第2話 お誘い

 ヂリヂリヂリヂリヂリヂリ!


 とりあえずトーストをオーブンに入れ、湯を沸かす。

 今日はコーヒーかな。

 インスタントコーヒーの瓶を取り出して、マグカップにざらざら挽かれた豆を注ぐ。湯が沸いたので、マグカップに注ぐ。してるうちに、トーストが焼けたようだ。冷蔵庫からバターを取り出し、トーストに塗りたぐる。そして、再びオーブンに入れ、スイッチを捻る。

 朝食を食べ終えたので、リュックを背負い、いざ大学へ。


 行きの電車の中、

「おお、おはよう!」

 話しかけてきたのは、増田優。男子友達だ。というかなんだこの既視感というか既知感は。そうか、昨日行きの電車で寝てしまって、その時に見た夢か。

「おはよう。朝っぱらから元気いいな」

 ちなみに、夢の時と同じような言動の選択を取るのに、理由は特にない。夢で見るのは、いわば可能性の一つに過ぎないのだ。だから、全く違う行動をとれば、全く別の未来を体験することだってできる。だけど、夢は夢。何か言って初めて、ああこの台詞夢でも言ったよな、正夢みたいだ。くらいの程度にしか覚えていないし、そもそも未来を変えることに情熱を注ぐ意味も見出せない。そこまで意識して行動しているわけではない。自然にしているだけだ。

「ん? そうか? なあ、友達どのくらいできた?」

「ん、10人くらいかな」

「はやっ! どうやったら、そんなに早く友達できるんだよ?」

「いや、別に普通にしてるだけだけど?」

「ヒョータ、妙に女友達多いよな?」

「まあ、そうかも?」

「10人中何人が女子なんだ?」

「7人くらいかな」

「ここまできたら、お前には、学部の女子全員と友達になって欲しいよ」

 そっか、こいつ、そのことで、軽く俺のこと妬んでるのか。根暗なやつだな。まあ、そんなに警戒すべきレベルでもないか。

「いやいや」

 笑って誤魔化す。


 相手の心の内を知ることができる夢のような夢とは言ったものの、見えるのは必ずしもプラスの感情だとは限らない。暗い部分だって、どうしようもなく見えてしまうものだ。ある意味悪夢だ。見えない方が幸せということも、世の中あるとは身に染みて感じる。


 キーンコーン!


 予鈴が鳴った。教室に入ろうとした、その瞬間、目に飛び込んできたのは、モヤだった。あまりの不気味さに、慄いてしまった。なんだ、あの黒いモヤ。邪悪を絵に描いたようなモヤじゃないか。

 なるほど、これは夢だ。

 よく見ると、人がモヤを放っている。ということは……。目を細めて凝らして見てみる。案の定、モヤの主は、鈴木さくらだった。夢ということは、何をしてもいいってことだよな。夢の良いところは犯罪級のことをしても、なかったことになるところだ。いや、悪いところなのかもしれないけれど。俺は、夢だと気づいた時に、好き勝手することができる。これが夢じゃなければ、取り返しがつかないけれど。早速、俺は鈴木さくらに話しかけてみることにした。

「おはよう、さくらちゃん」

「ん、おはよう、ヒョータ君。もう予鈴なったよ。早く席に……」

「そんなことはいいんだ。それより、その夥しいモヤ、どうしたんだ?」

「これね、モヤってことは……、うん、モヤモヤしてるのかな」

 なんて安直な。しかしここで会話を止めるわけにはいかない。

「何についてモヤモヤしてるんだ?」

「うん、私、彼氏がいるんだけどね」

「え、彼氏いたの⁉︎」

「うん、大学別々になっちゃったけど」

「それで、モヤモヤしてるの?」

「いやまあそれもあるけれど……」

「ん……」

「うちの彼氏、可愛い子に目がないのよ」

「え!」

「それで、彼の学部、可愛い子が多いみたいで」

「うんうん」

「もう心配で心配で」

「なるほど! それは心配だねえ。でもなんで同じ大学に進まなかったの?」

「うん、彼の進路希望がはっきりした時には、私の学力じゃ対策し切れなくてね」

「それはそれは……」

 確かに、うちの大学は知名度としては高くはない。でもこの問題、彼氏彼女の問題であって、自分にはどうにもこうにもできないよなあ……。そもそもの問題が難題だ。

「さくらちゃん、がんばれ!」

「え、ああ、うん、ありがとう」


 キーンコーン!


 がばっ! 目が覚めた。どうやら授業中に寝てしまったようだ。えっと、なんだっけ? そうだ、鈴木さくらだ。鈴木さくらのモヤ。彼氏といろいろあるんだっけ。細かいことまでは思い出せないけれど。というか、彼氏いたんだ! だよなあ、あんな美人だもんなあ。込み入ったところまでは思い出せないけれど、確か問題が難題で、俺にはどうしようもできないんだっけ……。というか、そうだ……。問題が難題である以前に、問題が何であれ、そもそも俺にはどうにもできないんだ。俺は夢でいろいろ知ることができる。現実では見えないものも夢の中では見られたりする。でも、現実じゃ何も知らないことになっている。何も知らない部外者が立ち入ったことなどできないし、そもそもその人の問題を他人である俺が解決できるわけがないんだ。(まあもしかしたら、あの社交的な鈴木さくらなら、現実でも教えてくれるかもしれないけれど……)ただ一方的に知って、傍観することしかできない。己の無力さを感じずにはいられない。この正夢、正に悪夢だ。


 帰宅途中、いつもの調子で問うてくる裏葉。

「ヒョータ君、好きな人がいるって言ってたよね」

「んあ? ああ」

「どんな人なの?」

「高校の時の先輩だな」

「それってかなり前じゃないの? 今はその人とは?」

「ああ、今はもう音信不通だ。何年も会ってない。どこの大学に行ったのかも知らないよ」

「へえ、ヒョータ君、意外と一途でピュアなんだねえ」

「ああ、俺の心はピュアピュアハートだ」

「あはは、何それ」

 そうだ、昨日の夢では、「じゃあもう時効ってことでいいのかな?」などと言ってきたんだ。実際問題、どうしたものかな。もう叶わない恋は諦めて、目の前を見なきゃいけない時期なのかもしれない。しかし、俺は恋愛偏差値がかなり低い。なんせ、人と付き合ったことなどないのだ。それで先輩との恋も叶わずだった。

「なあ、お前こそ、好きな人いないのかよ」

「いるよ」

 なるほど、目の前の俺ってことだな。

「どんな人なんだ?」

「優しい人」

 嬉しいけれど、え、それだけ?

「そうなんだ。叶うといいな」

「うん」

 ゆらゆらした瞳で頷く。

「過去にはそういう人いなかったのか?」

「まあ、小学生の頃とか?」

「ああ、そいつ足速かったろ?」

「うん、何でわかったの?」

「小学生なんてそういうもんだろ」

「ねえ、ヒョータ君」

 改まった様子の裏葉。

「ん?」

「今度の日曜日、予定空いたんだけど、遊びに行かない?」

 積極的だなあ。

「ああ、いいけど。二人でか?」

「うん」

 デートに誘われてしまった。

「で、どこに行くんだ?」

「ヒョータ君、スイーツとか興味ない?」

「ああ、好きだよ。時たま一人で店に入るくらいには」

「おお、じゃあフレンチトーストのお店で行ってみたい場所があるんだけど、そこに行こうか」

「ああ、それは楽しみだ」

 こうして、次の日曜日、裏葉と二人で、デートに行くことになった。


 そして土曜日の夜、一睡もできなかった。その日徹夜でいれば、次の日は、純粋に1回目として過ごすことができる。だから、既視感などに苛まれずに済むのだ。そういう意味では今回のデートを新鮮な気持ちで迎えることができる。

 新鮮さというのは大事だ。例えば、俺は音楽が好きなので、それを例にとってみるとすれば……。好きな曲は何万回も聴くものだ。だけど、初めてその曲を聴いた時の新鮮さと感動は、どうしたって忘れていくものだ。それが10年後とかにアレンジされた曲を聴けば、熟した好きな気持ちと新鮮さがミックスして、相乗効果を生むこともある。それくらい新鮮さの大切さは十分わかっているつもりだ。けれど、新鮮さを味わいたいからといって一睡もしないというのも、辛いものがある。

 まあとにかく、今回は純粋にデートを楽しもうではないか。

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