第178話 四次元的オペレーション

 ダークエルフの少女の頭に意識を集中しようとしたその時、急に視界がグルンと回転し、頭頂部から正中線に沿って人体がぱっくりと割れ、内部が露出した。それは、図鑑とかで良く見る惑星の内部図解の様な、またはロボットとかの半分だけ透視図に成っている様な、言葉では上手く説明が出来ないのだが、つまり、表面と内部が同時に見えているという、そんな不思議な映像だった。

 アキラは、いきなり見せ付けられた、生々しい脳や内臓といった、予期せぬグロ映像に吐きそうに成ってしまった。いや、実際に胃の内容物が喉元迄上がって来て、胃酸による焼ける様な痛みを喉の奥に感じ、咽てしまった。


 「アキラ、大丈夫?」


 ユウキが心配そうにアキラの顔を覗き込む。

 その瞬間、今迄見ようと思っていた少女の頭部の映像は視界の端に追いやられ、ユウキの顔のドアップが眼前に回り込んで来た。勿論、アキラは首を回したり眼球を動かしたりはしていない。先程からずっと少女の方を注視しているのだが、映像だけが正面に回り込んで来るのだ。


 アキラは、段々とこの目の使い方を理解し始めていた。

 つまり、見たいと思った物に意識を集中すると、そこが拡大されて見えるのだ。


 「ロデムはいつもこんな風に世界を見ているの?」

 『うん、まあそんな感じかな。三次元人では脳の負荷が大き過ぎて映像情報を処理しきれていないかも知れないけど、それでもかなり近い感じだと思うよ』

 「素晴らしい」

 『さあ、治療に取り掛かるよ』


 ロデムは、アキラが気持ち悪い、もう嫌だと投げ出すのかな思ったのだが、アキラの口から出た言葉は『素晴らしい』の一言だった。実際に脈打つ心臓や血管そして流れる血液、モニター画面を通してでは無い生きたままのフレッシュな臓器や脳の生のリアルな映像は、そういう物を見慣れている外科医でもなければ、一般的な人間にとっては死をイメージさせるので拒否反応を見せる人は多いだろう。何故なら内臓が見えてしまう状況と言うのは、命の危険がある場合がほとんどだからだ。


 しかし、アキラは『素晴らしい』と言ってのけたのだ。これは、科学者としての知的好奇心が恐怖を上回ったからなのだろう。


 「見たいと思った所に意識を集中させればそこが拡大して見える。何て便利! 拡大率の限界は?」

 『無いよ。原子構造またはそれ以上まで見たいなら、望むままに』

 「原子以上? クウォークも、もしかしたらそれ以上も?」

 『今は治療に専念しようか』

 「あ、そ、そうだね」


 アキラは、少女の脳に集中し、更に脳細胞サイズの領域まで認識を拡大した。

 脳細胞から長く伸びた軸索ニューロンが、触手の様に何本も他の細胞まで伸びている。見た所、壊死している部分も何かが沈着して変色している場所も見当たらない。綺麗な物だ。


 「ロデムはあのシャーマンの薬で脳が破壊されるって言って無かった?」

 『そう、破壊されると言っても、物理的に壊される訳では無いよ。ちょっとシナプスを拡大してみて』


 アキラは、ニューロンの先端の他の脳細胞と接触している部分、すなわちシナプスに意識を集中した。

 映像が再び動き出し、シナプスの接触面がズームアップされる。


 「あれ? アセチルコリン受容体の様子が何かおかしいよ」

 『そう、それがあの薬の成分だ。アセチルコリン受容体レセプターに、あたかも鍵穴に鍵が嵌る様に取り付き、そのまま外れる事無く固着してしまう』


 アセチルコリンと言うのは、シナプス間で信号を伝達する物質の事だ。ニューロン先端側から放出され、もう一つの細胞側にある受容体レセプターに辿り着く事で脳細胞間での信号を受け渡している。

 しかし、その受容体レセプターの鍵穴に予め他の似た形の鍵が差し込まれ、折って抜けなくしてしまい、本来の鍵が嵌らない様に細工されてしまったらどうなるのか?

 脳細胞は信号を受け渡す事が出来なく成り、脳の処理機能は停止してしまう。


 ニューロンまでは電気信号なのに、シナプスの細胞間だけ化学反応なのはどういう事だよ! というのは置いといて、化学物質で信号を受け渡している以上似た様な構造をしている別の物質で騙す事が出来てしまう。

 意図的に受容体レセプターを騙して効果を発生させたり、または逆に症状を出ない様にしたりというのは、薬学の世界では良く有る事なのだ。

 今回の場合は、生命活動に支障のある部分を避け、思考力や感情だけを殺すという悪意の有る処方がされていた訳だ。


 「この受容体に嵌った物質を一つ一つ全部取り除くのは不可能じゃない?」

 『そうでもないよ。物質を特定出来れば、その構造で体内を検索して全部にマーカーを付ける事が出来る。マーカーを付けられればそれを全部選択して一気に引き抜く事が可能だ』

 「何だかパソコンで検索するみたいだな……」


 ロデムのサポートによりアキラは、シナプスの受容体レセプターに嵌って固着し、使えなくしている数種類の物質を特定し、それと同じ物質を体内で全検索して、ヒットした物を全て選択した。

 その物質は、脳内にだけ存在している訳では無く、肝臓や他の臓器、筋肉内にも広く分布していた。脳内の物質だけを取り除いても、他の部分からやって来て再び塞いでしまうのだ。なかなか厄介な仕組みだ。そして、他の臓器にも分布しているという事は、自然に体外へ排出される事は無い事を意味している。一生不自由な体にされてしまう、悪魔の様な薬なのだ。

 アキラはそれら体内に分布している全てを選択し、体外へ引き抜いた。

 少女の身体から湯気の様に白い煙が立ち昇り、それが頭上で固まり、塩の結晶の様な物が出来た。


 「ちっさ! てゆーか、少な! たったこれだけなの?」

 『薬物なんて、薬効を示すのは千分の一ミリグラムレベルの代物なんだよ。青酸カリなんて耳かき一杯程度の量で大人数人殺せるって感じなんだから』

 「でもさ、お薬の錠剤って結構大きいよ?」

 『錠剤の有効成分以外の大部分は、薬理効果の無いただの増量剤なんだ。例えば、飲み易くするためにある程度の大きさに纏める為だったり、湿気や空気に触れない様に周囲を覆う目的だったりね』

 「そうなんだ……」


 アキラはその毒物の結晶を地面に落し、靴で踏みつけた。


 『次はいよいよ呪いに感染した部分、はくの浄化に取り掛かるよ』

 「う、うん……」


 アキラは、エネルギーの操作には慣れているとはいえ、人の命に関わる部分を触るのは初めての試みなので少し戸惑っていた。


 『大丈夫、アキラなら簡単だよ』

 「分かった。やってみる!」


 アキラは今度は頭に添えていた手を離し、意識を切り替えていつもやっている様に、エネルギーの流れを見ようと集中した。

 そうすると、エルフの頭の辺りに眩しい光の球体が見え始めた。


 「こうして見ると、魂の大きさとしては人間とは大して違わない様だ。はくというのは何処に在るのだろう?」

 『よく見てみて、衛星の様に魂の周囲を周回しているのがそれだよ』


 魂の輝きが眩し過ぎて良く見えていなかったのだが、光量を落す様に目の感度を調節すると、成る程ロデムが言った様に魂の周囲を周回する小さな星が見え始めた。

 それは、恒星の回りを周回するもう一つの小さな恒星の様だった。サイズに大分差が有るけれど、二連星といったところか。


 「これか!」

 『それがはくだよ。こうして見ると、やはり人間の物よりも大きい様だね』

 「えっ? 人間はもっと小さいの?」

 『豆粒みたいに小さくて可愛いよ』

 「マジか……」

 『マジだよ』

 「エルフは人間よりもフィジカルが弱いイメージ有るんだけどな」

 『寿命の延長にかなりのリソースを割いているみたいだよね。生き物を創造した神は種として色々な可能性を探っているのかもね』

 「ロデムの口から神なんて言葉が出るとは思わなかったよ」

 『いやもう、生き物を創った存在は神としか言い様が無いでしょう』


科学者は科学で証明出来ない存在を全く信じないのかというと、意外とそうでも無いらしい。真理を追求しようと努める科学者程神の存在を信じざるを得なくなるという。かのアインシュタインでさえ神という言葉を口にしているのだから。


 「ドワーフやノームはフィジカルに、エルフは寿命と知能に、人間はバランス型ってとこか。人間だけ何かつまらないセッティングだな」

 『はくに掛けられたリミッターといい、何か有るのかもね』

 「そう言えばダークエルフのはくにはリミッターみたいなものは掛かって無いんだな」

 『うん、どうやらその様だね』


 はくに手を付けようとしたら、魂の方が虹色のマーブル模様に激しく明滅し出した。


 「怖がっているのかな? 大丈夫、ちゃんと治してあげるからね」


 少女の魂は、礼を言うかの様に穏やかな色に変わり、ゆっくりと瞬いた。

 

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