第37話 狸の道具屋さん

 「本当に死んでいるんだろうね?」

 「うん、完全に生命活動は停止しているね」


 ユウキは、持って来る前の確認が甘かったと反省した。

 ロデムに貰った目で注意深く確認しても微かな生命の光さえ見えない。完全に駆除出来た様だ。

 飛び散った飛沫の部分にも生命活動は感じられない。


 「お婆さん御免ね、完全に駆除したから許して」

 「信じられん、こんな粉で死ぬなんて。火の化の完全に抜けた灰を嫌がるとは聞いていたが……」


 ユウキは、ブロブは日光や火で完全に乾燥させるかアルカリで中和してしまえば駆除出来る事を説明した。

 こっちの世界には酸とかアルカリという概念を知る人が居ないらしく、酸は触ると火傷する事から火の原理アルケーを含んだ水と捉えられていた様だ。

 つまりブロブは火の原理アルケーの生物であるので、それが火で死ぬなんて思いも寄らなかったと言う。

 現代の我々の知っている科学体系とは全く違う、四~五世紀以上も前のレベルの化学的世界観で世界を認識してしまっている人に最新の科学の理屈を説いても、中々納得させるのは難しいものだとアキラは思った。


 ユウキ達の世界でも中世では火、つまり燃焼とは、物質からフロギストンという燃素が抜けていく現象だと思われていた時代が有った。

 燃焼後には灰が残る事から物質はフロギストンと灰の結合した物と考えられていた時代があったのだ。

 ブロブは灰を嫌がると言われていた事から、燃素フロギストンの抜け切った物質である灰を嫌がっていると思われていたらしい。

 実際は、灰のアルカリを嫌っていた訳だ。


 「心配ならこの消石灰を置いて行くので使って下さい。なるべく素手では触らないでね。そして、水が掛からない様に保管してください」

 「それから、目には絶対に入らない様に気を付けて。失明の危険があります。手に粉が付いた状態では絶対に目を擦らないでね」


 アキラがユウキの言った注意事項を補足した。

 昔は校庭の白線を引くのに使われていて、体育用具倉庫に割と無造作に保管されていたりしたのだが、結構小学生はそれで遊んじゃったりして目に入ると危ないっていうので、今では炭酸カルシウムの粉末が使われる様に成りました。


 袋は、剥ぎ取り時に開けた物で、未だ中に三分の一位残っている。大体7kg程度は有るだろう、それを置いて行く事にした。

 角は怖がらせたお詫びにお婆さんが嫌でなければ譲渡する事を伝えた。


 ユウキ達はお婆さんの雑貨屋を後にした。

 爪を持っている事は成るべく人に気付かれない様にしろと念を押された。

 何でかな? とは思ったけど、きっと高価な品物を持っている事はあまり人に知られない様にした方が良いとの配慮なのかなとユウキは納得した。

 新宿でアキラが襲われた事例も有るので、特に理由を尋ねる事も無く二人はそう思ったのだった。



 「ユウキさ、お婆さんに抱き着いちゃったりして、すっかり女の子っぽくなったよね」

 「え? 俺そんな事した? ヤバいな」


 無意識の行動だった様だ。

 ホルモンの影響なのか、脳の構造のせいなのか、無意識に二人共段々とこちらでの性に順応して来ている様だった。


 二人はお婆さんに教えて貰った、2ブロック程離れた町外れに在る豪角熊の爪を加工出来るという細工師の居る家を訪ねた。



 「すみませーん!」

 「ごめんくださーい!」


 入り口で呼ぶと、建物の横からこれまた狸の獣人の男が現れた。


 「はいはい、何か御用でしょうか?」

 「雑貨屋のお婆さんに、この爪を加工出来る人が居るって教えて貰って来たのですが」


 リュックから爪を出して見せようとした所、獣人の男はその手を押し留め、それをここで出すなと言う様にユウキの目を見つめて軽く顔を左右に振った。

 そして、何事も無かったかの様に通常の営業トークで話し始めた。


 「ああ、母から聞いたんですね。私はここの主人をやっているラコンと言います」


 二人は、やっぱり狸だと思った。


 「母って事は、雑貨屋のお婆さんの息子さんですか?」

 「そうそう、俺、五番目の息子。他に十五人兄弟が居るよ」


 人間も6人とか産むのが普通だった時代も有るので何とも言えない訳だが、やはり獣人は多産な傾向が有るのかもしれない。


 「そうなんですか、なんかお子さんが徴兵されて戻って来なかったって聞いて」

 「ああ、母さんそんな事迄話したのか。実は九番目の弟がね。でも、あの偏屈な母がよくそんな話までしたもんだなぁ」

 「まあちょっと色々ありまして」


 ユウキは雑貨屋のお婆さんに出会った経緯と、爪の加工にここを紹介された事情を話した。


 「それで、これで草刈り鎌を作って欲しいのですが」

 「えっ! こんな高価な素材で草刈り鎌ですか?」


 どうやら豪角熊の爪は相当に高価な素材らしい。


 「普通は何に加工するんですか?」

 「うーん、このサイズだとウォーピックかウォーハンマーかなぁ」


 ラコンさんは他からはそれが何なのか見えない様にリュックの中を覗き込みながらそう言った。

 つまり、豪角熊の爪はつるはしウォーピックか、戦槌ウォーハンマーの尖った部分に使ったりするらしい。

 なんだ、刃物じゃ無くて結局突き刺す用途か、という事は、ほぼ無加工なんだな。


 「刃物には成らないんですか?」

 「成らなくも無いけど、刃物みたいに薄く削ると結局強度が落ちるんだよね」


 そりゃそうか、鉄よりも強い謎の強度でもあるのかもと、ユウキは異世界補正でそう思い込んでいたけど、特にそんな事は無かったみたいだ。


 「なんだ、がっかりだなぁ。うちのお婆ちゃん農家やってるんだけど、鎌作って来てあげるって言っちゃった」

 「あれ? でもお婆さんは鉄より強度も靭性も上だと言っていたよ?」


 ラコンさんは、ちょっと考えて二人を手招きし、家の裏手の中庭に案内してくれた。

 表の家と、裏の工房に囲まれて、表通りや他所の家からは見えない場所だ。


 「ちょっと見ててくれ」


 ラコンさんは、爪を受け取ると雑草の生えている所にしゃがみ、右手に持ってその先端を草の根元に当てた。

 一呼吸置くと、アキラとユウキの目には、彼の体が少し光るのが見えた。

 その光が腕を伝わって爪へ伝わり、爪が淡く光る。

 その爪を少し引くと、いとも簡単に草が切断された。

 そのまま次々と硬そうな茎の草が軽々と刈られて行く。

 刈るというか、刈られた雑草が粉に成って崩れて行く。

 ユウキとアキラの目には、微かに光る雑草の魂が掻き消されて行くのが見える。

 文字通り命を刈り取っているのだ。命を刈り取る形なんだ。

 豪角熊が何故恐れられているのかが分かった気がする。


 「ラコンさん、それって!」


 ラコンさんは人差し指を口元に当て、内緒だと言う様なジェスチャーをして立ち上がると、二人を工房の中へ入れてくれた。


 「実はね、うちの家系は代々魔力持ちなんだ。魔法を使えた父が戦争で亡くなって以来、母は女手一つで子供達を育ててくれて居たのだけど、以前に住んでいた村で弟がうっかり魔法を使ったのを見られてしまってね、憲兵に連れて行かれてしまったんだ」


 辛そうな顔で話してくれた。

 その時お婆さんは必死に連れて行かないでくれと泣いて懇願したのだが、聞き入れられなかったのだそうだ。


 魔法を使えた父の素質を唯一受け継いで、弟だけが魔法を使う能力が現れたのだろうと誤魔化し、お婆さんは他の子達を守った。

 その事件以降、一家は住んでいた村を捨て、遠く離れたこの国のこの町へ逃げて来たのだという。

 この国は魔法の使用に関しては比較的緩やかだとは聞いているが、それでも秘密にしておくに越したことは無い。


 ラコンさんは、気丈な母の涙を見たのはあの時が初めてで、それ以降一度も見た事は無いそうだ。

 子供達には魔力を持っている事は絶対に死ぬまで隠せと厳命し、以後偏屈な年寄りを装って今迄生きて来ているのだという。

 だけど、ラコンさんはその禁を破ってその力を二人に見せてくれたのだ。


 そんな素材を一般客の来る雑貨屋で販売していて大丈夫なのかと一瞬思ったのだけど、どうやらそのあたりは権力側との暗黙の了解があるみたいで、普通の猟師が森で獲れた素材を持ち込む、それを特殊素材だと知らないていで店が買い取る。

 店頭に並んだ特殊素材を事情を知っている領主なりお役人なりが買って行く事で町の経済を回すという仕組み。


 そしてもう一つ、裏の理由があった。

 もしも一般客がその特殊素材を買ったとしたら、そいつは魔力持ちの可能性があるという事。


 だから、雑貨屋のおばあさんは一般旅行客の二人がお役人に目を付けられない様に爪を売りたくなかったのだ。

 お婆さんは二人を守ったのだ。


 「母が信頼したのなら、俺も信用するさ。見ての通り、この素材は魔力の通りがとても良いんだ。だから高価なんだよ」

 「すると、さっきみたいにやれば、草位朝飯前で刈れちゃう訳か」

 「君達にも出来るんだろう? だから母はキミ達をここへ寄越したんだと思う。やってみるかい?」


 ユウキは爪を受け取り、もう一度中庭に出て真似してやってみた。

 ククリにエネルギーを通したみたいに爪にエネルギーを流し込む。

 爪はまるで全体がLEDででも出来ているみたいに発光し、その状態で草のある一帯を軽く撫でたらその軌道上に在った草は全て消滅した。

 ラコンさんがやったみたいに粉に成って崩れるどころじゃ無く、派手に消滅して行く。

 ラコンさんは、慌ててユウキとアキラを抱えると工房の中へ放り込み、工房のガラス窓を一枚取り外すと、それを磨くふりをし始めた。


 「ラコンさん、今こっちで何か光らなかったかい?」

 「ああ、郵便ですか? ご苦労様です。今窓ガラスを磨いててね」


 窓ガラスで太陽をピカピカ反射させて郵便屋さんの顔を悪戯っぽく照らして見せた。


 「ちょっと止めてくださいよ。はいこれ」

 「いつもありがとう」


 郵便屋さんは手紙をラコンさんへ手渡すと、笑顔で手を振って帰って行った。

 郵便屋さんが遠く迄行ったのを確認し、工房へ入って来るとラコンさんは冷や汗を拭った。


 「ふう、君凄いな! 魔導士、いや大魔導士クラスの魔力じゃないか」

 「私ってそんなに凄いの?」

 「凄いなんてもんじゃないよ。焦ったよ!」


 ユウキは、魔力じゃなくてエネルギーを流しただけなんだけどなと思ったが、些細な問題かなと思って言わなかった。


 「じゃあこの爪に魔力を通しやすい材質の柄を付けて加工してあげるよ。 柄と刃の取り付け角度は直角位で良いかな?」

 「はい、それでお願いします」


 鎌は十日後には出来るというので、爪を預けて二人は日本へ帰る事にした。


 「ところで、あっちへ持って帰ったとして、お婆ちゃんにあれ出来るのかなぁ?」

 「そこは心配しなくても大丈夫だと思うよ」

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