第71話 契約違反

 荒川は熊谷市の辺りで大きく西に曲がり、山岳地帯へと入って行く。

 その川の上流に秩父市の在る、比較的開けた平らな土地が在るのだ。

 多分、お婆さん達一家が来たのはそこじゃないかとユウキは当りを付けていた。


 ユウキはスマホの地図アプリを起動し、日本側の地図の航空写真へと切り替えて地形を確かめた。

 直接異世界側の地図で確かめたいところなのだが、こちらの地図はロデムが一万年以上前に見た地形かユウキ達が直接目で見た地形や町しか表示出来ない。

 流石に一万年以上も前の話だと、地形もだいぶ変化しているだろうし、当時からそこに集落が在ったとも思えない。

 だから、現在の日本の方の地図の航空写真から村の位置や街道等を推測するしか無かった。


 関所の村というのは、日本で言う寄居町か小川町のあたりではと推測してみたのだが、航空写真で拡大して見ると、寄居町から川沿いを行くのは無理そうだという事が分かった。

 今でこそ崖を削って道路を通してあるのだが、本来の地形だと川ギリギリまで崖が迫っていて、とても通れる道が在るとは思えない。


 そもそも、川沿いを行くルートだと、橋を渡って反対側へ行く理由が無いのだ。

 何故なら、川を目印に川沿いを歩いて秩父方面を目指すのなら、どちら側の岸を歩いても一緒なのだから。

 それを敢えて『川を渡って』と言われた所を見ると、どうしても川の向こう側へ行く必要が有るのだろう。


 つまり、正解は小川町の方向なのだ。

 川からはだいぶ離れて行ってしまうが、そこから山間部を通って秩父方向へ抜ける事の出来る道が存在する。日本側の地図ではね。

 荒川は熊谷辺りから弧を描く様に流れがカーブし秩父へ至るが、その真ん中を通る事によってショートカット出来るのだ。

 日本と異世界で地形が同一で有るとするならば、きっと異世界側にも道が在る筈だ。


 しかし、これを全行程徒歩で行くと成るとなかなか大変だろう。

 まずは関所の村とやらを目指し、そこに拡張空間を設置して一旦帰る事にしよう。

 この様に、行ける所まで行っては拡張空間を設置して帰るを繰り返して行けば、やがて辿り着くのでは無いだろうか。

 熊谷から小川町までは凡そ15km、なんとか一日で歩けそうな距離ではある。

 取り敢えずそこまで行ってみる事にした。


 ところが、歩き始めて三時間程でユウキが音を上げ始めた。


 「いや待って、結構きついよコレ」

 「そう? 俺はまだまだ全然平気だけど」


 それもそのはず、平坦な舗装道路と違ってこっちの道は碌に整備もされていないデコボコ道なのだ。疲労度は段違いだ。

 ロデムの解析では、ゲート開通には相当量のエネルギーを消費している筈だという。

 それは、精神エネルギーだけでは無く体力的なものも消費しているのかもしれない。

 それに引き換えアキラはというと、転移には便乗して移動して来るだけなのでエネルギー消費は全く無い。

 転移回数によって魂のエネルギー量はどんどん増えて行くし、ユウキの方が転移回数は断然多いのだが、アキラは消費するエネルギーが少ない分ユウキよりも有り余っている感じがする。

 それはアノ時の活発さを見ても頷ける。いつもアキラ、向こうでのあきらの方が積極的なのだ。


 「ちょっと休む?」

 「うん、そうさせて」

 「負ぶって行こうか?」

 「いや、流石に恥ずかしいし」


 休み休み、糖分補給なんかをしながら歩く事五時間、ようやく村らしき家屋が見えて来た。

 足早に歩を進め村の入り口に辿り着くと、そこそこ大きい村に見える。

 建物の数は、五十軒以上は有りそうだ。

 村の反対側の端までが見えないので、もしかしたらそれ以上在るのかも知れない。


 この村の建物は、水害対策用の石積みには成っていなくて、直接地面に建てられている。

 そのせいか、街並みが何と無く貧相に見える。

 見えると言うよりも実際に貧しいのだろう、石積み構造を作るには其れ成りのお金が掛かる。それが出来ないのだ。

 殆どが木造で草葺きの屋根の家屋が多いし、所々破損しているのに修復もせずに放ったらかしに成っていたりする部分も見受けられる。

 衛生状態もかなり悪そうだ。


 これは、江戸時代の日本の庶民の長屋みたいに、火事や水害で壊れたなら直ぐに放棄して、また建てれば良いやと言う方式なのだろう。

 見た感じ安普請やすぶしんの家がずっと道沿いに建ち並んでいるのだ。


 村の中に入ると、中心部を一本道が貫いていて、その両側に家屋が立ち並んでいる街道中心構造の村である事が分かった。

 ユウキ達の服装が珍しいのか、擦れ違う人がジロジロと見て来る。余所者が何しに来たんだよという心の声が聞こえて来そうだ。

 多分、この村には殆ど他から人はやって来ないのかもしれない。余所者が珍しいのだ。



 村の中程迄歩いて来た所で、前方に在る一軒家から出て来た体躯の大きな男と擦れ違った瞬間、アキラが吹っ飛んだ。

 ユウキは何が起こったのか咄嗟に分からず茫然としていた。

 アキラは派手に吹っ飛び、道の脇に在る家の板壁に激突し、崩れ落ちて気を失ってしまった様だ。頭から一筋血が流れている。

 慌てて駆け寄ろうとしたユウキは、急に何者かに腕を掴まれて反対側に引っ張られた。


 ユウキの腕を掴んでいるのは、今すれ違った大男だった。

 ユウキ達とすれ違った瞬間、アキラを後ろから殴り倒したのだ。

 アキラは人の悪意や殺気みたいなモノを察知する事が出来る。

 当然この村は治安が悪いと聞いて来ていたので、警戒はしていた筈なのだが、そのアキラを持ってしても気付かれない程に男は悪意を隠す術に長けていたのだ。

 アキラは背後からの不意打ちを食らい、失神してしまっている。


 「女はこっちへ来い」

 「嫌だ! 放して! アキラ、アキラ!」


 一般人よりもエネルギー量が多い筈のユウキでも抗え無い程に男の力は強かった。

 この村は、元々防衛拠点であり、落ちぶれたとはいえその住民は皆腕に覚えのある屈強な元兵士なのだ。

 物資の乏しく貧しいこの村では、送られて来た兵士達は最初は真面目に防衛任務に就いていたのかもしれない。

 しかし、人も物もあまり来ないこの村に長く住む内に、自分達は中央から厄介者扱いされ捨てられてこんな所に追いやられているという思いを抱く様に成る。

 やがて管理する者は誰も居なく成り、治安はどんどんと悪化して行く。

 今では元兵士というか兵士崩れと言うか、住民の殆どが粗野で乱暴な、人の物を奪ったり殺したりという事にも心が痛まない強盗みたいな人間ばかりと成り果て、他所からこんな所へ来るのはほぼ全部が居場所を追いやられた犯罪者だけという、悪人の吹き溜まりと化してしまっているのだ。


 ユウキは男の住処へ引き摺られて行き、薄汚れた粗末な敷物が敷かれただけの部屋の中へ乱暴に投げ込まれた。

 そして、押さえ付けられ、衣服を乱暴に引き裂かれる。

 このままではまずいと思ったユウキは、男の四肢の自由を奪おうと集中するのだが動揺してしまって中々上手く行かない。

 アキラならそれ位瞬時に、呼吸をするが如く出来てしまうのだが、ユウキは未だ対象のエネルギーを認識し、操作するのにコンマ数秒程度の集中時間を要する。

 この様な焦り動揺する場面では、なかなか集中状態コンセントレーションに入るのにタイムラグが発生しているのだ。

 焦るな焦るなと自分に言い聞かせるのだが、かえってそれが焦りを呼ぶ。


 何時もやっている様に男を指差しチェックマークを付ける様な動作をしようとした時、男にその手を払われ、頬を叩かれ、みぞおちを殴られた。

 息が止まり、恐怖と痛みで抵抗する意思が奪われる。


 「人を指差してんじゃねー!」


 男のドスの効いた声が響く。

 男は裸にしたユウキの両肩を抑え付け、覆い被さって来た。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 外では失神しているアキラの金品を奪おうと近くの家から男が数人出て来た。

 アキラもユウキも強力な能力を持っているとはいえ、平和ボケした極一般的な日本人だ。

 外国の渡航禁止に成っている様な国々の本当の治安の悪さなんて知らない。

 自分に一切非が無くとも、ちょっと小綺麗な恰好をして歩いているだけで襲われ、殺される場合もあるのだ。

 たった数セントの小銭の為だったり、流行りの靴を履いていただけだったり、その程度の事でそれを奪う為に殺す事を何とも思わない人が居る。

 日本人でそういった場所を歩く事を想像出来る人がいるだろうか?

 周囲の人間全部にカモとしての目を向けられ、安全地帯も守ってくれる警官も居ない、ただ歩くだけで死の危険を回避するために全神経を集中しなければ成らない日常を想像出来るだろうか?


 ユウキとアキラは、そんな場所を無防備な恰好で呑気にほっつき歩いてしまったのだ。

 いや、多少は事前に注意されていた通りに気を付けていたのかもしれない。しかし、現実はその想像の遥か上を行っていただけなのだ。

 同じ人間だから分かり合える筈だとか、ちょっとでも良識を持っているならそんな事をするはずが無い、なんて考えは非常に危険なのだ。

 こちらの考えている倫理観や道徳なんて易々と踏み越えて来る相手と対面した時、ただただ黙って打たれるサンドバッグと化してしまうだけだ。


 近隣の家から出て来た男達は、アキラが何か金目の物を持っていないか、ズボンのポケットに手を突っ込んで調べ始めた。

 男に興味は無い。何も持っていないと分かれば、直ぐに殺されそこら辺の藪の中へ捨てられるだろう。


 一人の男がズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。

 男にはそれが何かは分からなかったが、高価そうな何かだ。

 側面に付いているスイッチを何の気は無しに押してみる。その途端に強い電撃が走り、男はスマホを手から落とした。

 スマホは偶然、気を失ったアキラの手の上に落ちた。


 『アキラ、アキラ! ユウキが連れて行かれてしまったよ、起きて!』


 しかし、アキラの反応は無い。


 『アキラ、急がないとユウキが危ないんだ』


 勝手に喋り出したその小さな機械にアキラの衣服を探っていた男達は何か危険を察知し、数歩後ずさった。


 『アキラ、契約違反に成るかも知れないけど緊急事態だ。君の体を借りるよ』


 アキラの全身に電流が走り、アキラは跳ね上がる様に立ち上がった。

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