なのだろう。今更善行を積もうが悪事を続けようが先の運命に対する影響は微レ存と言った所の様だ。
つまり、今ここで見殺しにするというのは、この件に関係の有る被害者目線で溜飲が下がるかどうかという、実に人間の目線での話でしかない。アキラにとっては最早どちらでも良い様に思えた。どうでも良いけどまあ治療してやっても良いかな、位の気持ちでしか無かった。
「マジかよ。そんな事まで分かるのか」
スーザンは、アキラのその人間離れした能力に今更ながら冷たい物が背筋を伝うのを感じた。
「んー…… 人間のランクに成ってまだ初回みたいだから、転落幅も大きいみたいだよね」
人間を二周目三周目という徳を積んだ魂ならばまだしも、人間ランクに上がったばかりの魂ならば、きっと落差も大きいのだろう。
輪廻転生によって魂は徳を積み、原生生物から何千億回も生まれ変わる事によって魂は徐々に大きくなって行く。しかし、頂点である人間のサイズに至った時、ある試練による選別を受ける事になるのだ。
そのまま徳を積み続け、やがて神に至る
その罠に嵌るか嵌らないかは自らの心の声に耳を傾ければ、初めから見えていたモノであったはずなのだが……
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