第5話 徹底的に精密検査

 スマホがメールの着信を知らせた。

 あきらはベッドに投げていたスマホをひったくる様に取り、送信主を確認した。

 優輝だ! それだけを確認すると、メッセージを開いた。

 待ちに待ったメールには、ただ一言(写真を添付します)とだけ。


 「もうっ! なんなのよ!」


 取り敢えず優輝が無事なのは確認出来た。だけど、この素っ気無い文面は何なのだ。

 あきらは少し腹が立った。いや、すごく腹が立った。五日も音沙汰無しで心配かけやがって! と。

 しかし直ぐに、優輝が何かを伝えようとメールを送って来たのだと思い直し、画像を開く。

 その写真を一目見たあきらは、目を疑った。


 おかしい、違和感だらけだ。


 まず、写真の立体感がまるで無い。だがそれは、陰影が無いからだと直ぐに気が付いた。

 そして、花畑の真ん中に浮かんでいる様に見える、黒い球体は何?

 メールには動画も添付されていた。

 それを再生すると、その黒い球体へ歩み寄っている場面が映し出されていた。


 「ちょっと! 駄目っ!」


 優輝の左手が黒い球体を触ろうとしているのを見て、思わず声が出た。

 しかし、そんな声が届くはずも無い。そもそもこれは過去の動画なのだ。


 優輝の左手は、球体の表面を貫通し、内部へ潜り込む。球体には触る事が出来ない様だった。

 そして、今度はカメラごと球体の中へ入って行く。

 球体の中から見た景色は、照明の無い暗い室内から明るい外を眺めるのに似ていた。

 動画はそこでストップしている。


 あきらは直ぐに優輝のスマホへ電話を掛けた。


 「はい」

 「はいじゃないわよ! いったい五日間も音沙汰無しで何をしていたの!? 私がどれ程心配したか!」

 「あきら先輩、詳しい話は戻ってから話します! 今、ゲートの出現場所まで戻っている最中なんです。またあの怪物に遭遇するかもしれないので、一旦切ります」


 あきらの話に被せる様にそれだけを言うと、一方的に電話は切られた。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 優輝は、暗い森の中を走っていた。

 あの球体が在る場所からゲートまでの距離は、直線でおよそ700m位だ。

 夜の森の中を移動するのはとても大きな危険がある。普通であれば、だ。

 普通はそんな愚かな真似はしない。


 だけど、この世界ではGPSが使えるのだ。


 マップを開き、鷲の台駅を目指して一直線に進めば良いだけなのだ。

 とはいえ、ここは原生林の真っただ中、一直線に進むのは中々困難な作業だった。


 進路を太い木に遮られ、岩が行く手を阻み、生い茂った背丈程もある草や灌木が視界を遮り、でこぼこの地面や太い木の根に足を取られながら進まなければならない。

 迂回したり転んだりする度に方向を見失うが、GPS表示のマップは優秀だ。直ちに方向を修正して進む事が出来る。


 そんなこんなで何度も転んだり灌木で切り傷を作ったりしながら進む事凡そ一時間、やっとの事でゲートの開く位置へ辿り着く事が出来た。

 たった700mを移動するのに一時間も掛り、優輝は疲労がピークに達していた。途中あの怪物に遭遇しなかったのは本当に運が良かった。


 優輝が最初に拠点にしようとしていた場所は、見るも無残に荒らされていた。

 レジャーシートは破れ、折り畳み椅子はひしゃげ、買ったばかりのリュックは持ち去られたのか、何処にも見当たらなかった。

 ただ、目印にと張ったロープはそのままだったので、ゲートの位置は確認出来た。

 スマホの時計を見ると、後数分で最終電車が入ってくるはずだ。


 優輝は、あの怪物が現れませんようにと祈りながら、永遠にも感じる様な数分間をじっと待ち、元の世界へ帰還した。



 改札でちょこっとトラブった。



 「お客さん、入場したのが五日前に成ってますよ?」

 「あ……」


 自動改札機にスマホのモバイル定期をタッチして通ろうとしたら、ビーっと鳴ってバタンと閉じられてしまったのだ。

 仕方無しに駅員にスマホを渡すと、機械にかけてデータを読み取り、さっきの会話となる。

 結局、機械のデータの読み取り不調か何かだろうという事で、原因は不明だがその日はそのまま改札を通してもらえた。

 定期券だったのが幸いした様だ。


 夜中だが一直線にあきらのアパートへ直行し、事の顛末を報告する事にした。


 その日優輝は、あきらに根掘り葉掘り一晩中質問攻めに遭うのだった。



 「写真だけじゃ証拠に成らないのよねぇ…… デジタル写真は簡単に加工出来ちゃうから」


 今のCG技術は、既に本物と見分けが付かないレベルの精巧な画像を作り出す事が出来る。この時代、写真程当てに成らない物は無い。


 「じゃあ、これなんてどうですか?」


 ポケットから少し萎れた草花を出してテーブルの上に置いた。


 「これってもしかして、あっちの?」

 「そう、こっちには存在しない植物なのかなと思って」


 優輝は喜ぶと思って自慢げに出したのだが、あきらは渋い顔をしている。


 「あのね、神田君、植物や土は検疫というのがあってね、無暗矢鱈に持ち込めないのよ。特定外来生物とか聞いた事あるでしょう? あちらの生態系ではごく普通の弱い植物や虫でも、天敵や競合の居ないこちらの世界では猛威を振るう場合があるの。それと、未知の病原菌やウイルスだって居る危険性もあるわ。」

 「すみません、迂闊でした」


 優輝は、燥いでいた気持ちがあきらの言葉で一気に急降下し、青ざめた。


 「でも、本当に無事で良かった。この植物のサンプルはジッパー付きのビニール袋に入れて密封して明日研究所へ持って行ってみるわ。それから、神田君は明日健康診断を受けて。その後一週間経過観察よ。これは命令です!」


 優輝は頭の先から靴の裏まで高濃度次亜塩素酸水の消毒液を振りかけられ、風呂にぶち込まれ、着ていた服は全て洗濯された。


 次亜塩素酸水は、例のコロナ騒動の時にアルコールが手に入らなくなり、代わりにネットで購入した物だった。

 ジクロロイソシアヌル酸という粉末を少量水に溶かすと高濃度の次亜塩素酸水が出来る。

 よく間違われ易い次亜塩素酸ナトリウム(次亜塩素酸ソーダ)という物もあるが、全くの別物である。名前が紛らわしいよね。


 次亜塩素酸水は弱酸性、次亜塩素酸ナトリウムは強アルカリ性だ。

 前者は、プールの浄化剤や、風呂水浄化剤でお馴染みの物。人体にはほぼ無害。

 後者は、台所用漂白剤やカビ取り剤なんかに使われている。皮膚を溶かすし、強い漂白作用もあって人体に有害。


 次亜塩素酸水は、アルコールよりも除菌力が強く、手も荒れないので良い事尽くめの様に思われるがあまり推奨されない理由としては、消費期限が極端に短いからなのかなと思われる。

 紫外線に当たると分解してしまうし、放っておけば成分が気化して逃げてしまう、とても不安定な物質だからなのだ。

 あまり知識が無い人が知らずに消費期限が切れて効力の無くなった次亜塩素酸水を使っていたら、危険極まりないからね。


 「替えの服はここに置いておくから、取り敢えずこれ着ててね」


 体を洗っていると、脱衣場からあきら先輩の声がした。

 風呂から上がると、そこには何回か洗濯したらしき男物のトランクスと、Tシャツとスウェットのパンツが置いてあった。

 ちょっと気に成ったが、他に着る物も無いのでそれを身に着ける。


 「ちょっと先輩、この下着誰のですか?」


 はっきり言って他人の下着は気持ち悪いと思ったのだが、せっかく用意してくれた物なので文句は言い難い。


 「あ、勘違いしないで、私物よ私物。一人暮らしの女性は、用心の為に洗濯物と一緒にそれを干すのよ。Tシャツとパンツはユニセックス物だし、背丈同じ位だからきつくはないでしょう?」

 「そうなんだ! 先輩の着ていた服……」

 「変な想像しないの! あなたの服は乾燥機回してるから直ぐに乾くと思うわ」




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 それからの一週間は、医学部の方の施設で体温や血圧を測られたり検査で血を取られたり、胃カメラ飲まされたり体に変な器具を付けられたりMRI撮られたりと、まるでモルモット状態が続いた。

 医学部の学生さん、教材が来たとか言って嬉々として色々な、何かそれ関係あるのっていう検査までしてくれましたとさ。


 「今日で経過観察は終了です。お疲れ様でした」

 「あー、軟禁状態も今日で終わりだ」


 何でもあきら先輩が、医学部の教授に徹底的に人体実験、もとい検査して下さって大丈夫な学生が居ます。治験の同意も得ていますので好きに使って下さいと売り渡したらしい。

 治験なら毎日精密検査もセットで付いてくる程のヤベーやつがあるからと、ピラニアの群れの中に放り込まれたのだ。


 「何も出なくて良かったわね。それどころか、検査結果見ると通常あり得ない程の健康体らしいわよ。大抵何かの項目は数値が低かったりするのだけど、全てが理論上の最高値なんだって」

 「そうなの? 以前は確か視力とかコレステロール値とかはあんまり良くなかった気がするんだけどな」

 「視力4.0ですって、嘘でしょ!?」


 あきらは検査結果の印刷されたシートを捲りながら驚いていた。


 「マジですか!? そういえば、心なしかよく見えるかも……」

 「うーん、これって異世界効果?」

 「そんなまさか、あははは」

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