2-3
そもそも、男子生徒が女教師の恋愛事情を根掘り葉掘り。そんなものは気色が悪くていけない。坂内アンナにも大いに怪しまれることだろうし、全力で嫌われること請け合いだ。それくらいは「鈍感」と謂れなき謗りを受けた私でも分かる。拗ねてなどいない。
冷静に見て、この役目は藤橋まいかにこそ相応しい。内に秘めた腹黒さを我々編集部員以外には頑なに見せない稀代の仮面っぷり。借りてきた猫、というならば可愛げがあるのだが、藤橋のそれは全てが偽りなのだ。
優等生の皮は相当に厚い。品行方正、清廉潔白、方正之士。とにかくそんな外面が教師陣には受けが良い。本音を隠し、建前だけで生きていけるのが彼女なのだ。
「先生、ちょっとよろしいですか?」職員室へ向う廊下で、藤橋が坂内アンナに接触した。
私は、谷汲華奈直伝の尾行術によって存在の一切を隠しながら、二人の様子を窺う。
「どうしたの、藤橋さん」
ちなみにだが、大事な呼び出しの伝言を生徒に預ける教師は当校にはいない。音楽室から引き剥がす為の嘘であることは明々白々であった。言伝、としたのは単に責任逃れである。
「実は、変な噂を聞いてしまったんです」藤橋は神妙な面持ちを演じていた。「あの、訊いてもいいものか悩んだのですが」
「いいよいいよ、答えられることなら全部答えるから」
笑顔全快。私の中で坂内アンナの株が跳ね上がる。ストップ高を設定し損ねた。
「もしかして先生って、彼氏さんいますか」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!」
私は非公開の叫びを上げた。それはあまりにも直球過ぎるのではないだろうか藤橋よ!
「あくまでも噂ですよ。小耳に挟んだものですから。風紀どうこうをわたしが口にするのもおこがましいのですが、立場上、あまりそういった噂が広がるのも、どうかと思いまして」
「へえ。藤橋さんも興味あるんだ。そういうのなんか意外。女の子だね。うん、可愛いと思う」
「そ、そんなんじゃないですよ」藤橋はスカートの裾を掴んでもじもじする。仮面!
「ふふ、恥ずかしがることないのに」
これもまた藤橋まいかにしか出来ない芸当と言えるだろう。誤魔化す術を数多用意しているのが彼女であり、私などとは攻め手の数が桁違いだ。
「彼氏はね、いないよ」しかし、望んだ答えは坂内アンナから出なかった。
私は落胆した。同時に「やはりな」とも呟いた。よくよく考えずとも分かっていたことではあったのだ。教育に従事する者が己のプライベートを嬉々として話すわけがない。生徒にはなおさらだ。それくらいは藤橋にも容易に想像出来たはず。何故すぐに答えが出るような問いを投げたのか、私の理解は追いついていなかった。
「藤橋さんは好きな子とかいないの?」
「いない、と言ったらウソになります」
「へえ、誰? 気になるなあ。私、コイバナ好きなの」
「誰って、恥ずかしいですよ」
「ふふ。可愛いのね。いいなあ、藤橋さんに好かれる子が羨ましいわ」
などと何の発展も見せない会話に貴重な時間を何秒も費やし、私には飽きというものが生まれ始めていた。その時であった。
「そういえば先生、お身体は大丈夫でしたか?」この瞬間、藤橋まいかの声音が変わった。
あからさまではないが、私ならば分かる。また新たな仮面を被った合図だと、坂内アンナは気付いただろうか。
「今日の英語の授業、自習にしたそうじゃないですか」
坂内アンナの頬が、ぴっくと動いた。
「保健室に入って行かれた、とも聞きました。もしかして体調が悪いのではないかと、わたし心配で。皆が先生のことを慕っていますから、ご都合も考えず甘える生徒も多いでしょう。ご多忙でしょうし、お疲れなのかな、と。差し出がましいとは思ったのですが」
「え、ええ。そうなの。少しだけ、その、ね。まだまだ新入りだから、ちょっとね」
僅かな挙動の不審さは、しかし明らかな動揺であった。
「そうなのですか。無理なさらないでくださいね」
「ありがとう。優しいのね、藤橋さん」
「いえ。お節介が過ぎるとよく言われます」
坂内アンナは余裕ぶった表情で藤橋と別れた。余裕でないことは先程と比べれば歴然としていた。
「どうだった」私はやや滑りやすいリノリウムの床を駆け、藤橋に訊ねた。「あんな意地の悪い訊き方だったのだから、意図はあったのだろう。成果や如何に」
「うーん。あの感じだと、彼氏は本当にいないのかも」
「なんと。私の予想では、ピロートークは英語力向上に最も有効だというから、それを先生自身が体現しておられるのかと悶々としていたのだが、恋人ではないのか。と言うことは遊び相手! けしからん! 実にけしからん!」
「どうしてそうなるのかは分からないけど、きっとそういう男性もいないと思うな。そういう話題で目が泳がなかったし、不自然に真っ直ぐな目でもなかった」
「なるほど。いやしかしそれは困ったぞ。これでは授業中に恋人と電話をしていたというスクープが破綻してしまうではないか」
「でも写真も映像もあるからね。華奈ちゃんのおかげで日付と時間は確かなものがあるし、言い逃れは出来ない。それにあの反応だと、授業を放棄したことは自覚しているみたいだし」
「明らかであったな」
あの動揺っぷりを見るにそれは確かなのだが、いかんせんこのままでは四ページを埋めるほどにはならない。生徒に人気の新米教師のスキャンダルがその程度で終わってしまうのはもったいない、と感じるのは、性格がねじ曲がった証拠だ。
「……付けるか」
「え?」
「この際だ。授業放棄のみならず、女教師のプライベート徹底追及! で紙面を彩ろう」
「妥協するの?」
「違う。私は、坂内アンナの上がりに上がった株に疑いを持ったに過ぎない。株価の急騰には裏があるものだ。必ずしも正しいとは言えない理由もあろう。完璧な人間などいないという私の経験則で以て、私は彼女を疑っている。何より、彼女の裏側に興味が湧いてきた」
「うーん。まあ、紙面を彩るって言うならいいかな、分かった、付き合うよ」
「となれば早速準備だ。わくわくするなあ藤橋よ。この先には何かがあるぞ! 私の勘がそう叫んでいる」
「勘?」
「そうとも。それに従ってこそのジャーナリズムであろう!」
と叫んだ時であった。雫からメールが届いたのだ。写真が付いている。雫がこういうことをしてくる時は何かを得た時であるから、私の鼓動は早まった。写真には、保健室の机があった。メモ用紙のようなものが置かれている。何かが書かれている様子から、雫はこれをこそ僥倖として送ってきたのだろう。
だが惜しい。いや、腹立たしい。
端には雫と思われる人物の左手ピースサインが写っていた。「ウチが見つけた」というアピールなのだろうが、間抜け極まる。そちらにピントが当たっているのだ。おかげでメモ用紙のメモが読めやしない。
「ばかたれい」と呟きながら、私は世間の厳しさを教えることにした。メールを打つのが早いと校内を騒がしたことのある私は、『その左手をポケットに突っ込んでからもう一度写真を撮り、今日はもう帰り給え』と送った。返信は待たない。頑として、私は凡ミスというものを赦さないのだ。
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