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 週刊言責編集部は秘密クラブである。故に、秘匿すべきものは多い。

 例えば編集部員の面々。藤橋まいか、春日雫、谷汲華奈が週刊言責に深く関わっていることは、私と極一部の者を例外として、決して明かされることはない。

 とはいえ、どこの誰が取材しているのか分からないのでは、週刊言責は読者諸君にとっての娯楽になり得ない。隠し事は、多ければ多いほど不安材料になるからだ。ではどうすべきか。簡単である。責任者の名を載せればいいのだ。

 週刊言責編集長、久瀬涼人。その名を、記せば良いのだ。

「久瀬くんから話があるってことは、何か取材したいことがあるんでしょう?」

 所は二年一組。坂内アンナは、二年一組の私の椅子に腰かけ、私は一つ前の椅子を百八十度回し、二者面談のように向き合った。

「察しの良さに感謝します。実はその通りでございまして、私は今からあなたに取材を申し込みます。録音もさせてもらいますがよろしいですか」言いながらボイスレコーダーを机の上に置く。

「うーん」困った様子の坂内アンナ。「別にいいけど、でもごめんね。あんまり長くは無理かもしれない。出来るだけ早く帰らなきゃいけないの」

「ありがとうございます。できるだけ手短に」と私は呟いた。早く帰りたい、と先生が言った理由が分かるからだ。「心配でしょうなぁ、仕事も手につかなかったのではないですか。それもそうです。大切な同居人が、風邪で寝込んでおる間は」

「……っ」

 人が図星を衝かれた時の顔、というものには見覚えがある。

「可愛らしい同居人でありますなあ。瀬川絵理沙さん。大学三年生、大人の魅力溢れる、というよりは、やや幼さを感じさせる風貌だ。男の子の心をくすぐる可愛らしさにはさすがの私も恋に落ちそうでした。大変でしたねえ。せっかく治ったと思った風邪がまたぶり返すとは」

「久瀬くん、なんで……絵理沙のことを知っているの」

 その声は、いつもの坂内アンナではなかった。やや凄んだように、私には感じられた。

「調べたからでありますよアンナ先生。いやあ、本気になれば、個人情報などあちこちから漏れ出てくるものですなあ。いくら世の中のセキュリティが発達しても、人が危機意識を持たない限りは防げないものですよ。つまり言うなら、人が誰かとの関わりを構築し保つ為に、その個人情報を切り売りしなければならない以上は、いくらでも調べようはあります」

「どうして絵理沙を調べたの」

「ご自身の胸に訊いてみてはいかがでしょう。おっと、それだけでは分かりませんよね」

 平常心を必死に演じる姿は可愛らしさすらある。この絶対的有利な立場で、本来ならば目上の人間であるはずの教師を追い詰める。優越感とも違う快感。それに酔い痴れる暇はないが、多少噛み締めるのも乙なものだ。

「まずは、私があなたとあなたの同居人を調べたきっかけから始めましょうか。これがまた驚きで。なんと、一昨日、つい二日前のことから今回の取材は幕を開けたのです。急でしょう。私もそう思っております」

 坂内アンナは一切笑わない。いつもの涼しさよ何処。

 私はと言うと、軽く微笑んで「では、写真から見てもらいますか」

 制服の胸ポケットに忍ばせた写真を一枚、机の上に乗せた。

「あなたが写っております。保健室ですね。日付は日めくりカレンダーから一昨日。時刻は壁掛け時計から十一時三十五分頃です。丁度三時限目。確かこの日この時間、先生は一の一で英語の授業中だったはずですな。何故、保健室で携帯電話を手にしておられるのでしょう。私はこの一枚から先生を調べ始めました。生徒に慕われ、男女関係なく好かれている坂内アンナ女史のスキャンダル。授業放棄、職務怠慢、そんなことはあってはいけませんからな」

 坂内アンナは写真から目を逸らさない。が、動揺は見て取れる。テストで0点を取ったことが親にばれた時の小学生みたく、どうもしようのない表情のように窺えた。

「情報提供者の生徒曰く、実に楽しげな会話のようだった、と」

「誰?」

「おっと、そちらに興味が行きますかな」

 これは予想外であった。提供者を疑う方向に行くとは。

「ごめん……続けて」

「では」過ちに気付いたようで。「私もその会話を聞きました。咄嗟に録画したようで、声もばっちり聞こえましたので」

「英語だったでしょう。意味、分かった?」

 坂内アンナは否定をしなかった。写真の中に写る人物は紛れもなく自分であるとの確かな証言であった。私は狡猾な笑みを浮かべないよう努め、続けた。

「それはそれは流暢なイングリッシュでしたよ。さすがですな。普段我々がやっている授業がネイティブ相手には限りなく無意味であることを痛感しました。やはり幼少期から培わねば、英語と言うのは日本人には向きませんな」

「そんなことないよ」

「いやいや。せいぜい、ベッドルームとトゥナイト、くらいしか聞き取れませんで」

「大学受験厳しいかもだよ。授業、頑張らなきゃだね」

「まあ受験のリスニングはどうにかなりますよ。あれは聞き取り易くされていると聞きますから。日常会話ほど難解ではないでしょう……おっと。そんな話がしたいのではなかった」

 私はもう一枚の写真を取り出し、坂内アンナに見せる。

「……私の車」

「そうです。当日、付けさせてもらいました」

「ストーカーだよ」

「まあ、そうですな。報道とは常に危ない綱渡りの連続でありますよ」

 机の上のたった二枚の写真に揺さぶられる坂内アンナ。心なしか髪の艶もそこまでではないように、私には思えた。

「私は英語が解読出来ませんでした。が。せめて誰と連絡を取っていたのか、それくらいは知りたくなりまして。自らの推理も織り交ぜ、きっとこの日、アンナ先生はその相手の所に向かうと踏んだのです。ええ。この時点では、桃色世界を思春期全快で妄想していましたとも。で、まずは買い物に向かいましたな」

 写真をもう一枚、二枚、三枚。品数豊富薬局での様子だ。

「プリンとヨーグルト。そして、風邪薬です」

 それはまさしくプライバシーの根底であった。自身の生活圏を覗かれることがどれほど恐ろしいことなのだろうか。坂内アンナの恐怖が次第に高まっていくのが分かる。

 湿度を跳ね返すように、私の肌の感覚も研ぎ澄まされていった。

「そして――あなたはとあるアパートに向かった」

 びくん。坂内アンナは身体を震わせた。微笑でもてなす私に向かって、アンナは猫のように可愛らしい目を、恐怖を携え見開いた。

「三棟あるアパートの真ん中。通称B棟。二階。七部屋並ぶ内のこれまた真ん中。先生の、ご自宅ですね」

 坂内アンナは瞬きを忘れていた。

「無言は肯定と受け取りますよ。この時あなたはチャイムを押されました。普通、自宅では鳴らしません。鍵を開けてノブを回せばいいのですから。が、そこに同居人がいるのなら話は別です。急に鍵を開ければ同居人が驚いてしまいますので。そして、部屋からは出迎えがあった。思い出してください。この時、あなた方の身には何かが起こったはずだ」

 坂内アンナは下を向いた。たった数秒がやたらと長く感じるこの瞬間。再び首を上げると、アンナの視界には恐らく、私が今手にしている写真が真っ先に飛び込んできたことだろう。

「それは……」

「驚きました。てっきり男かとばかり。何せ聞き取れたワードがアレですから。純朴まっしぐらの私は桃色世界を想像しますとも。だがそれはある意味正解で、根本は間違っていた。写っているのは女性だ。アンナ先生の同居人。瀬川絵理沙。驚愕でありますよ。まさか女性と同居しているとは。最初は姉妹か、はたまたルームシェアか、そう考えたのですがね」

 眼前の女教師の息が乱れ始めた。荒々しくはないが、それは紛れもない恐怖であった。

 追い詰めているという実感に、私の手は確かに震えていた。

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