第70話 川向こうの村

 「いや、俺達毎日の生活だけで一杯一杯でよぉ、家族揃って移動出来るだけの路銀も蓄えも無えんだよ……」


 ここでの生活は想像以上に厳しい様だ。


 「なーにしんみりしてんだい。その位この私が出して……」

 「あ、大丈夫です。私達の魔法で連れて行ってあげますよ」

 「え?」

 「は?」

 「「魔法?」」

 「てゆーかおまえ、へそくり……」

 「男が細かい事ガタガタ言ってんじゃないよ!」


 奥さんがへそくりをしていた事を自白してしまって少しギクシャクしてしまったが、予定通り部屋の空いている壁に拡張空間のドアを作ってミバル婆さんの店と連結する。


 「さあ、行きましょう」

 「ちょっと待ってくれ、未だ心の準備が。俺ぁ会わせる顔がねえっていうのに」

 「何を愚図愚図してんだい!男らしくないね!」

 「そんな事言ったってよう」


 中々思い切りが付かない様なので、ユウキが先に行ってお婆さんにだけ会ってこっそり連れて来る事にした。

 姉のビベランはだけはどうしても怖いらしいのだ。


 ドアを潜り抜け、イスカ国のミバルお婆さんの雑貨屋裏口に設置してあるドアへ通路を開通し、そっとドアを開けて中を見る。

 丁度お婆さんがお昼休みに入り、食事の用意をしようとこちらへ来る所だったので、小声で呼び、手招きして近くへ来てもらう。


 「おやユウキかい、どうしたんだい? 北の国へ向かったんじゃなかったのかい?」

 「あのね、今ユウ国のノグリさんの家から……」

 「ノグリだってー!?」


 背中側から急に大声が聞こえ、ユウキはびっくりして振り返った。

 そこにはこめかみに青筋を立てたビベランが立って居た。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 アキラとノグリ一家がテーブルを囲んで歓談している所にユウキが拡張空間のドアを開け、蒼い顔をして戻って来た。


 「どうだった? うまく連れて来れた?」


 アキラが呑気にそんな事を聞いて来た。


 「ごめん……」

 「は?」


 すると、ドアが勢い良くバーンと開けられ、鬼の形相のビベランが怒鳴り込んで来た。


 「ノーグーリー!!」

 「ビ、ビ、ビベ姉!!」


 ノグリは人間がこんな速度で動けるのかと言う程のスピードで椅子から立ち上がり、背後の壁までジャンプで一瞬に飛び下がった。


 「ごめん、こっそりミバルお婆さんにだけ会いに行ったのに、一瞬でバレた」

 「うん、その様だね」

 「助けてくれー!」


 ビベランはずんずんと大股でノグリの方へ詰め寄って行く。

 体格差で見れば、ビベランはノグリの半分程しか無い様に見えるが、人間の迫力は十倍は有りそうだ。


 「ぎゃああああー!!」


 家中にノグリの悲鳴が響き渡った。


 「ビベランや、そのぐらいにしておやり」


 ユウキの後ろからミバルお婆さんがゆっくりと現れて、ビベランにそう声を掛けた。


 「こんの馬鹿弟! 家族にどんだけ心配を掛けたと思ってんだい!」

 「ごめんよー! ねーちゃん許してくれー!」


 小柄な女性に筋骨隆々な大男がボコボコに殴られて、涙を流して許しを請うている。

 そこへ小さな子供が二人割って入り、ビベランを止めた。


 「おとーちゃんをいじめるな!」

 「いじめるな!!」

 「お願いします! うちの人を許してやって下さい」


 ノグリの奥さんも一緒に謝っている。

 これには流石にビベランも手を止めざるを得なかった。

 しかし、直ぐには怒りは収まらない様で、フーフー言っている。


 「まあまあ姉さん、いきなり殴りつけては話も出来ないじゃないか。食事でもしながら落ち着いて話しを聞こうよ」


 お婆さんの後ろからはラコンさんもやって来てビベランを諭した。




 全員が空間通路を通ってお婆さんの雑貨屋へ移動し、何時ものお食事会と成った。

 ノグリ夫婦と子供二人はミバルお婆さんとビベランに挟まれて肩身が狭そう。


 ユウキとアキラは、家族会議には部外者なのでお暇しようとしたのだが、ノグリにどうしても居てくれと懇願されて同席している。とても居心地が悪い。

 家族の重苦しい場面に同席する場違い感が半端無い。


 「で? 勝手に家を出て、勝手に結婚して、子供まで生まれてて、その報告にさえ来ない不義理をどう申し開きするんだい?」

 「いや、行こうと思ってたんだよ。思ってたんだけど、俺が何日も家を空けたらこいつらが食うに困っちまうんだ」

 「だからって、手紙の一通も出さないってのはどういう事なんだい?」

 「いや、だから、手紙って高いんだよ。そのお金が有ったら家族分のパンが買えるんだ」


 まあ、ゴチャゴチャ言い訳をしているけど、敷居が高くて会いに来れなかったという事だろう。

 ノグリは弁護して欲しいのか、ユウキとアキラの方をチラチラと見る。

 しかし、家族内の問題に部外者の二人が口を挟む権利は無い。

 二人は内心、冷や汗をダラダラ流していた。

 重苦しい沈黙の時間が続く。


 「ねえ、おかーちゃん、この人があたしのお婆ちゃんなの?」

 「うん、そうだよ。お行儀良くするんだよ」

 「うん、わかった! お婆ちゃん、私、メオといいます!」

 「マカラです。よろしくお願いします!」


 そんな時、子供の無邪気な言葉で沈黙が破られた。

 ミバル婆さんは、ビベランがあまりにも怒っているのでかえって冷静になってしまい傍観を決め込んでいたのだが、そんなタイミングでの可愛い孫の挨拶に緊張状態の糸がプツンと切れ、思わず顔がほころんでしまった。


 「おやおや、きちんと挨拶が出来るんだねぇ。お前達のお母ちゃんはちゃんとした人の様だ」

 「ビベランお姉ちゃん、よろしくお願いします」

 「よろしくお願いします!」

 「あらあ、お姉ちゃんだなんて、お口がお上手ねえ」


 ノグリは子供達に助けられてホッと息を吐いて肩の力を抜いた。

 しかし、ビベランはその様子を目聡めざとく見付け、キッと鋭く睨み付け、ノグリは再びビクッと固まってしまった。


 「まあ、小さな子供達の前であまり叱るのも良く無いからこの位にして置いてやるわ」

 「もう手遅れだと思うけどね」


 今迄沈黙を保っていたラコンさんが軽く突っ込んだ。


 「さあさあ、スープがすっかり冷めちまったよ。皆で食事にしようかね」


 やっと食事が出来る事に成って、ユウキもアキラも末っ子の二人も、発言権の無い面子はホッと溜息をついた。


 その後は、後回しに成っていたお互いの紹介を済ませ、食事と近況を報告し合った。

 ノグリはユウ国でクレープというかブリトーというか、そんな様な料理屋をやっていると知り、レストランチェーンのオーナーであるビベランが後援して相談に乗る事に成った。

 家族でこっちへ移住しないかと提案してみたのだが、あちらの町には思い入れも有るし家も在るのでもう少し向こうで頑張ってみたいと言うので、ミバル婆さんもビベランもそれを受け入れた様だ。

 困った事が有れば、何時でも空間通路を使ってこちらへ来る事が出来るという安心感も有っての事だ。



 「じゃあ、俺達は川を渡ってその先の村へ行ってみるので、一旦向こうの家の中を通らせてもらうけど良いよね?」

 「ああ、勿論だ。随分と世話に成っちまって、このご恩は一生忘れねえ」

 「なああんたら、あの川向こうの村は本当にガラの悪い連中が集まってて危ないんだ。気を付けるんだよ」


 ノグリの奥さんが心配して注意してくれた。

 川向こうの村とはいえ、そこは一応ユウ国の一部ではあるのだそうだ。

 昔は、西側から攻められるのを防ぐ関所の様な役割をしていたらしい。

 その当時はユウ国は、それなりの軍事国家であり、防衛の要所としての役割を担っていたのだが、大きな戦争の無い時代が続くと金食い虫の軍隊を抱えた生産性の悪い国は徐々に国力が衰退して行く。

 今では山側から降りて来る怪物を撃退したり、他国から逃げて来た人間を保護したりと言った、お役所仕事程度の役割しか無く成っているそうだ。


 そして、時代と共に徐々に中の人間も変化して来ている。

 そこへ集められるのは腕に覚えのある人間つまりその多くは荒くれ者が多く、当初はそれ成りに統制はされていたのだが、町から離れたその地は生活の不便さそして中央から目の届き難いという地理的要因もあって、今ではその多くが不良やはみ出し者達、下手をすると犯罪者なんかも流れて来るとても治安の悪い一帯に成ってしまっているそうだ。

 その話を聞いて、ミバルお婆さんは驚いていた。


 「今じゃそんな事に成っちまっているのかい? 安易に紹介状なんて書いちまったが、やっぱり行かない方が良いんじゃないかね」

 「大丈夫ですよ。いざと成ったら空間通路で逃げて来ますから」

 「そうかい? 気を付けて行くんだよ」


 そんなに危険な場所ならば、わざわざそこを通過せずに日本側の道路を通って行ってパスしてしまえば良いだろうと思うのだが、ユウキの能力では、ゲートを潜った先がどうなっているのかまでは判別出来ず、転移した途端に水に転落したり崖から落ちたりといった危険が伴う。

 ユウ国の有る位置は日本側では熊谷市に相当するのだが、川を渡ってその西側というと、治安の悪い関所の村の在る位置は日本の寄居町もしくは小川町の辺りだと推測される。

 そこから西側と言うと、日本の地図では秩父方面へ抜ける道が在るので、多分お婆さん達一家が通って来たのはそのどちらかだろうと思われる。


 だったら、秩父迄電車で行って、そこでゲートを潜れば良いのにと思われるだろうが、前にも言った通りユウキの能力で見えるのはゲートの向こう側の世界に居る人間のみなのだ。

 秩父の辺りまで電車で行ったとして、そこに村またはもっと小さくてもせめて人の住んで居る集落が無ければ、転移先が安全とは言い切れない。

 少なくとも人が歩いている姿さえ見えれば、そこには人が歩ける程度の安全な領域が在るのが分かるのだから、ユウキはそれを手掛かりに転移をしている。

 つまり、全く人の姿が見えない場所へ転移するのはリスクが高過ぎるのだ。


 以前に医学部の学生に車で轢かれそうに成った際に、偶然ゲートが開き転移してしまった事がある。

 その時は向こう側とこちら側の地面の高さが1.7mの差があり落下してしまった。

 幸い下は湿地で緩い泥の地面だった為に怪我をする事無く済んだのだが、もしもっと位置がずれて川の中へ落下してしまった場合、真夜中でしかも泥酔者を抱えた状態では命の危険もあっただろう。

 そうでなくとも転移したその先にゴブリンや豪角熊なんか居たら目も当てられない。


 なので一応ユウキは、人が居る事を安全かどうかを計る指標としているのだ。

 だったら、異世界側で移動する方が安全を担保出来るのではないかと考えていた。


 結果として、その考えも甘かったとしか言えないのだが……

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