第63話 猫の恩返し?
フーリドマン辺境伯の使者が案内されてる時と前後して、一匹のネコに試練が与えられようとしていた。
「吾輩、ネコですゆえ昼まで日光浴をしないと具合が悪くなるですぞ?」
「ネコさん、あったまるです~~」
「いいから働け!」
ごろりと腹を見せ、サーシャに撫でられるに任せた自堕落ぶりのジャンをマンティスが摘まみ上げる。
「お前が働くのはイフリート様に対する贖罪なのだということを忘れるな!」
「ネコは愛玩動物なのですぞ!」
「お前はネコである前にイフリート様の眷属だ」
がっくりとうなだれるジャンにコーネリアは同情の視線を向けた。
「こんなに可愛いのに……いったい何をさせるつもりなの?」
「そうなのですぞ! 吾輩は可愛がられるのが仕事で……」
確かに人語を解するのは珍しいのだが、ジャンの身体はスナネコそのものである。
人間のように作業させるというわけにもいくまい。
「こう見えてもジャンはイフリート様の眷属で熱を操ることに長けております。熱くするばかりでなく適度に管理することも」
「なるほど、天然ビニールハウスをスキルで作成可能ってことか」
ぽん、と手を打つエルロイだが、コーネリアたちにはうまく理屈が伝わらなかったようであった。
「つまり……どういうこと?」
「収穫が早くなる。うまくすると収穫する時期をこっちの都合で調節できる」
「なにそれすごい!」
「そう! 吾輩はすごいのですぞ! なんといってもイフリート様第一の眷属! さらに今は泉の精霊ヴィヴィアン様の加護までついているのですぞ!」
ふん、と大きく鼻を鳴らすジャンであったが、マンティスに首ねっこを掴まれた状態では今一つ格好がつかない。
「だから吾輩をもっと甘やかして……うにゃっ! 身体が、身体が勝手につられていくですぞ!」
サーシャがねこじゃらしをジャンの前でぴこぴこと揺らしてやると、面白いようにジャンは左右に身体を振って釣られていた。
「ネコさんお仕事したら後で遊んであげるよ?」
「その言葉忘れるでないですぞ!」
あっさりとサーシャに誘導されるジャンに、哀れを感じると同時に、女の子の成長の速さに背筋が寒くなるエルロイなのであった。
「スキルでビニールハウスもどきができるんなら使わない手はないよな」
すでにラングドッグ村では二十日大根をはじめ促成栽培を開始していたが、地面で直接栽培するのはいかにも効率が悪い。
エルロイが土魔法で栽培棚を作成してしまえば効率的な立体栽培が可能になる。
収穫量も二倍どころか三倍四倍に達するだろう。
「とりあえず村の南側の区画から始めようか」
「まずは日光浴を所望するのですぞ」
「いいからやれ」
「ひどいっ! 吾輩これでも二柱の神から加護を与えられたとてもとても貴重な眷属なのですぞ?」
「加護はともかく、このラングドッグに派遣されたのは懲罰なのだということを忘れるなよ?」
「ネコに本気で罰を与えるなんてひどいのですぞ」
「都合のいいときだけネコになるなよ」
とはいっても愛らしいネコの外見なのは確かであり、マンティスの方も本気で虐待する気はないようだった。
「いいから仕事しろ、ほら」
「うにゃ」
ようやく地面に下ろされたジャンは、エルロイに案内された南に広がる畑へと駆け出していく。
ちょこまかと短い脚を動かすさまはやはり愛らしい。
女性陣のジャンを見守る視線は優しかった。
「全く、ネコ遣いが荒いのじゃ……」
ぶうぶう言いながらも、ジャンはまだまだ平均気温の低い畑に暖かな空気を循環させていった。
耕作地周りだけとはいえ、その土地を結界のように暖かな空気の層で包みこんだのはさすがである。
エルロイやベアトリスでもこう鮮やかにはいかない。
「これは……すごいな」
素直にエルロイは感心していた。
ネコらしく無責任で軽薄なジャンの性格を見て、つい侮っていたことを認めないわけにはいかなかった。
「ふふふん、なのですぞ!」
自慢げに胸を反らすジャン。
その仕草をみた女性陣が、ここぞとばかりにジャンをもてはやした。
「すごいわねネコちゃん」
「頑張ったわ~~」
ベアトリスに優しく頭を撫でられると、ジャンはうれしそうに目を細めて地面に寝そべって腹をさらした。
「存分に撫でるがいいですぞ」
「すごい綺麗な毛並みね~~」
「ぬふふ~~なのですぞ~~」
腹をマルグリットに、喉をベアトリスに撫でられていると、コーネリアやユズリハも参戦した。
ガリエラはクールそうに眺めているが、本当は撫でたがっているのがみえみえでチラッチラッと視線を送っているのが微笑ましい。
先日の男性に対する見解といい、ガリエラは寡黙でぶっきらぼうな印象とは裏腹に、かなり純な乙女の一面を持つらしかった。
ちやほやされて自尊心が満たされたのか、ジャンはすっくと立ち上がると鼻をひくつかせる。
「吾輩の加護はこれだけではありませんぞ? なんといっても泉の精霊ヴィヴィアン様の加護も頂いているゆえに」
どや顔でひげがピクピクしているのも可愛らしく、再び女性陣から歓声が上がった。
「それってどういうことができるんだ?」
「単純に水を操ることができますぞ! なんなら地下水脈の流れを変えることだって!」
「なにそれ怖い」
エルロイとベアトリスはお互いに顔を見合わせる。
運命の指針で水脈を発見し、そこから苦労して土を地下から吸い上げ水路を構築してようやく村へ水を引いたのである。
勝手に水のほうから流れを変えてくれるのなら苦労はしない。
「ふふふふふふふふふふ」
「ふふふふふふふふふ」
じりじりとエルロイとベアトリスがにじり寄ってきたので、毛を逆立ててジャンは怯えた。
「にゃにゃにゃ、その笑い、怖いですぞ?」
「次は水脈の変更行ってみようか」
運命の指針の情報によれば、山から流れてくる水脈は大きく三つに別れている。
そのもっとも村に近い水脈から、土質を解析、分解、結合という複雑な工程を経て村まで水を通したのがエルロイである。
エルロイですらその作業には一週間以上を費やしている。
「――――というわけで、残り二つの水脈を村の左右を流れるように変更してくれ」
「無茶ぶりにゃ」
ジャンはあんぐりと口を開けてエルロイを見た。
そしてエルロイの目が少しも笑っていないことに気づき、ジャンはふさふさした尻尾を立ててコーネリアに飛びついた。
「ネコ遣いが荒いなんてものではないですぞ! 吾輩をなんだと思っているですぞ!」
「できるできる、イフリート様第一の眷属なら余裕でできるって」
「無理っていうのはね。嘘つきの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんです」
「何を隠そう、イフリート様の眷属とはいえ吾輩は愛玩されるのは第一ですが、実力のほどはそれほどでもないのですぞ!」
「いばって言うことか」
ゴツン、と鈍い音がしてマンティスがジャンの頭に拳骨を落としていた。
「たたたた、助けてくだされですぞ! 胸の薄い美人の方!」
「誰が胸の薄い方よ!」
「ふぎゃっ!」
思わず正直に感想を口に出してしまったジャンはコーネリアによって思い切り髭を引っ張られた。
悶絶しながらもなおジャンはコーネリアに助けを求める。
「わわ、吾輩なら胸を大きくすることも可能かもしれないのですぞ!」
「おう、その情報はよ」
「目、目が怖いのですぞ!」
「はよ、はよ、ハリー、ハリー!」
「コーネリアお義姉さま、キャラが変わってますが…………」
「おだまり! 格差是正の大義の前には些細なことなのよ!」
そう言ってジャンを両手で抱え上げると、コーネリアは目を剥いてジャンに迫った。
「どうするの? どうしたら胸は大きくなるの?」
その鬼気迫る勢いに、ジャンは内心で余計なことを言った自分を呪った。
「吾輩、水を操れるですから……女性の乳汁に干渉できると思うのですぞ。乳汁の分泌は乳腺の発達を促すですぞ」
「なんでそんな乳のことに詳しいんだよ…………」
ドン引くエルロイにジャンはもう然と食ってかかった。
「乳は雄のロマンなのですぞ!」
「はよ」
「えっ?」
「はよ」
全く感情を映さない平坦な目でコーネリアに見つめられたジャンは、冷や汗を流しながら必死に目を背けた。
「あ、あくまで推測なので失敗しても恨まないで欲しいですぞ!」
「はよ」
もう誰もコーネリアを止められない。
血を分けたマルグリットも、いや、血を分けたマルグリットだからこそコーネリアを止められなかった。
なぜなら厳然とした格差がそこにあるから。
ジャンが魔法を発動させると、コーネリアは胸を押さえて蹲った。
「い…………」
「い?」
「いった――――――いっ!」
さもありなんとエルロイは右手で頭を抑えた。
魔法の力で体内の乳汁を無理やり動かしたら、胸に負担がかかるのは当然だ。
「も、もうやめましょう? コーネリア」
「いやよいやいや! 胸が大きくなるためなら、この程度の痛みくらい耐えて見せるわ!」
歯を食いしばって耐えるコーネリアに、もしこれで効果がなかったら吾輩、殺されるんじゃ……と顔面蒼白になるジャンであった。
幸いなことにその後コーネリアは念願のBカップを手にすることになるのだが、なぜかそれ以上の成長を見ることはなかったという。
「さて、それじゃ水脈を変える作業に行こうか」
「なぜに? 吾輩約束は果たしたですぞ?」
「生憎俺は一切お前と約束した覚えはない」
「さ、詐欺ですぞおおおおおおおお!」
もちろんジャンが自堕落生活を許されることはなく、その後毎日ジャンは水脈移動のために駆り出されることになるのである。
だがさすがに気の毒に思ったのか、ちゃんと労働時間は改善され、女性陣と触れあう時間はキープされたようだった。
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