第3話 デート
今日は待ちに待った日曜日。デートの日だ。
うちの母は意外にもファッションセンスがある。だから、今回は母にコーディネートしてもらった。髭を剃ったことを確認し、ワックスを髪につける。揉み上げたりいろいろして、準備オーケー。
靴はどうしようか、黒かクリーム色か。うん、黒でいこう。
玄関の扉を開けて、いざ出発。
夜は目が冴えて眠れなかったため、朝は眠気に襲われたが、一周回ってまた目が冴えてきた。電車の中でもうっかり眠ってしまわないようにしよう。夢を見てしまったら、せっかくの新鮮なデートが台無しだ。
現地の駅で集合ということだった。
集合時間の15分前。うん、まだ来ていないようだ。
近くのコンビニでコーヒーでも買おうか。
本当に近くにコンビニがあった。一旦その場から離れ、コンビニに入り、コーヒーを注文する。紙コップを渡されたので、コーヒーメーカーでコーヒーを注ぎ、コンビニを出て、元いた位置に戻る。
ふーふー。ずずずずず。
ああ、うまい。
最近のコンビニのコーヒーはクオリティが高い。いや、コンビニだけじゃない。ワックのコーヒーも美味くなっていると聞く。おそらくそれも、コーヒー競争社会で揉みに揉まれた結果なのだろう。そういえば、俺の周りには、コーヒーが苦手な人が多い。こんなに美味しいのに。もったいない。裏葉は、どうだっけな。
俺がコーヒーの虜になったのは、小学2年生の頃だ。旅行先のドリンクバーで初めてブラックで飲んだ。なんて美味しいのだろうと思った。(正確に言えば、ミルクを入れるのであれば、それ以前から飲んでいた。)旅行から帰って、早速超有名なカフェチェーン店に行ってみた。アイスコーヒーを注文して飲んでみたら、しかし、あまり美味しいとは感じなかった。この頃から、人によって好みが違うんだなとしみじみ感じていたのだ。とは言っても、別に詳しいわけではない。店に寄って味が違うな、程度だ。まあもちろん幼い子供にコーヒーというのは、あまり健康的ではないのかもしれなかったけれど。
なんて考えていると、
「ヒョータくーん」
「お、来たな」
綺麗な人が来た。
「ごめん、待った?」
集合時間の5分前だった。理想的だ。
「いや、俺も今来たとこ」
「よかった」
「じゃあ、行きますか」
ここはビジネス街だ。だから、網の目状に規則正しく道路が整備されている。カクカクと角を曲がりながら、進んでいく。しかしさすがはビジネス街。建物のスケールが大きい。突き当たりから次の突き当たりまでの距離が結構ある。遮るものがないから見えるのに。やけに時間がかかった。そして、人が行列を成しているのを見つけた。もしかして、行列を作っているあの店が、件のフレンチトーストのお店なのか。行列を構成する客層は、明らかに若者の男女だった。皆考えることは同じらしい。まあ、行列を並ぶのも、デートでは定番なのかもしれない。ここは、裏葉との会話を楽しむことにするか。
「結構人多いな。どうする? 他の店にするか?」
「ううん、並ぼうよ」
そう言って、俺たちは、最後尾に付いた。
「なあ、お前って、コーヒー飲めるか?」
「ううん、飲めない」
「それは惜しい、美味しいのに」
「うん、香りは好きなんだけどね」
「そっか……」
会話が終わってしまった。
コーヒーとの馴れ初め話でもしようか。いや、何の自慢なんだという感じだ。
「みんなデートで来てるのかな?」
沈黙を破ってくれたのは、裏葉の方だった。ありがたい。
「そうなんじゃないか?」
あまりデートに行ったことがないので、なんとなくここに自分がいることに場違い感を感じる。いやだめだ。そんな後ろ向きなことでどうする。裏葉も一緒なんだぞ。もっと自信を持っていなくては。
「このお店ね、看板メニューのフレンチトーストももちろん美味しいらしいけれど、付け合わせで出てくるサラダも美味しいらしいよ」
「そうなんだ、体にもヘルシーなんだな」
と、列が進み、内装が覗けた。外装はお洒落な白を基調とした塗装がなされている。もし、一人とか、男だけで来るなら、入るのに躊躇してしまうだろう。内装も外装と似合う、明るい色調だ。お高そうなオブジェクトがいくつも置いてある。きっとメニューのお値段もお高いんだろうな。でもまあ、たまにはいいか。
「裏葉ちゃん、お前、バイトはしてたっけ?」
「してないよ。というかしたことない。ヒョータ君は?」
「ああ、俺も今はしてないんだけど、大学に入学するまでの期間。まあだから、したことはあるよ」
「そうなんだ。何のお仕事?」
「コールセンターの仕事だ」
「へえ、すごい! なんでその仕事選んだの?」
「俺、対人関係に自信がないからさ。スキルアップにと思ってだな」
「対人関係、全然大丈夫だと思うけどなあ。なんで辞めちゃったの? やっぱり苦情とか来ちゃったり?」
「苦情ばっかりだよ。怒られてばかりだったよ。『はい』の言い方だけで、怒られて、切られたこともある」
「ええ⁉︎ やっぱりそれで辞めちゃったの?」
「いや、3月いっぱいの契約だったからな。それに、大学でのスケジュールとか全然わからなかったし。でも確かに、もう一度やれと言われれば、嫌かな」
「あはは……」
「何かいい仕事ないかなあ」
「友達は、ドラッグストアが良いって言ってたよ」
「うーん、なんかもっと、接客とか、飲食で働いてみたいなあ」
「そっか、でもやっぱりヒョータ君すごいよ。最初に選ぶのが飲食とかじゃなくて、コールセンターを選ぶあたり」
「あはは、我ながらそうかもな」
しているうちに、順番が回ってきた。
「2名様でしょうか?」
「はい」
「こちらへどうぞ」
やはり内装もまたお洒落だ。シャンデリアも吊るされていて煌びやかだ。
「やっと座れたな」
「えへへ、うん」
「お水どうぞ。注文決まり次第お呼びください」
「はい」
早速配られたお冷をちょびっと飲む。さっぱりしていて美味しい。ただの水じゃなくて、レモン水というやつか。
「何にする?」
「ああ、このオススメのマークが付いてる、『お店のフレンチトースト』のセットでいいかな」
「じゃあ、私もそれにしようかな」
「店員呼ぶか」
「ちょっと待って、これ」
指し示されたのは、学校の先生が使う判子のような直方体の木製の物体だった。
「何だこれ?」
「よく見て」
よく見てみると、それぞれの面に、文字が印字されている。『注文』とか『お冷』とか。なるほど、希望する面を上にくるように置き直せばいいのか。最近はこんなところにもハイテクが使われているんだな。感心しつつ、『注文』の面が上にくるように置き直す。すると、まもなく店員がやってきた。
「『お店のフレンチトースト』のセット2つ」
「かしこまりました。お飲み物は何にされますか?」
「じゃあ、アールグレイで」
「私も」
「かしこまりました」
店員が去って行った。
「アールグレイ、好きなの?」
「うん、紅茶もあまり詳しいわけじゃないけどな。家ではだいたいリプトン。喉が渇いたら、ルイボスティーを飲んでる。肌に良いらしいな」
「十分詳しいじゃない」
「いやいや、そんなことないって。ハーブティーとか全然知らないし」
「ふーん」
たいていお店ではコーヒーを頼む。紅茶を頼めば、カップに無造作にティーバッグを突っ込んだようなものが出てきてがっかりすることがあるからだ。これじゃ家で飲むのと変わりないじゃんって。ただ、こういうお店なら別だ。いくつも紅茶の種類が記載されている。ならばそこらのチェーン店で出されるようなものが出てくるはずがない。おそらくティーポットが運ばれてきて、セルフでティーカップに注ぐような形式だろう。それならきっと美味しいはずだ。そんなことを考えていると、
「お待たせしました。付け合わせのサラダと紅茶をお持ちしました」
きたきた。早速きた。
「ありがとうございます」
レタスに玉ねぎ、それにトマトの和物。その上にパルメザンチーズと特製ソースがかかっている。色取り取りで目を楽しませてくれる。なるほど、フレンチトーストとも相性が良さそうだ。とりあえず、ティーポットの紅茶をカップに注ごう。
じょりょりょりょりょ。
「そういえば、ドラマで、高い位置から格好よく注ぐ主人公を見たことがあるよ」
「それ、絶対溢れるでしょう」
「うん、めっちゃ溢れてた。でも何事もなかったかのように、撮影回ってた」
「あはは、なにそれ。ふー。さて、まるで通みたいにアールグレイを頼んでたけれど、お味の方はいかが?」
スーっと飲んでみる。
「うん、爽やか」
「爽やかですか」
「爽やかです。裏葉ちゃんも飲んでみなよ」
「ああ、うん」
恐る恐る口に含む裏葉。
「あ、うん、美味しいね」
「だよな」
では、フレンチトーストはまだだけれど、サラダも一口食べてみるか。
はむっ。しゃむ、しゃむ、しゃむ。
「ああ、美味しい」
それぞれの素材の良さがうまく絡み合って、相乗効果を生んでいる。少し酸味も感じられてさっぱりとした味だ。うん、美味しい。
「サラダも美味いな」
「うん、今日は来られて良かったよ。たくさん並んだ甲斐があったね」
「おいおい、メインディッシュはこれからだぞ」
「あはは、そうだった」
「お客様、お待たせいたしました。フレンチトーストになります。では、ごゆっくりお召し上がりください」
噂をすれば何とやらだ。見た目は、普通のフレンチトーストよりかなり分厚い。スフレ状なのか。
「では早速、いただきます」
カリッ。はむはむはむ。
外はカリッ。中はふわっ。メープルはじゅわっ。
何だこれ、天国か。
「おいひー。おいひふぎるぞ」
「うん、おいひーね。すっごく」
これに紅茶を流し込んだらまた別のマリアージュが楽しめるわけか。それだけじゃない。サラダもまだ残っている。いろんな組み合わせで味と食感を楽しめるんだ。
はあ、幸せー。
「なあ、俺、今日来れてよかったよ。胃袋掴まれたよ。幸せだ。誘ってくれてありがとな」
「いや、私が掴んだんじゃないけどね。うん、でも喜んでもらえてよかった」
こうして、その日、その後、映画を観たり、服を見たり。早くも幸せなひと時が良い思い出となって、次の日を迎えようとしていたのであった。
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