第183話 腐った死体

 矢の命中した黒い塊は、声が出ない事に驚いたのか、首をブンブンと振り回し始めた。

 第二矢に塗られていたのは麻痺毒で、発声器官を使えなくする為だった。


 黒い塊は凄い勢いで首を振り回している。それはあたかも、唐棹フレイルを滅茶苦茶に振り回している様な動きで、まるで生き物のそれとは思えない様な動き方だった。そして、首を振り切る度に何か飛沫の様な物が飛び散っているのが見える。


 「何アレ、気持ち悪い動きー!」


 ユウキが思わず嫌悪感を露にした声を上げた。その時、男達がハッとした表情でユウキを見て、黒い塊の方を再度見た。

 黒い塊は、首を振り回す動きを止め、声のした方を確認する様に体を回すと、ユウキ目掛けて突進し始めた。

 先頭に居た男はチッと軽く舌打ちすると、腰の剣を引き抜き、突進と首の動きに合わせて剣を滑らせ、一刀の元に頭を切り落とした。その時、飛沫も数滴ユウキの方へ飛んで来て、体に掛かりはしなかったが近くの草葉に付着した。その黒い飛沫も物凄い悪臭を放っている。


 頭を切り離された黒い物体は、その場に倒れて暫くのたうち回っていたが、やがて動きを止めた。


 「何この生物。これ、生物なの?」

 「死んだのかな」

 「いや、オロは首を切断しただけでは死なない。暫くするとまた動き出す」


 その黒い物体を男達はオロだと言った。

 まるで生物とは思えない様な異形の物体だ。


 何と言うか、全身がどす黒い。まるでヘドロかコールタールみたいに溶けてヌメヌメした感じなのだ。そして、酷い悪臭がする。それは腐敗臭だった。

 動物の体は、約60%程が水で出来ている。腐敗が進むと、骨と髪の毛以外はほぼ全てが溶けて液状に成ってしまうのだ。

 オロの全身は、真っ黒に成るまで腐敗の進んだ腐乱死体そのものだった。


 タンパク質の腐敗臭は、人間にとって耐えがたい臭いなのだ。所謂いわゆる死臭というやつで、一度着いたらどんなに洗っても数日は取れないし、ほんの僅かな臭いでもすぐにそれとわかる。

 よく死体遺棄事件のニュースとかで、近所の人が悪臭に気が付いたとかいう話があるが、どんなに厳重に密閉しようが土中に埋めようが、微かに漏れ出た臭いに人はすぐ気が付く程度には酷い悪臭のトップランカーなのだ。


 切断された頭は、腐乱した山羊の様な動物の頭だった。所々肉が溶け落ちて頭蓋骨が見えている。ユウキはその臭いに思わず鼻を摘み、顔をしかめて後退った。

 完全に息絶えたと思われたその死体は、アキラとスーザンが観察している間に再びもぞもぞと動き出した。

 体表面が波打つ様に動くと、数か所に穴が開き、空気か内部に溜まったガスなのか分からないが、それを勢い良く噴き出し始める。


 「ヴォーロロロロ…… ボオロロロ……」

 「うわっ! くっさ!」


 酷い臭いをまき散らしながら鳴き始めたのだ。鳴くというか、開口部の腐った肉片が振動し、音を鳴らし始めたのだった。



 「まずい! 動き出すぞ!」


 オロの首を切り落とした男は、腰に下げた革袋に入った油を死体に振り撒き、火を点けた。全身に火が回ったオロの死体は、激しく暴れだした。いや、暴れだしたというのは的確な表現ではないかも知れない。というのも、その動きは筋肉で動く普通の動物が暴れる様な動きではなく、体全体が波打つ様な、のたくる様な動きなのだ。

 そう、それは、その死体の内部に別の何かが潜んでいる様な、そんな動き方だった。


 「もう嫌! 何もかもが気持ち悪いー!」


 ユウキはあらん限りの嫌悪感を現した。

 火勢が上がり、肉の内部まで火が通り始めると、肉の下に潜んでいた何かが熱から逃げる様にブツブツと表面を突き破り、外へ逃げ出し始めた。それは、紐の様に細長い寄生虫だった。それが何十匹、何百匹と一斉に這い出て来る。

 しかし、外へ逃れても油の撒かれた地面で燃え上がる炎に焼かれ、次々と息絶えて行く。それは、あまりにもグロテスクでショッキングな光景だった。

 ユウキとスーザンは、その光景に耐えられなくなり、後ろを向いて仲良く吐いていた。最初にスーザンが吐いて、それを見たユウキが貰いゲロをしてしまった形だ。

 男は全身に熱が通る様に、死体をひっくり返し、反対側にも油を掛けて念入りにローストしていた。


 「万が一中で生き残ったやつが居たら厄介だからな」

 「どういう事なの? オロっていうのはこの寄生虫の事?」

 「俺達は取り付かれた動物を含めて全部をオロと呼んでいるが、根源はこの虫だ」


 オロの生態が良く分かっていない為、虚実入り混じった情報で混乱しているが、纏めるとユウキの仮説では次の様な事らしい。

 この寄生虫は、腐肉食性で生体よりも死体を好むらしい。

 死体の内部で、ある程度数が増えると新たな宿主を探しに死体を操り歩き回る様になる。

 そして、この虫の恐いところは死んだ動物を探し回る訳では無く、積極的に生きた動物を探し、呪詛攻撃で死に至らしめるという事。呪詛で動けなくして、または操ってオロの方へおびき寄せる。そして、接触した際にその動物を新たな宿主として感染するのだ。


 「ユウキのその仮説が正しいとすると、村の女達の体には卵は産み付けられていないのかな?」

 「オロに接触させなければ大丈夫だ」


 初めてオロに遭遇した頃は、相当数の人数が犠牲になったそうだ。しかし、呪詛で昏倒していても直ぐに現場から引き離し、治療を施せばだだちにに死に至る事は避けられていた。それはオロの出現から暫くして村へやって来たシャーマンを名乗る男に教わった知恵だった。

 しかし、当初大勢が犠牲になり、その全てがオロとなったというのなら、出現数や目撃数が少な過ぎやしないか?


「きっと、死体の中が満杯に成るまでは巣でじっとしている感じなのかな?」

 「多分ね。動き出さない内に一網打尽に出来れば良いのだけど」

 「とにかく巣を見つけよう。幸い、この腐ったヘンゼルが道しるべを残してくれているから、これを辿っていけば良いよね」

 「まるで腐ったナメクジだな」


 地面には腐汁がナメクジの這った後の様にずっと森の奥まで続いている。それにしても凄い悪臭だ。ダークエルフ達が鼻まで布で覆っているのには訳が有ったのだ。

 ユウキが鼻を摘まみながらその後を付いて歩いているのを見たアキラが訊ねた。


 「ねえユウキ。バリアは作動させて無いの?」


 ユウキとアキラのバリアは、本人達が嫌だと思うあらゆるものを通さない。当然だが、悪臭も通さない筈なのだ。


 「うん、身体能力が上がったので、何処までやれるか試したくて」

 「駄目よ、それは!」


 アキラが怒鳴ったのには理由がある。それは、ユウキが学生の頃から後先を考えないで無茶をする性格なのを知っているからなのだ。

 今回も人間を超えるパワーを手に入れて、その万能感に酔っているのではないかと危惧している。わざとバリアを切って、己の能力を試そうとしていたのだ。

 ユウキとアキラのバリアは、自分の嫌だと思うモノや危険だと感じるモノを自動的に排除する性能を持っている。ドラゴンズピーを作る時にもその臭いを防いでいた。しかし、今この腐臭を防げていないという事は、ユウキが意図的にバリアを解除しているからなのだ。


 ただ、これがただの酷い臭いなだけだからまだ良いのだが、仮に毒ガスだったりしたらどうするのだろう? 病原菌やウイルスだったら? この場では寄生虫に感染する可能性だってあるというのに。それらは身体能力だけで防ぐ事は不可能だ。

 ユウキは呪詛攻撃には一度痛い目に遭っている筈なのに用心が足りなさ過ぎる。今は絶対障壁で防御をしている訳だが、これはアキラに言われたので何と無く従っているだけなのかもしれない。アキラが居なければ無防備に何度でも突貫しかねない危うさがある。もし本当にそれをやられてたら迷惑な事この上ない。アキラは目の離せない幼児でも見ている様な気分に成っていた。


 「お願いだから、バリアは使って。腐臭が体に染み付いたら当分取れないよ」

 「え? それは嫌だなぁ……」


 ユウキは慌ててバリアをオンにした。アキラはユウキの操縦方法を心得ている様だ。

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