第193話 eとX

 「ちょっと待って! こっちがブレーキを掛けると衝突する!」


 あきらが優輝を止めた。確かに、500eとモデルXの車間距離は10cmも無い。前を走る車が速度を落したら追突してしまう。

 あきらは、助手席の自分のシートベルトを外し、後部座席へ移動して身振り手振りでデクスターへ、アクセルから足を離す様に伝えようとした。しかし、デクスターは目を血走らせたまま微笑むばかりで全く通じていない様だった。


 そうこうしている内に、前方に張られた道路封鎖地点まで1kmの位置まで来てしまった。警察の大型車両で道路をふさぎ、バリケードを設置して是が非でも止めようとしている。このまま突っ込めば大惨事は不可避だ。

 あきらは、スマホを取り出すとバリアを500eも包む程の大きさに設定すると反射率を0%に設定した。これならばたとえ接触してもモデルX側の大破は免れるかも知れない。

 そして、ブルートゥースイヤホンを運転している優輝の耳へ装着し、スマホの再生ボタンを押した。イヤホンからは大音量の黒板を引っ掻く音が発せられ、車の前方に出現したゲートの中へ、二台の車は吸い込まれる様に消えた。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 「俺は夢でも見ていたのか?」

 「いや、俺もだ。昨日の酒が残っていたかな……」

 「こんなバカな事が有ってたまるか!」


 パトカーを盾に銃を構えていた警官隊が、今全員の目の前で起こった事に困惑した様子だった。

 たった今、猛然とこちらへ突進して来ていた二台の車が目の前僅か30m程先で、幻の様に消えてしまったのだから。

 通報を受けた数台のパトカーが道路を封鎖し、その前にはタイヤをパンクさせる為のスパイクの付いたシートが敷かれていた。防弾仕様のパトカーの後ろには拳銃やライフルを構えた警官が陣取り、その後ろには大型の護送車が2台、横向きに道を塞ぐ念の入り様だ。

 もしも、タイヤをパンクさせても止まらなければ、警官は直ぐに運転手を射殺し、横へ退避するつもりだったのだ。


 「はは…… 俺達は幻を見ていた様だ。それとも集団幻覚か?」

 「いや、ビデオにはしっかりと映っている。幻覚なもんか!」

 「幽霊って、カメラには映るものだろう? 本当に存在していたかどうかなんて分からないさ」

 「ああそうだな、幽霊じゃ仕方無い。帰ろ帰ろ!」


 警官達は自分にそう言い聞かせる様に呟くと、現場を片付けて帰って行った。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 異世界側へ出現した2台の車は、異世界側の方が若干低かった様で、一瞬空を飛び、地面でバウンドして木々を薙ぎ倒しながらようやく停止した。

 バリアのお陰で木に衝突しても500eの方は何とも無かったのだが、後ろのモデルXは反射率0%のバリアに接触し、速度が緩められたお陰で大破こそしなかったものの、派手にスピンして立ち木にぶつかって止まった。幸い横転はしなかったが、ボンネットは派手に凹んでしまった。もしかしたらシャーシも歪んでしまったかも知れない。

 エアバッグの膨らんだモデルXからスーザンとアリエルの二人はゆっくりと降りて来て、茫然としていた。


 「あああ、俺のモデルXがああ!」

 「私のモデルXがー!」

 「ユウキ! 今は女の子なんだから俺とか言わない!」


 ユウキとスーザンは頭を抱えていた。アキラだけは冷静にツッコミ役になっている。アリエルは気絶から覚めて地面に座り込み、ボーっとしたままだ。


 「モデルXは、スーザンのじゃないからね!」

 「あ、そうだった!」

 「でも、自分で修理するならあげても良いよ」

 「え! ほんと!? やったー!! これ、運転しやすいんだよね」

 「「「運転しやすい?」」」


 アメリカでは運転し易いという言葉に別の意味も含まれているのだろうか? ユウキとアキラは顔を見合わせた。アメリカ人特有のジョークなのかなと思って、アリエルの方を見ると、顔を激しく横に振っていた。

 スーザンは、万歳しながら満面の笑顔でピョンピョン跳ねていた。

 この車を本当にスーザンに渡してしまって良いのだろうか? ニューヨークでさっきみたいな暴走をされたら絶対に大惨事になる。


 「あ、やっぱり修理はこちらでしてから渡すね」

 「えー…… 別にいいけどさ」


 スーザンが殺人犯になる前に、こちらでちゃんとチューニングしてから渡さないと心配でならない。


 それはそうと、重大な問題が一つ発覚した。

 それは、スーザンとアリエルに渡してある、アプリの絶対障壁の問題。この魔法は、元々スーザン(デクスター)が持っているアーティファクトへ音声命令で起動する物だった。それをアキラ(あきら)が、解析してスマホのアプリ化したものだ。永久電池を組み込んだスマホの莫大なエネルギーを使って、同等性能の魔法を展開出来る仕組みだ。そして、その起動条件に、音声命令の他、スマホに紐付けされたスマートウォッチで、心拍数の急激な変化や発汗による皮膚の電気抵抗等を読み取り、身体の危機的状況をAIが判断して魔法を起動するという、自動身体保護機能を組み込んでいた。

 だが、これには大きな欠点が有った。

 先程のアリエルの様に、気を失っていると起動出来ないのだ。これではイザという時に役に立たないではないか。改善は急務だ。


 「例えば、気絶したら自動的にバリアが張られるとかは?」

 「それだと、重篤な怪我をして失神した場合、医者が助けられない」

 「ああそうか、なかなか面倒な案件ね」


 森の中で科学者二人が考え込んでしまった。


 「その話は後で向こうへ帰った時にラボでやってくれない?」

 「あっ! そうだった。ごめんねユウキ」


 前面がガタガタのモデルXと無傷の500eをスマホのストレージへ格納して、今直近の課題を優先で処理する様にユウキは二人を誘導した。放って置くと所かまわず議論したり考え込んだりしてしまう二人の操縦術を少しずつ会得して来ている様だ。


 「さあ、先を急ぐよ。車が使えなくなったから、飛んで行こうか」

 「ちょっと待って! 俺は…… 走って行くよ」

 「森の中を? 飛んだ方が早いよ絶対。全員のスマホには浮上術のアプリは入っているんでしょう?」

 「そう…… だけど」


 アキラが口ごもっている。高所恐怖症なのは知っているのだが、森の木の上すれすれ位の高さなら大丈夫なんじゃないかなとユウキは思ったのだが、高所恐怖症の人にはそれでも無理らしい。


 「じゃあさ、目をつぶって飛んだら、手を引いて行ってあげるよ」

 「いやいやいや、余計高さを想像しちゃって怖いから」

 「困ったなー。じゃあ、またお姫様抱っこで走るか」

 「せめておんぶにして……」


 アキラは、こちらの世界では男なので、今は女性であるユウキにお姫様抱っこされるのは男のプライドが許さないらしい。

 という訳で、ユウキがアキラを背負って走る事にしたのだが、今度はスーザン達からクレームが付いた。


 「上からだと下を走っているあなた達が見えないんだけど」

 「時々ジャンプして森の上へ出ようか?」

 「ちょっと待ってソレ俺がスゴい怖いヤツじゃん!」

 「冗談だよ。スマホの『友達位置情報』見ながら追って来て」


 スマホの航空写真を確認すると、目的地の方向へは15km程行けば森が終わる様だ。

 ユウキはアキラを背負って、その方向へ向けて猛然と走り出した。森の中の岩や倒木をジャンプで飛び越え、木々を右へ左へと避け、崖も丘も渓谷も沼をもモノともせず、一直線にばく進するユウキの背中にアキラは必死でしがみ付いていた。それはまるでロデオの様だった。悲鳴を上げる余裕すら無い。口を開けたら絶対に舌を噛む。奥歯をぎゅっと噛み締めて耐えていた。

 10分もしない内に森は途切れ、広い草原へ出た。ユウキの走行速度は、時速に直せば90km/h以上は出ていた計算になる。背負われた状態の90km/hは、体感100km/h以上にも感じられた事だろう。上下左右に激しく揺さぶられながら身体を固定するシートベルトも頭を守るヘルメットも無い状態で、腕力だけでユウキの背中に必死でしがみついていたのだから。アキラは自動車じゃなくても恐い思いをしなければならないのかと、うんざりしていた。

 地面へ降ろされたアキラは、心臓がバクバク鳴り、嫌な冷や汗をどっとかいて精魂尽き果てたという表情だった。


 「ヤバい、こんな事なら負ぶって飛んでもらった方が10倍ましだった」

 「だから言ったのに」


 上空よりも地上の方が比較対象物が在る為に速度を実感し易い。地上1万メートルを飛ぶ旅客機が、時速800km出ていますと言われてもピンと来ないが、高速道路を走るバイクがその十分の一の速度の時速80kmで走れば周囲の景色がビュンビュン飛んで行くので凄く速く感じるのと同じ理屈だ。これを体感速度という。


 平地へ出たのなら、アキラも浮上術で身長程度の高さを飛んで追い掛けて来てもらえば良い。ユウキとアキラは、スマホアプリの浮上術を起動し、空へ浮かび上がった。

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