第139話 デクスター

 仮にあきらの拳の突きの速度を時速20km程度だとすると、反射率50000%により、時速10000km相当、およそマッハ8で衝突したのと同等の衝撃を生んだ。

 あきらが拳では無く人差し指で突いたのは、衝突面積を小さくして更に衝撃力を増すためだ。

 釘の平らな側で押した場合と尖った方で押した場合に、尖った方が刺さり易いと言うのは分かるだろう。

 同じ力で押した場合、面積が小さい程エネルギーは集中する。

 その結果、デクスターの張ったバリアは粉砕された。


 そして、二つの異なる原理で発生していたバリア同士の衝突は衝撃波を生み、近くの応接セットのガラステーブルの天板をその上のティーカップごと粉砕し、一番近い所のシャンデリアは落下し、少し離れた場所のベランダ側の大きな強化ガラスの壁の何枚かにも鱗状の細かいヒビが入り、一瞬で曇りガラスの様に成ってしまった。

 ソファーに座っていた政府職員達は転げ落ち、その後ろに控えていたSP達は保護対象者を守る余裕も無く床へ転がっていた。

 これでも人差し指の先程度の面積から発生した衝撃波だったのでこの程度で済んだが、もし拳や掌底で打って居たら被害はもっと大きかったかも知れない。


 「あら御免なさい。こんな事に成るなんて……」

 「私が言い出した事だし、私の方で弁償しておくわ」

 「そう? ではお願いします」


 この破壊状況を見て、賠償金額は一体幾らに成るんだと心配していた三浦だったが、事も無げにそんな事を言う二人を見て、レベルの違う金持ちは恐ろしいと心底思った。

 部屋が滅茶滅茶に成ってしまったせいで、会談場所の変更を余儀無くされ、予備会場として確保されていた別のホテルへと移動する事に成った。

 SPの先導でエレベーターに乗り込み、エントランスホールへ出ると、正面の道路に黒塗りの車が既に待機しているのが見える。


 「まさか私のバリアを人差し指一本で突き破るとは思いもしなかったわ」

 「方式の違うバリア同士をぶつけたらどう成るのかなって思ったの。私の勝ちだったけどね。ふふっ」

 「悔しいけど、負けは認めるわ」


 両方の国のスタッフもエレベーターから降りて来て、車に乗り込むために歩き出そうとした時、あきらのスマホが鳴った。


 「もしもし、あきらです。えっ? そうなの? 分かったわ、気を付けます」


 通話を切ると、あきらはSPを追い越して先にエントランスを出てしまった。そして、キョロキョロと通りに並ぶビルの上の方を見回している。

 遅れてSPが追い付き、デクスターがその後に続いて出て来た時、あきらは左手をデクスターの頭の前へ伸ばし、何かを掴み取った。

 そして、通りの遥か向こうにほんの少しだけ見えているビルの方を睨むと、右手人差し指をその方向へ伸ばし、横に線を描く様な仕草をした。


 「危ないですから我々の前へは出ないで下さい!」


 SPのリーダーに怒られてしまった。

 しかし、あきらは左手に握った物を皆に見せた。


 「今、狙撃されたんですよ。狙いはデクスターさんの様でした」


 一同がザワついた。あきらの握っていた物は、ライフル銃の弾丸だったのだから。

 あきらは、バリア対決の直ぐ後にバリアの反射率を0%に直していたので、銃弾を跳ね返す事無く手掴みする事が出来たのだった。

 その弾丸は、良く見ると特殊な形状をしている。それをデクスターのSPへ渡すと、顔色が変わった。


 「こんな物、どこから!?」

 「あのビルの屋上から」


 あきらの指差したビルは、手前の大きな高層ビルに隠れ、角がほんの少しだけ見えている、更に遠くに在る高層ビルだった。直線距離にして1km以上離れている様に見える。

 これを素手でキャッチしたのかと驚かれてしまった。

 SPは直ぐに無線のスイッチを入れ、何かを指示した。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 狙撃手の狙いは、デクスターだった。

 彼女はアメリカ国内でもかなり大きな会社のCEOであり、他にも幾つかの会社を経営する実業家だ。

 国と共同で軍事に関わる何かを開発しているとも噂されていた。

 従って敵も多い。命を狙われる事は一回や二回では無かった。


 デクスターは、滅多に外に出る事は無いのだが、今回は外国の要人と会談する事が急遽決まり、とあるホテルで会うという情報を、狙撃手の男は得ていた。

 警備範囲が半径1kmだという事を事前の調査で知った男は、その2倍の距離からの長距離狙撃をするべく、慎重に狙撃ポイントを選んだ。


 そのビルは、手前に在る高いビルの裏手と成り、狙える場所など無い様に見える。

 デクスターの居るホテルの方から見た場合、遠くに見える二つのビルは完全に重なって見えるのだが、大きなビルの裏手に在る狙撃手の居る方のビルの屋上の、ほんの一角からは僅かにホテルの正面玄関を狙えるポイントが有った。

 その位置は10cmにも満たないのだが、男は手すりを乗り越え、窓掃除用のゴンドラが通るレールの内側へ身を潜め、スコープ越しにじっとターゲットが出て来るのを待った。


 待つ事一時間、何やら事故でも有ったのか、ホテルの従業員が慌しく動き回り始める。

 やがて黒塗りの大型セダンが何台も玄関の正面へ横付けされ、ドアを開いて待機し始めた。

 男はターゲットが玄関から顔を出す瞬間を待った。

 しかし、最初に出て来たのは年恰好が同じ位の東洋人の女だった。

 その女は、左右を見回すと、狙撃手の方を見た。

 男は一瞬、目が合ったと思った。

 しかし、同時にターゲットも出て来たため、瞬時に意識は切り替わり、目標の頭部に狙いを付け、引き金を引いた。


 「ちょろいもんだぜ」


 銃弾は真っ直ぐに、正面のビルの横を掠める様に通過し、ターゲットであるデクスターの頭に直撃する筈だった。


 その時、先に出て来ていた東洋人の女がひょいと左手を上げると、まるで友達が投げてくれた飴玉でもキャッチするみたいに銃弾を掴み取ってしまった。


 「は?」


 男は今、何が起こったのか理解出来なかった。

 その女を見ると、やはりこちらを見ている。まさか、向こうからこちらが見えているのか?

 女がこちらへ人差し指を向けた瞬間、男はぞっとした悪寒が背筋を走り、銃を取り落としてしまった。

 男は慌てて銃を拾おうとしたが、今度はバランスを崩し、屋上をぐるりと取り囲んでいる、一段高く成った縁の角へ顔面を激しく打ち付け、鼻と口から血を流してその場に倒れ込んでしまった。


 普通、ある程度運動神経の有る男なら、転んだ時に顔面から先にぶつかるという事はまず無いのではないだろうか? 男は余程慌てていたのか?

 いや、冷静に考えてみても有り得ない。反射的に手を着いて顔を守る筈だ。

 男は手を着かなかったのではなかった。手が動かなかったのだ。

 鼻血を出し、折れた前歯が口の中でごろごろしている。顔面血まみれと成り、ゴロンと仰向けに転がり天を仰いだ。

 起き上がれないのだ。肩から先の両腕の感覚が全く無い。


 狙撃地点が知られた以上、速やかにこの場を立ち去らねばならないと言うのに、全く起き上がる事が出来ない。

 両腕が動かなければ、柵を超える事が出来ないし、ドアノブを回す事すら出来ない。


 「詰んだな……」


 男はそう思い、逃げる事を諦めた。

 数分の後、警察官が駆け付け、男を連行して行った。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 黒塗りの車の中に押し込められた、あきらとデクスターは、ある目的地へ向かって走っていた。

 あきらは車に乗り込む時に、何だか細長い車だな、ドアと窓ガラスが分厚いなと思った。

 その車は防弾仕様車なのだ。窓ガラスの厚みはなんと5cmも有る。

 こんな重装甲車に乗って暗殺の危険に備えなければ成らないデクスターって一体何者なんだろうとあきらは思った。


 「狙撃犯が確保されたそうです」


 無線で報告を受けたSPが報告してくれた。

 車の中は、シートが対面に成っていて、真ん中にテーブルが在る。

 デクスターのSPが、先程渡した銃弾をテーブルの上に置いた。


 「この銃弾は特殊構造の小型の徹甲弾と成っています」


 SPの説明では、弾の中にタングステンの貫徹子と呼ばれるニードルが仕込んであるのだそうだ。

 弾の後部にもう一段階火薬が仕込まれていて、先端が対象物に当たった瞬間にそれが撃針と成り、飛翔体後部に仕込まれた火薬が爆発して貫徹子を更に押し出す構造に成っているという。

 人間相手に使う様な代物では無かった。

 それは明らかにデクスターのバリアの構造を知り、それを貫通する目的で作られた物だったのだ。

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