4-5

 口許を僅かに持ち上げ、諦めたのか呆れ果てたのか、頭を垂れる坂内アンナは、やや乱れた前髪を揺らしながら言った。

「これで満足なのかな。久瀬くんは」

「うーむ、まあ今のところ、欲しい一言は頂けました」私は指先で、私の机をとんとんと叩いた。「中をご覧ください」

 坂内アンナが中を除きこみ、手を入れると、私が自分の机の引き出しに仕込んでおいた録音機材が出て来た。

 坂内アンナは小さな吐息のような笑いを零す。

「何、机の上のやつはダミー?」

「激昂されたらデータを消されてしまうかなと。一応の保険であります。もう必要ないと思いまして」

「用意周到だね」

「以前同じことを記者仲間にも言われました。よく言われるということです」

「で、これが私を脅すネタってことなのかな」

 デトックスでもしたのかと見紛うほどの涼やかさが、この時の坂内アンナにはあったように思う。

「実は、本当ならもう一つの写真も使って、先生を追及しようとしていたのですがね」

「どういうこと?」

「先生が住むアパートは、三棟並ぶ内の真ん中。通称B棟。それを挟むA棟とC棟は、張り込みにはうってつけなのです」

「もしかして張り込んだの? そこで?」呆れたように坂内アンナは言った。

「当然、窓側は自重しましたとも」

「凄い執念だね。今凄い勢いであなたの株が下がっているわ」

「ご安心を。ストップ安は設定済みですので」

 私は胸ポケットから三枚の写真を取り出し、これまでの写真を更新するように机に載せる。

「これは、今朝の写真であります。間違いないですね」

「……そうね。間違いなく今朝のものね」

 映っているのは、玄関側で張り込んでいた藤橋により撮影された、出勤時の姿だった。

「これらを見た時、私は、あなたと瀬川絵理沙の関係を確信し、同時に、とても美しいもののように感じました。瀬川絵理沙は冷却シートを額に貼りながら先生を見送り、先生はまるで彼女に寝ていなさいと諭しているかのようだ。友情を超えていると、私は思いましたよ」

 私は貧弱な指で二枚目を差す。映っていたのは、瀬川絵理沙の頬に手を当てる坂内アンナの姿だ。背後からの撮影で坂内アンナの表情が映っていないが、三枚目、華奈が脇から撮影したものにはマシュマロのように柔らかな微笑みがあった。

 坂内アンナは細めた目で写真を見つめる。自分に見惚れることがないとしたら、今あるその微かな口角の上がりは、一体何を意味しているのだろうか。

 私は、胸ポケットに忍ばせた最後の一枚を坂内アンナに差し出し、彼女はそれを、徐に受け取った。

「これを美しいと言わずして、一体なんと言いましょう」

 そこには、華奈が慌てて部屋を飛び出し撮ったと言う、渾身の景色があった。

「素敵じゃありませんか。私はこの一枚に、心を奪われましたよ」

「こんなの、撮っていいようなものじゃないよ」

「何故です。素敵じゃないですか。とても美しい、口づけではありませんか」

 坂内アンナは微笑んだ。それは、「私もそう思うわ」というものにも、「そんなにいいものでもないわよ」というものにも受け取れる、表現し難いものであった。

 高校生程度の人生では、受け止められそうもないなと痛感した。

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