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 坂内アンナと同居人。その関係が分からないのではなんとも言えない。

「私は翌日、この同居人を調べることにしました。方法は簡単。付ければいいのです。実にアナログでしょう。デジタルには明るくないもので。この同居人が何者であるかなんぞ、すぐさま分かってしまう世の中、アナログの方がむしろ容易と言えます」

 私は手にした写真を机の上に放り、さらに胸のポケットから写真を取り出した。今度ばかりはクオリティの低い写真であった。谷汲カメラマンの作品ではないからだ。

「尾行は簡単だ、とすぐに思いましたよ。何せ記者歴も一年と少々。私の勘もなかなかだなあと陶酔したものです。アパートの一台分しかない駐車スペースは、先生の車で埋まっていましたんでね。この同居人が行動する際には徒歩、もしくは公共交通機関を使う他ありません。この辺りだとバスのみですな」

 私が撮ったその写真には、早朝、七時過ぎ、坂内アンナの同居人が家を出る所が写っている。

「私は彼女と同じバスに乗りました。瀬川絵理沙は駅まで乗り、降車すると小走りで別のバス停に向かいます。追いつくのに苦労しました。私は体育の成績の低さに定評があり、さらにはそれに恥じることなく努力を惜しんだことで万年ビリの烙印をクラスが変わる度に押されてきた人間でありますから。ちなみに乗り換えたのは、大学に向かうバスでしたね」

 坂内アンナは呼吸を整え、細く息を吐いた。「大学まで、行ったんだね」

「ええその通りです。……おっと、汗をお拭きになってください。額に纏わりついているのは煩わしいでしょう。梅雨時は嫌ですねえ。じめじめしてしまって」

「ホントに、嫌になっちゃう」

 坂内アンナがここまで低い声を出せるということを、この校内で知るのは私だけなのだろう。そう想像すると、私は無性に興奮した。男の子の本能が背筋を這うように全身を駆け廻った。やけにぞくぞくする。これが快感か。これが快楽か。

 私は自身を奮い立たせるように咳払いをした。気を取り直して、というやつだ。

「ここまで私服で行動していた私ですが、良き所で学生服に着替えました。そして私は、大学の前で一人の学生を呼び止め、あなたの同居人の弟を演じ、彼女の情報を得ようとしました。簡単なことです。その容姿や、前日まで風邪を引いていた可能性など情報は幾つかありましたから、それを提示すれば、相手は容易に警戒心を解く。彼女が瀬川絵理沙という名前であることや、教育学部に属していることを知ることなど、造作もないのです」

 坂内アンナの表情は固まって動かない領域にまで到達していた。

 効いている。効いている。核心が近付いていることを、坂内アンナは自覚しているのだ。

 私は毛穴という毛穴から抜け出てこようとする興奮を、とうとう抑えられなくなっていた。

「友人関係というものは実に面白い。関係を結ぶ時には往々にして個人情報の開示を迫られることがあります。隠しごとは不信に繋がるからだ。私が思う所の、プライベートの切り売りですな。瀬川絵理沙が切って売った個人情報は、あなたとは全く関係のない第三者から漏れてくるのです。いいですか先生。隠そうとしたってもう無駄だと言うことはここに宣言しておきます。あなたはきっと、隠しておきたかったんでしょうがね」

 私は追及する。

「さらに私は、一日中大学前を張りました。瀬川絵理沙と楽しげに話していた別の友人からもあらゆることを聞き出しました。皆、他者の情報を身勝手に開示することが好きなようで、なんとも困ったものです。危機意識が足りない。我々のような人間にいいように扱われることもあるのだと、知っていただきたいものですな」

 私は手を休めなかった。

「結局のところ私は、一昨日先生が保健室で何をしていたのかが気になった訳ですが、そこを調べる以上この結論に辿り着くことは必定。あなたが今見せている苦悶の表情も、身からでた錆と思っていただきたい。もちろん、あなたと瀬川絵理沙との関係を錆と評したのではありません。知られたくないのなら、校内では必死に隠すべきだったと言っているまでで」

 さあ、もう諦め給え。私はジャーナリズムの炎を目に滾らせて、坂内アンナにそう告げた。

 この近距離で初めて気付く、坂内アンナの小さな震え。察するに彼女は、今回私が突き止めたこの事実を、きっと恥ずべきものとして捉えているのだろう。だからこその現状。この有り様。理解できなくはないが、あえて言おう。

「それは、ここまで突き止められて尚、そんなにも知られたくないことなのですか」

 私は、相手の事情、過去、想い、それら一切を無視し、私個人の考えを押し付けることにした。

「私が当事者でないから言えることでもあるのですがね。無関係な人間の一言が重宝される瞬間もあるように思いますし、臆さずに言わせていただきます。私は、あなたを受け入れますよ」

 ――記者の仕事は説得することにあり。そう言った者がいるという。

 私は、坂内アンナを逃げ場のない袋小路へと追い込み、そして今、説得の段階へと踏み込んだ。それは、坂内アンナの口から言わせることに意味があるのだ。

「アンナ先生。あなたに質問をします。同居人、瀬川絵理沙とは、どういうご関係ですか」

 坂内アンナの一挙一動を逃すまいと、その姿を視界から一瞬たりとも外すことはなかった私には、今の坂内アンナは、穏やかな表情に見えた。

 すっかり沈んだ太陽と、見えもしない月と、分厚い雲と雨の音。

 私はこの天地に生まれた一人の人間であり、それ以上の存在ではないのだから、無論、この大自然を操ることは出来ない。

 太陽は沈む。月を見たくとも雲はどかせない。雨は降り続ける。しかし、人はそうではない。いくらでも、どうにでもなる。

 と、十数年の人生経験ではそう感じている。

 そして、坂内アンナは口を開いた。

「絵理沙は……私の恋人よ」

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