3-2

 坂内アンナが買い物を終えた。彼女が店外へ出たならば我々も退店の時である。

 店員にまであの麗しき微笑を提供する天女っぷりに感服しつつ、我々は何一つ手に取ることなく店を出た。

 藤橋姉の車に乗り込もうとした時には既に華奈は助手席を陣取り、我々二人はまたも後部座席でのドライブと相成った。写真の鬼は常に撮りやすさで行動するのだ。

「まだ追う?」と言う藤橋姉は、見るからに追う気満々であった。

「当然です。どこまでも!」

「了解した!」

 またも後ろにぴたりと付いて、銀の軽自動車は赤い車体を逃さない。

 そういえば、きっと買うであろうと想像していた桃色世界に必要なエチケットは、今回は買わなかったようだ。きっとベッドルームに常備しているのであろう。そう考えるだけでも、脳内における桃色世界の厚みは増していき、私の中の男の子は悶々としていくのだった。


 移動時間は五分少々。田舎の夜ともなると街灯も少なく、暗がりの恐怖というものが一帯を支配して憚らない。県道はオレンジ色の街灯が照らしていたが、一本外れたこの場所までは届くはずもなく、防犯目的と目される蛍光灯が小さな光を生み出すのみだった。

 そこはアパートだった。二階建てで、一棟の部屋数は目算で十四。それが三棟。そのどれもが同じ構造か、部屋数も同じかは不明。見た目の面白さも奇抜さもない平凡な三棟のアパートの内、坂内アンナが向かったのは真ん中の棟であった。

 おそらくは坂内アンナの部屋と思われるのだが、桃色世界は自宅でのみ繰り広げられるものでもないだろうという点から、交際相手の家との可能性もあり、決めつけることは出来ない。

 中央部の外階段を上っていく坂内アンナは、校内で振りまく顔とはまた違った柔らかさを浮かべているように見えた。何時よりも、美しいと思えた。

 そう言う我々は藤橋姉の車を降り、藤橋姉に待機を懇願した後、建物の陰からその姿をじいっと見つめていた。カメラマンの華奈は、坂内アンナとは別の階段から音もなく二階へと上り、フラッシュを焚かずにシャッターを切った。気付かれそうなものだが、そこもまた華奈の力である。

「こういうときの俊敏さは見習わねばな」

「本能だよね、あれは」

 走り出して写真を撮り、ところが被写体にはバレず、写真自体のクオリティも保証されるのが谷汲華奈だ。報道カメラマンとしての才は平凡を軽く凌駕する。

 坂内アンナは、横に七部屋並ぶ中で真ん中の扉の前に立ち、チャイムを押した。自室であればチャイムの必要はなかろうに。一人暮らしであれば、尚のことだ。

「誰かいるな。男か」

「うーん、どうかなあ」

 すると、鍵の開く音がかちゃりと響き、そろりと扉が開かれた。坂内アンナを招き入れるべく、人が出て来る。

 さあ行け華奈。我々はこの瞬間を狙っていたのだ。坂内アンナとその恋人をフィルム、もといデータとして写真の枠の中に閉じ込める絶好機。

 華奈は固有スキルのステルス性能と他を圧倒する俊敏性をこの瞬間に解放し、アパートの中央まで刹那の間に駆け、類稀なる撮影技術で、油断した坂内アンナと、出迎えた恋人と思われる人物を撮影した。

 暗闇一歩手前の敷地内で煌煌と、三度のフラッシュが輝きを放つ。短い悲鳴が静寂に響いた。それが坂内アンナのものであろうことは推測出来るが、彼女が華奈の姿に驚いたからかどうかで言うならば、それは違うと断言しよう。悲鳴はあくまでも三度瞬いたフラッシュによるもので、華奈は一瞬と掛からずに彼女の視界から消えたはずだ。

 華奈は、忍者も顔負けのアクロバティックな身のこなしで我々の元に帰還した。

 私は、慌てて屋内に入り玄関を締める坂内アンナを物陰から確認し、二人に退散を指示した。結局私は、坂内アンナを出迎えた人物を、目視することが出来なかった。

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