第96話 とうほぐの関所村

 「なんだいそれは?」


 ユウキは、瓶の蓋をポンと抜いた。

 中に入っている少し黄味掛かっている液体の香りが辺り一面に漂う。


 「うわっ! くっせ!」

 「止めろ止めろ! 早く栓をしてくれ!」

 「何だかおどろおどろしい感じがするにおいだな」


 ユウキは直ぐに瓶の栓を閉めた。


 「これが害獣除けだよ。竹筒か何かにこれを含ませた布を入れて、村の外周や畑の回りにに掛けて置くとか、森に入る時にそれを腰に下げておくだけで豪角熊も逃げ出すよ」

 「豪角熊もかぁ? 嘘だろ」

 「猪や猿なんかに作物を食い荒らされるのも防げるよ」

 「信じられねえなあ」


 まあ、にわかには信じられないかもしれない。

 しかし、試してみようにも実際に害獣が近くに居ない事には試し様が無い。


 「このにおいの正体は何なんだい?」


 それは企業秘密なのだが、言わないと信じてもらえないような気がする。


 「うーんこねぇ、龍神のにおいを凝縮した物というかー……」

 「龍神って? 何だい?」

 「うーんこねぇ、ドラゴンって言ったら分かりやすいかな?」

 「はあ? ドラゴンだって?」

 「嘘つけ! どうやってドラゴンのにおいなんて取って来るんだよ」


 「うーんこねぇ、ドラゴンの巣に行ってちょこっとね」

 「巣の場所を知ってるのかよ。命知らずだな。で? ドラゴンの何を取って来るってんだよ」

 「それは企業秘密だ!」

 「はん? 信じられねえな。そんな命知らずが居る訳ねえ!」


 「うーんこねぇ…… さりげなく答えを教えてるのに、全然気が付かないなこの人達」

 「ユウキ、全然さりげなく無いから」


 確かにドラゴンは人より何十倍も目が良い。猛禽類のそれと近いものが有るのかもしれない。

 こちらがドラゴンを視認するより先にドラゴンの方がこちらを見付けている可能性の方が遥かに高い。

 さらに言えば、物陰に隠れていても見つかるという話を聞いた。サーモカメラの様に赤外線も見えるのか、蛇の様なピット器官を持っている可能性もある。

 一度ひとたびドラゴンにロックオンされたら、絶対に逃げられるすべなど無いのだ。

 人がドラゴンへ近づいてどうこう出来るなんて誰も思わないだろう。


 「じゃあね、これも一瓶お試しで置いて行くから、使ってみて」

 「お、おう、ただなら良いぜ」


 まあ、一見いちげんさんがすんなり商売出来るとは思っていなかったから、初めから顔見せ程度に考えていた。

 それよりも、ここに来た本来の目的は、ドラゴンの餌場探しなんだ。

 そっちを急ごう。


 ユウキとアキラは、村人に挨拶をしてこの要塞みたいな村を去る事にした。

 丸太の杭が外側に突き出した門を抜け、水壕に掛かった細い橋を渡って100m位だろうか、歩いた時に急に村の方から悲鳴が聞こえた。

 振り返ると、二人と村の丁度真ん中あたりの森から豪角熊がのそりと出て来る所だった。

 豪角熊は、街道の真ん中辺りまで出てくると、左右を見回した。

 そして、獲物を発見したとばかりにユウキとアキラの方へ猛然と走り出した。

 村の方では大慌てで橋を落とすために数人の男達が門の外へ出て来ている。

 村人達は、あの旅商人には申し訳無いが、二人が食われている隙に橋を落として門を閉めようと考えていただろう。

 冷たい様だがこちらの世界では人の死はとても身近なのだ。


 野生動物の走る速度は速い。

 人間が走って逃げられる道理など微塵も無いのだ。

 豪角熊は、恐ろしいスピードでユウキの所まで走り寄ると、左前足の鍵爪でユウキの頭の辺りを狙って薙いだ。

 しかし、その爪はユウキの側頭部に当たった瞬間、反射率1000%、つまり十倍返しのバリアによって衝撃は打ち返され、三本の爪が砕け散ってしまった。

 そのあまりもの衝撃と痛みで驚いたのか、豪角熊は今度は村の方向へ走り出した。

 少しビッコを引いている様に見えるが、それでも人間が走るより全然速いその走りで、豪角熊はあっという間に村へ到達してしまった。


 橋を落とそうとしていた男達は焦った。

 外側に掛かっている端の留め具を外す事しか出来ていなかったのだから。

 橋は片側が落ちて斜めに滑り台の様に傾斜して、水郷の半分位の位置で沈んでいるだけに成ってしまった。

 そちら側の端を担当していた男達は、慌てて片側の落ちた橋へジャンプし、向こう側に居る男に手伝ってもらって引き揚げて貰おうとしていた。

 これでは却って足場を作ってやった様なものだ。


 豪角熊がこちらへ向きを変えて走り出すのを見た男達は、橋を落とすのは諦めて囲いの中へ逃げ込もうとしたのだが、男達が逃げ込む寄りも早くあっという間に距離を詰めて水郷の縁までやって来てしまった。

 そして、斜めになった橋を足場に、軽々と水壕を飛び越え、真ん中に居た男を足で踏み付けた。

 男は胸の辺りを巨大な鍵爪で押さえつけられ、呼吸すら出来ない様だ。

 豪角熊は、男を食おうとその大きな顎を開き、男の腹に牙を突き立てようと顔を近づけた瞬間、弾かれた様にパッと飛び退り水壕を飛び越え、一目散に森へ逃げて行ってしまった。

 押さえ付けられていた男は、何が起こったのか分からずにポカーンとしていた。


 良く見ると、懐に入れていた小瓶が割れ、その汁で胸の辺りがびっしょりに成っている。

 ズボンも失禁した為にぐしょ濡れになっていた。

 ユウキとアキラは直ぐに戻って来て様子を確かめた。


 「あーあ、色んな意味でエンガチョだわ」

 「確かに……」


 ユウキには力仕事はさせられないと、アキラは村人達と一緒に橋の引き上げを手伝った。

 村の中では、誰も怪我が無かった事を喜び合った。

 失禁してしまった男は、一旦家へ帰って着替えて戻って来た。


 「あんたら、さっきは済まなかったな。あんたらに貰ったこの瓶のお陰で命拾いしたよ」

 「効き目が有って良かったね」


 男は割れたドラゴンズピーの小瓶をユウキ達に見せた。


 「なあ、これをもっと買いたいんだが、良いか?」

 「良いけど、今回は宣伝の為に見本としてちょっとしか持って来て無いんだ。後二本しか無いんだけど」

 「二本でも良い! それを金貨一枚で買い取らせてくれ」

 「え?」

 「ダメか? なら……」

 「いやいや、それで良いよ。まいどありー」

 「有難い! 最初疑って済まなかったな」


 やはり実演販売は最強だ。

 偶然だけど、こんなタイミングで豪角熊が出て来てくれるとは思っても見なかった。

 これがテレビドラマだったら、ヤラセだ酷い演出だとネットで袋叩きに合いそうな展開だったろう。


 「今度来た時にもっと持って来ようか?」

 「そうか! ありったけ持って来てくれ! 全部買い取る!」

 「でも、私達小売りじゃなくて卸しなんだ。この村の元締め的な商家さんが居たら紹介して欲しいんだけどな」

 「ああそれなら俺がそうだ。あの店だから次来た時は宜しく頼むよ」


 男の指差した先には、大きな店構えの店舗が在った。

 ユウキとアキラは、大口の客をゲットしたので、気分良く帰ろうとしたが、また後ろから声を掛けられた。


 「なあ、このにおいなんだが、落ちるのか?」

 「うーんこのにおいは、十日位落ちないかなぁ…… 私も前に酷い目に遭ったんだ。今度来た時ににおい消しも一緒に持って来てあげるよ」


 こうして、今度こそ本当に村を後にした。

 本来の目的のドラゴンの餌場を確保しなければ成らない。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 「ねえロデム。この辺りのマッピングは出来た?」

 『キミ達の今居る場所から半径数キロの範囲は既にマッピング済みだよ』

 「ありがとう」


 村を出て暫く歩いた所でロデムを呼び出して聞いてみた。

 地図アプリを起動してみると、今自分達が居る場所から数キロの範囲が詳細に表示されている。

 でも、そこは広大な森の中でしかなかった。


 地図表示では、広い森の中を一本の街道が貫いている。

 その街道のさっきの村の在る位置が、高速道路のサービスエリアみたいに少し膨らんでいて、そこを拡大すると水壕や家の位置が細かく表示された。


 「ふうん、本当に森の中の特殊な村って感じなんだね」

 「村からセンギ国だっけ? そこまで20km位ってたしか言ってたよね?」

 「そうだね。日本側の地図へ切り替えて、20km辺りは、と」

 「あれ!? 仙台駅じゃん!」

 「本当だ! 仙台駅だ。来る時全然気が付かなかったな」

 「村は出身中学校の辺りなんだけど……」

 「なるほどね。学校の怪談って結構そういう事だったりするのかもね」


 以前にユウキが考えていた仮説だ。幽霊が見える人って、異世界側の人間を見ているんじゃないかという説。

 だから、異世界側の町や村といった人が多く居る場所が日本側の何かの施設と同一場所に重なっていたりすると、幽霊を見る人が多く成るのではないかなと考えられる。



 そうと分かれば、ゲートポイントの近くに作った拡張空間から一旦ロデムへ帰還して倉庫から品物を補充し、そこからゲートを潜って日本側へ渡ってから仙台駅へ移動する。

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