第4話 危険な生物

 あきらは、優輝から送られて来た写真を画像編集ソフトに取り込み、真っ暗な写真の明度を上げたりコントラストを弄ったりガンマ補正をしてみたりと、何とか暗く潰れてしまっている部分が見える様に成らないか色々と操作してみていた。

 そして、ある程度見える様に成った写真の細部を注意深く観察すると、ある一点に視線が止まり、目を見開いた。

 すぐさまスマホを取り、優輝と連絡を取ろうと試みるのだが、いくら呼び出し音を鳴らし続けても優輝は電話に出てくれなかった。


 「神田君、無事でいて……」


 あきらは祈った。

 その写真に写っていたものとは、優輝の方をじっと見つめる複数の目。


 そうだった、森の中なんてどんな危険な生物が潜んでいるか分かったものじゃない。

 そんなの、最初に気を付けるべき事じゃないか。何で最初にそれを注意しなかったんだ。

 いやしかし、優輝はどこへ行くのかは秘密にしていたじゃないか。

 でも、先輩として注意をしてあげる事くらいしても良かったんじゃ…… 同じサークルの仲間として、友人として…… 何であんな素人装備で出かけようとしている人をそのまま行かせてしまったのか。


 あきらは何度も自問自答して自分を責めたが、あの時は結局は優輝の自由意思に任せるしか無かった。

 冒険の話は半信半疑の上、異世界へのゲートなんていう荒唐無稽な話は、優輝の考えた架空のストーリーでしかないと思っていたのだ。

 いや、疑わしいとは感じていても、それを現実だと信じるには根拠が無かった。

 あの時、例えあきらがそれらの話が創作にしてはリアル感が有るとか、多少違和感を持っていたとしても、ただ何と無く気に成ったというだけで彼を引き留める事は出来なかったのは事実だろう。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 優輝は、2畳程度の広さのレジャーシートを敷ける面積を確保する為に、サバイバルナイフでせっせと草刈りをしていた。

 こんな事ならせめて鎌でも持ってくれば良かったなと少し後悔していた。

 切れないサバイバルナイフでの藪漕ぎは、はっきり言って罰ゲームだ。

 

 一旦元の世界に戻って準備を整えて来ようかとも思ったのだが、ゲートは既に閉じてしまっている。

 ゲートの開いていた場所へ手を突っ込んでみても何も起こらなかった。

 次に確実にゲートが開くと思われる時間は今からおよそ20時間後だ。


 いつ開くのか、その法則を確実に掴むまでは迂闊に滞在するべきではなかったと言えば確かにそうなのだけど、どうしても好奇心の方が勝ってしまった。

 我ながら浅慮ではあると自覚はしているが、優輝は考えるよりも先に行動してしまうという嫌いが少なからず有った。


 そして、その時は未だもう一つ重大な危険がある事を失念していたのだ。


 「まあ、終電の時間に開くのは確実なんだから一日位大丈夫だろう」


 そう楽観的に考えていた。

 場所を確保し、レジャーシートを敷いて寝袋を広げるが、今夜は興奮して眠れそうに無い。

 明るくなるまで後4時間程度だろうか、上を見上げると、鬱蒼とした木々の葉が天蓋の様に空を覆っているのだが、その隙間から満天の星空が広がっているのが伺える。

 こんな密度の高い星空は、今の日本では例え田舎へ行ったとしても滅多に見られる物じゃないだろう。

 少しずつ森を攻略して、いつか人里へ出られる時が来たら、思いっきり星空を満喫しようと思った。


 実は優輝は、人里の当ては付いていたのだ。

 何故かと言うと根拠はあった。それは、ホームセンター近くの伊豆ヶ崎駅のホームで見た、あの幽霊だ。


 あれは、こちらの世界の住人なんじゃないか? と思ったのだ。

 その予測が当たっているのなら、スマホのGPSであの駅のホームの場所を目指せば良いだけなのだから。

 あれだけの人通りが有るのなら、少し大きな町のメインストリートか、町と町を繋ぐ主要街道あたりなんじゃないかと予想出来たからなのだ。


 想像する度にその可能性にワクワクして目が冴てくる。

 いっそこのまま朝まで起きていようと思い、少し腹ごしらえをする事にした。


 「夜食といえば、やっぱこれでしょ」


 貧乏学生のお夜食の定番、カップラーメンである。

 100均メスティンでお湯を沸かし、注いで3分待つ。


 良い匂いが立ち上り始め、さあ食べようと下に置いたカップ麺を取る為に前かがみになったその時、ガツンと背中に衝撃が走った。

 優輝は座っていた折り畳み椅子から転がり落ち、衝撃で息が出来ない。


 「ぐはっ! な、何だ!?」


 何が起こったのか分からない。イノシシにでも突進されたみたいだ。

 なんとか上体を起こし今迄自分が居た所を見ると、手に太い木の枝の様なこん棒を持った、小学生位の背丈の何かが立っていた。

 膝を曲げ、中腰の様な姿勢でうなり声を上げながらピョンピョン飛び跳ねている。こん棒でバンバンと地面を叩き、こっちを威嚇してくる。

 ナイフはその侵入者の足元にシースに入ったまま転がっている。マグライトは運良く優輝が転がった所に置いてあり、それを拾う事が出来た。


 この謎の侵入者は、最初に優輝の頭を狙って棍棒を振り下ろしたのだろう。その時偶然優輝が前屈みになったので狙いが外れて背中に当たったものと思われる。

 優輝はマグライトを肩に担ぎいつでも振り下ろせる体制にして、親指の所にあるスイッチを入れ、その謎の侵入者の顔に強烈な光のビームを浴びせた。

 相手は強烈な光で目が眩み、威嚇行動が止まる。


 「何なんだこいつは、サル…… なのか?」


 しかし、そいつは野生動物の様な毛が生えていない。裸の怪人物というか、子供? そして何より奇妙なのは、肌の色が緑色なのだ。

 優輝は、足元のカップ麺を拾い、その怪物の顔目掛けて投げ付けた。

 熱湯のスープが顔にかかり、そいつは棍棒を取り落として顔を両手で覆って転げまわった。

 優輝は素早くサバイバルナイフを拾い、その場から逃げた。


 どの位走っただろう、背中の打撲跡がズキズキ痛む。呼吸する度に痛い。背中側の肋骨にヒビが入ったのかもしれない。

 後ろの方でギャーギャーと騒ぐ声がするが、大分走ったのでそろそろ撒いたかも知れないと思い、振り返ろうとした時に、右わき腹に激痛が走った。


 全然撒いていなかった。走る直ぐ後ろを音も無くずっと付いて来られていたのだ。

 顔に熱湯を掛けられ、激怒したそいつの他に二匹同じ様なのが居る。仲間が居たのだ。


 一匹が棍棒を振りかぶり、その打撃をマグライトを両手で横に構えて受ける。

 マグライトはくの字にひしゃげ、強い衝撃に手が痺れる。力は人間の大人より強いかもしれない。

 しかし、他の二匹の攻撃は避けられなかった。右の大腿部と、顔面に来た一撃を避けようと庇った左の二の腕にもう一撃を食らってしまった。

 嫌な音がして左手が変な方向へ曲がった。


 「くそっ! くそっ!」


 右手に持った曲がったマグライトをめちゃくちゃに振り回したが当たらない。

 折れた左腕と痛めた右足を引きずって、どこをどう逃げたのか全く記憶が無いのだが、気が付くと優輝は明るい花畑の中に倒れていた。



 「ここは、どこだ?」



 目を開けた優輝が見た物は、あたり一面の花畑だった。

 体を起こして周囲を確認すると、周囲を巨大樹木で囲まれた中のぽっかりと空いた広場の様な空間だと分かった。

 太陽は見えないが、辺り一面昼間の様に明るく、草花は咲き乱れ、小川には清流が流れ、外周の樹木の幹も緑色に苔むしている。

 上を見上げると、周囲の木から伸びた枝葉が頭上を覆っていて、巨大な樹木によるドームの中に居る様だ。

 何だか現実感が無い。


 「もしかして、死後の世界だったり?」


 そう疑うのも無理は無い。背中や手足の痛みは無くなっており、折れたはずの左腕も治っている。

 不思議そうに左手を握ったり開いたりしていたが、ふと違和感を覚えた。


 「あれ? 俺の手って、こんなに小さかったっけ?」


 心なしか腕も細くなってるみたいだ。確認してみようと立ち上がってみると、ズボンの裾を踏んで転んでしまった。


 「体が小さくなっているのか? 少し若返っているのかな?」


 服の袖もちょっと長く成っている。ズボンの裾と服の袖を折り返して長さを調節すると、あたりを調べてみる事にする。


 「あ、そうだ、今何時なんだろう?」


 スマホをポケットから出して確認すると、21時に成っている。あれから20時間も眠ってしまったのかと日付を確認してみると、丸五日も経っていた。


 「ちょっと嘘だろ!? あ、メッセージとメールと電話の着信が鬼の様に来てる」


 全部あきら先輩からだ。優輝は返信するのがちょっと怖いなと思った。何故なら絶対に怒られるに決まってるから。

 五日間気を失っていた事も驚きだが、着信500件にもちょっと引くレベルだ。でも、本気で心配してくれているのだろうと納得もした。

 連絡を取れなかった事を謝り、無事を知らせなければならない。


 でも、少しこの空間を調べてから連絡しようと思った。

 何故そう思ったのかというと、きっと怒られるのが怖かったからだろう。もう少し心の準備をしてからと考えた訳だ。

 またあの怪物に襲われるかもしれないので、マグライトはベルトの後ろに差し、サバイバルナイフはシースから抜いて右手に持つ。

 我ながらナイフは折れた左手で良く手放さなかったものだと思った。きっとそれを落としたら命が無いと思い、必死に持ち続けたのかもしれない。


 周囲を十分注意しながら写真を写し、何か気に成った物が有れば動画でも記録する。

 ちょっとでも音がすれば即座にナイフを構えるが、なんとなくこの空間には連中は居ないんじゃないかという気がした。というのも、足元の草花や苔は一切踏み荒らされた痕跡が無いのだ。優輝が歩いた足跡が残っているだけだ。

 多分、この空間を最初に踏み荒らしているのは優輝なのだろう。まるで何百年何千年もの間、何者の侵入も許していない特別な空間なのかもしれないと思った。


 不思議なのは、夜の九時だというのに昼間の様に明るい事だ。

 これは太陽の光では無い。物体に影が出来ていないのだ。これが現実感が無い理由だと気が付いた。

 まるで、大気自体が発光しているみたいだった。


 そしてもう一つ、これまた現実感とは乖離しまくりな物体が視界の中にある。

 目を覚ました時、遠目に見えてて気に成って仕方が無かったものだ。

 それは、この広場の中心に位置している。

 真ん中を流れる小川を渡ってそれに近付いて行くと、余計に訳が分からなくなった。


 それは、直径およそ60cm位の真っ黒な球体なのだ。そして、地面から大体臍位の高さの位置に浮いている。

 側でしげしげと眺めてみても、何の反応も無い。生物なのか無機物なのか、はたまた自然現象なのかも分からない。

 やや半透明らしく、うっすらと向こう側が透けて見えている。


 触ってみようと手を伸ばした。

 きっとここにあきらが居たら、あなた馬鹿なの!? と怒られそうだ。得体の知れない物を素手で触る人が居ますか、どんな危険物か分からないでしょうって、絶対に言われそうだ。

 だけど、優輝にはこれが危険な物では無いと何と無く分かっていた様に思える。根拠は全く無いが。


 「実態じゃ無いのか?」


 それは、まるでホログラムの様に腕がすり抜けた。何の感触も無かった。

 頭を突っ込んで中に入ってみると、丁度日陰から外の明るい所を見ているみたいな感じになった。


 「ああ、これは影なんだ」


 優輝は直感でそう感じた。


 「すると、本体はこの影の上……というか、この空間自体が本体なのかな?」


 影の出来ない明るい空間、ここ全体が本体であり、その影がここに集まっているのだと推測した。


 『ほう、ボクを理解する知的生命体がやって来たか……』


 何処からともなく謎の声が聞こえてきた。

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