第12話 テレビニュース

 「声を出すな、金を渡せ」


 後ろから羽交い絞めにされた格好で、耳元で囁かれた。

 そのまま更に暗い方へ引っ張って行かれそうになる。

 あきらは悲鳴を上げようにも恐怖で声も出ない。

 金の買い取り店での対応で、これは嫌だなとは思ったものの、実際に自分が犯罪に巻き込まれるとは夢にも思わないというのは、普通の日本人なら皆そうなのではないだろうか?

 事実、外国なら危険極まりない行為でも、日本でなら何も起こらない確率はかなり高いと言える。

 しかし、極稀には起こっているのだ。

 あきらはその極稀に遭遇してしまったという事だろう。

 あの店員は大戦犯だが、多少危機感は持っていたとはいえ、買い取り店から上機嫌で出て来て買い物三昧だったあきらも、程度の差はあれどちらの平和ボケした典型的な日本人なのだろう。



 男は金に困っていた。今日の午後に支払い期限がやって来るのだが、金策の当ては全く無く、途方に暮れて新宿の裏路地彷徨い歩いていた。ローン会社を梯子していたのだ。

 目の前の金地金買い取り店なんて、全く自分とは縁の無い人が利用するのだろうなと思っていた。

 そこから、未だ学生にも見える若い女が上機嫌で出て来て、店員がペコペコしながら『またのご利用を』とか言っているのを聞くまでは。

 こんな小娘が大金を持っていて、自分は一文無し。この差は何なのだ。男は無性に腹が立った。男は、その女の後を付け始めた。



 女は幾つもの店を回り、派手に買い物をして行く。

 男には縁の無いレジャー用品を値札も見ずにカゴへ入れて行く。最後にはデパートへ行って高そうな下着まで買っている。何だこいつは。

 毎日死に物狂いで働いているのにこんな生活の自分と、多分親の金で何も苦労も無く遊び惚けるあの女との違いは何なのだ。運命を呪う。


 女が人目に付かなそうな路地へ入って行くのを見て、男はポケットの中に偶々入っていた、小さな五徳ナイフを取り出していた。何かの景品で貰った、刃渡り3cm程度の小さな折り畳みナイフだ。

 その女が荷物を地面に下ろし、バッグの中を探っている仕草をしているその背後に素早く近づき、口を塞いで首筋にナイフの刃を当てて脅してしまった。


 あきらは、最初はびっくりして体を硬直させてしまっていたのだが、徐々に恐怖感よりも怒りの感情が湧き出し、首に回されたナイフを持った右手を引っ掻き、口を塞いでいた左手の指に渾身の力で噛み付いた。

 男は痛みに手を放し、あきらを壁際に突き飛ばした。


 「くそっ!」


 男は噛まれた左手の指を痛みを紛らわせようと振り、あきらの首に手を掛けて壁に押し付け、ナイフを正面から突き付けようとした。

 しかし、男の右手にはナイフは無かった。ナイフは地面に落ちている。

 男は一旦玲あきらから手を放し、素早く落ちたナイフを拾おうと屈んだのだが、それを拾う事は出来なかった。


 右手が動かないのだ。力なくだらりと垂れ下がるだけだった。


 経験が有るだろうか? 机とかこたつとかで腕枕でついうっかり居眠りをしてしまい、血が通わなくなって一時的に麻痺してしまう事が偶にある。

 それは時間が経てば徐々に麻痺も治って来る場合が多いのだが、男の場合は、完全に神経が死んでしまったかの如く動かす事も痛みを感じる事も無く成ってしまっていた。


 あきらは、ロデムに貰ったエネルギーの流れを見る事が出来る目で男の腕を見てみた。

 頭の脳のある場所が電球の様に光り輝き、そこから下へ木の根っ子の様に線が枝分かれしながら体の各部へ伸びている。その線は先端へ行く程細かく分岐している様だ。

 実は、あきらがこの様子を見たのは、これが初めてでは無かった。向こうの世界の森でゴブリンに遭遇した時、優輝がゴブリンの指を切り落とした時に同様の模様を見たのだ。

 その時優輝は、あきらが状況に咄嗟に反応出来ずに呆けている様に見えたのだろうが、実は脳から神経線維を流れるエネルギーが見えて驚いていたのだ。


 そして今、男の神経系を流れるエネルギーは、右肘の辺りで途切れているのが見えた。

 あきらが藻掻いた時に、咄嗟に男の右腕を引っ搔いた、そのせいだと理解した。

 ロデムから貰った能力は、エネルギーを見るだけでは無くて、触って操作する事も出来たのだ。


 「うわあああああああ!!」


 男は右手を叩いたり抓ったり歯で噛んでみたりして感覚を戻そうと必死に成っていたが、何をやってもただの肉塊の様にダラリとぶら下がるだけで、決して右手の感覚は戻らなかった。


 「ちくしょおおおおお! 何だこりゃああああ!」


 あきらは、その場を離れようと大通り方向へ走り出そうとしたら、通りの入り口方向から二人の警官が走って来るのが見えた。

 誰かが偶々現場を見てて通報してくれたのだろう。

 男の腕に手錠が嵌められ連行されて行くのを見て、あきらは利き手が使えなく成るのはちょっと気の毒に思い、すれ違い様にこっそりと神経経路を繋いでおいた。

 無駄に他人の恨みを買うのは嫌だし、それに、力が入らず痛みも感じないとなったら、手錠がすっぽ抜けるかもしれないから。


 男がパトカーに乗せられるのを見届けさあ帰ろうと思ったら、今度は婦警さんに呼び止められてしまった。

 事情聴取があるそうだ。まあ、そうだよねとあきらは思った。


 「あの、荷物があるのですが」

 「私達が持って行きますよ。ご安心ください。」


 最寄りの交番では、簡単な身元照会と事情聴取が行われた。特にどういう経緯で事件が起こったのかを細かく質問された。

 当然、砂金を売りに行った店にも警察から連絡が行き、その時担当した店員と店長が大慌てでやって来て謝罪された。今後この様な間違いは決して起こさないと何度も頭を下げられ、後日、本店の社長からも謝罪に伺いたいと言って帰って行った。


 事情聴取に結構な時間を取られ、外が少し薄暗くなった頃にあきらはやっと解放された。

 交番を出ると、マスコミとその外側に野次馬も取り囲んでいて、インタビューの嵐に晒されてしまったのだが、見兼ねた婦警が割って入ってくれて、危ないからとパトカーでアパートまで送ってくれる事に成った。

 車の中で婦警さんが実は同じ大学出身だという事が分かり、結構話が盛り上がった。

 アパートに着いて、何か有ったら連絡するようにと名刺を貰った。


 アパートの前には優輝が待っていた。


 「あー、ごめんなさい。ちょっとトラブっちゃって」

 「本当、何事も無くて良かったよ。今度換金に行く時には必ず一緒に行く事にするよ」


 二人はアパートへ上がり、早速荷解きをする。


 「はいこれ、神田君の着替え」

 「有難う。スポーツブラは無いの?」

 「ブラトップを買って来たの。これならタンクトップみたいに上から被るだけだから、神田君でも着られるでしょう?」

 「お、おう、いろんなのが有るんですね」


 自分の荷物をお互いのスマホのストレージへ仕舞い、二人で優輝が買って来ていたコンビニ弁当で夕食にする。


 「意外と荷物をストレージに仕舞うチャンスって無いものですか?」

 「小さな物ならバッグの陰で何とか成るのだけど、着替え用テントとかの大きな物を人に見られずにっていうのは結構難しいのよ」

 「トイレとかは?」

 「女性トイレでカメラのシャッター音はヤバいでしょう」

 「それもそうですね、あはは」


 人目を避けてストレージに仕舞う方法なんかも考えなければ成らない様だ。意外と課題は多い。


 「それじゃ、明日は土曜なので、一日ゲートを開く検証をしましょう。十時頃また来ますね」

 「泊って行っても良いのよ?」

 「あきら先輩のエッチ」

 「セリフが逆なんだけど、ふふふ、じゃあまた明日」




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 翌日の朝九時半


 (あきら先輩、起きてます? これから伺います)


 約束してあるとはいえ、訪問する前にマナーのメッセージを送ったのだが、返事がなかなか帰って来ない。

 まだ寝てるのかな? と思ったが、ややあってから返事が来た。


 (昨日の買い取り店の本店の社長が菓子折り持って謝罪に来た。もうちょっと待ってて)

 (了解)


 しかし、一時間待っても返事が来ないので、直に訪ねてみる。

 なんか、アパートの前が騒がしい。

 何やらカメラを持った人とかマイクを持った人とかが居る。野次馬も大勢居る。近づくと一体何の権限が有るのか、スタッフらしき人に止められた。


 「何なんですか、これ?」

 「撮影中です! 邪魔に成るので下がってください」


 何だこいつら? 芸能人でも来ているのかなと思ったが、どうやらお目当てはあきら先輩らしかった。

 アポ無しかよ、失礼な連中だなとは思ったが、この人に文句を言っても仕方が無いので少し離れてメッセージを送って中の状況を聞く事にした。

 あきらからは簡単なメッセージが返って来た。


 (テレビニュースだって、もう少し待ってて)


 「……それで、店から出た所を後を付けられ、路地に入った時に襲われたと」

 「はい、凄く怖かったのですが、犯人の男性がうっかりナイフを落とした隙に逃げる事が出来ました」

 「そこへ警官が駆け付けてくれたと」

 「はい、通報して下さった方には何とお礼を言って良いかわかりません」

 「成る程」


 「あの、この後友達と出かける用事が有るのでそろそろ良いですか?」

 「最後にもう一つ、犯人の男は急に右手が麻痺したと言っているそうなのですが、何か心当たりはありますか?」

 「私にも良く分かりません、必死でしたので」

 「有難う御座いました。放送は明日の朝と夕方のニュースで流れる予定です」


 あきらは、テレビのクルーから離れ、駅の方向へ小走りに走って行った。

 その後姿を見送るプロデューサーがディレクターに向って小声で話していた。


 「中々テレビ映えするだろ。ちょっと良い鉱脈見つけちゃった気がするな」

 「ええ、金の大量換金やら犯人の件やら、掘ればもっと面白い物が出て来る気がしますね」

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