第147話 熊肉
「人の身体は食べた物から出来ているっていうのは分かる?」
「うん、まあ、子供は沢山食べないと育たないからね」
「大人も、きつい労働後とかに筋肉痛に成るでしょう? その時、身体の筋肉が壊れているんだよ。」
「体が道具みたいに壊れるのかい?」
「そうだよ。その時に食べた物が修復材料に成って体を治すの。そうやって体を治すと、前より少し丈夫に成るんだよ」
「ふうん、不思議な話だねぇ……」
不思議な話なのだろうか?
栄養素と言う物を知らない、食事は腹を満たすための物としか考えていない世界では、不思議な話なのかも知れない。
少し考えれば、何故物を食べなければならないのか、食べた物は体の中でどう成っているのかと考えを巡らせる事が出来るのだが、日々の生活に追われ、本能でそうしている事に敢えて疑問を持つ余裕は無いのかも知れない。
こちらの世界には、お腹が空くから食べるんだよ、のどが渇くから水を飲むんだよ、息を止めると苦しいから呼吸をしているんだよと、生まれた時から自分のしている事にいちいち疑問を持つ人は殆ど居ない様に思う。
我々は教育によって誰でも知っている常識だと思っているかも知れないが、教育の行き届いていない世界では世の中に分からないことが溢れていて、細かい疑問に毎回気を使って生活なんてして居られないというのも有りそうだ。
「肉体労働後は、お肉を食べると良いんだよ」
「肉かい? 肉は干し肉を少しスープにするくらいだねぇ…… 高いと言うよりも希少で、あまり多くは手に入らないんだよ」
こっちの世界では肉は希少なのか。ワーシュのカグ国では串焼きとか売っていたからある程度は流通していると思っていたのだけれど、イスカ国やユウ国では畜産をやっている気配が無いし、森の浅い所で小動物を獲る程度なのだろう。
「肉といえば…… あれ? そういえば」
ユウキは有る事を思い出した。
「ねえ、豪角熊の肉って食べられるの?」
「豪角熊は、前にも言った事が有ると思うけど、出会って生きて帰った者は居ないよ。でも、もしその肉が手に入れば、きっととんでもない高値で売れるだろうねぇ」
「硬くて不味いって聞いてたからストレージの肥やしに成ってたんだけど、食べられるのなら出すよ」
ユウキは、以前にロプロスが獲って来た豪角熊を貰った事を思い出した。
大分前の事なのだが、ストレージは格納した直後の時間へアクセスして取り出せるので、実質内部の時間経過は無いと思って良い。
日本でもジビエで熊肉を食べたりするし、もしやと思って出してみる事にした。
ストレージから豪角熊を出すと、皆は腰を抜かした。
「「「ぎゃああああああ!!」」」
飛び下がる者、腰を抜かす者、反応それぞれだ。
ワーシュやノグリももう動けないみたいな感じだったのに、物凄い速さで立ち上がって飛び退いていた。
特にオーノ商会から派遣されて来た研修生の反応は早かった。
多少でも動ける者はダッシュで逃げ、動けない者は涙を流しながら失禁して半狂乱に成ってしまっている。
ユウキは慌てて、もう死んでいるからと説明していた。
ザオ国は山の中の国であり、森を切り開いて街道を通してあるために豪角熊の被害が良く有ると言っていた。
恐怖感覚がこちらの人間とは段違いなのだろう。
ホダカお爺ちゃんとミサキ君は、生まれて初めて見たこちらの世界の怪物に、茫然と立ち尽くすだけだった。何と言っても、日本の熊の数倍は大きいのだから。北海道のヒグマと比べても三、四倍は大きいだろう。
「大丈夫だよ。もう死んでるから」
「こここ…… これ…… こ、こ」
ミバルお婆さんは、鶏みたいに『こっこ』しか言葉が出ない様だ。
「お婆ちゃん解体できる?」
「出来ないよ! 大体、初めて見たよ!」
「困ったな。あ、そうだ、ビベランなら出来ないかな? レストランのオーナーだし」
「お、俺、姉ちゃん連れて来るよ!」
ノグリが小屋へ走って行こうとするのを、お前じゃ信用が無いからとミバルお婆さんが止め、代わりにワーシュがビベランを呼びに行った。
数分後、ワーシュと一緒にビベランが小屋から出て来た。
小屋から出て目の前の畑に横たわる豪角熊を一目見た瞬間、右掌をパチンとおでこに当て、天を仰いだ。
「何て事! またあなたなのね!」
そして、がっくりと肩を落とした。
「こんな巨大な豪角熊を丸々一頭なんて、一体幾らで買い取れば良いのよ」
ミスリルの時はこんな反応しなかったのに、もしかして豪角熊の方が高価なのだろうか?
聞けば、ある意味その通りなのだという。
森で豪角熊に出会って生きて帰った者は居ないというのは、決して比喩では無く、本当にそうらしいのだ。
だから、その肉を食べた者も解体した経験の有る者もこの辺には居ない。
その手配も面倒だし、内臓や爪、角、毛皮に至るまで極めて希少で、爪や角は国が管理するレベルの重要素材だ。それが丸々一頭分なんて金額の付け様が無いとの事だった。
「前に貰った草刈り鎌は、こいつの爪だったんだねぇ」
ホダカお爺ちゃんは、その長大な爪を見てそう言った。
ミバルお婆さんは、豪角熊に恐る恐る触れ、まだ体温が残っている事に驚いていた。
「まるで今しがた仕留めたみたいだよ」
「解体出来ないのならまた仕舞って置くよ」
ユウキはスマホを操作して豪角熊をストレージへ格納した。
「ちょっと待って、この疲れ切った子達にお腹いっぱい食べさせてあげたいんでしょう? それなら私の店から料理を運んで来るわ」
「疲労した肉体労働者にお肉を食べさせてやりたかったんだ」
「お肉? それは何故?」
「お肉や豆類は、タンパク質といって体を作る大事な栄養素が沢山含まれているんだよ」
「え? 初めて聞いたわ。それで労働者用の料理作ったら当たりそう」
「商売人だなぁ……」
仕方が無いので、ユウキは急いで日本へ帰り、牛丼を二十人前持ち帰りで買って戻って来た。
どちらにしろ、豪角熊を今から解体して直ぐに食べられる様には成らないだろうから、他の料理を持って来るしか無かった訳だが。
「はーい! 皆集合ー!! ごはんの時間だよー!」
「うっま! 何これ!?」
「この下に入っている穀物が米という物で、私達がこれから作ろうとしている物なんだよ」
「はえー! これを作ろうとしているのかい!」
これから何を作ろうとしているのかを教えずに働かせるのはモチベーションが上がらないだろうとユウキは考えて、牛丼を買って来たのだった。
実際に食べて、その美味さを体験してこそモチベが上がると言うものだ。
牛丼は元々築地市場の労働者の為に、早くて安くて美味しい物を提供しようと作られたものだ。
ただ、ユウキは玉ねぎが入っているのを失念していた。
エルフの時の生クリームもそうだけど、迂闊だ。
皆が食べてしまってから気が付いた、狸はイヌ科だった。
「ちょっとまったー!! 食べないで!」
「え? どうしたの?」
皆は既に半分位食べてしまっている。
「ああ、遅かったーあ!」
「一体どうしたっていうのよ?」
ビベランが不思議そうに聞いて来た。
「ネギが入っているのを忘れてたの」
その泣きそうなユウキの顔を見て、ミバルお婆さんが大笑いをした。
「大丈夫だよ。うちは食べ物の好き嫌いする様な育て方して無いからね」
「いや、そういう事じゃ……」
「うちで食べた料理にもネギは入っていたでしょう?。甘くて美味しいよ」
ビベランやミバルお婆さんは好き嫌いの問題かと思った様だ。
だけど、本人達が大丈夫だと言うなら大丈夫なのだろう。
体の造りは人間寄りなのかも知れない。一つ勉強に成った。
人間っぽい狸なのではなくて、狸っぽい人間という事みたいだ。
ワーシュもノグリも末っ子も、一杯では足りなかった様でお代わりを要求して来たので、本当に大丈夫なのだろう。
万が一具合が悪く成る様だったら、後でケアをしようとユウキは思った。
豪角熊は、ビベランが解体出来る者を手配すると言うので、任せる事にした。
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