第62話 辺境伯の使者

「きゃああああああああ! 可愛い!」

「うなななな! 見た目の割にごつい撫で方だが、これはこれでよし!」

 イフリートに命じられてやってきたスナネコのジャンがコーネリアに捕まって手荒に弄ばれている。

 その様子を見つめるエルロイは終止不機嫌そうであった。

「…………あんなののどこがいいんだ……?」

 マルグリットは不貞腐れたエルロイをからかうように背後から忍び寄って抱きついた。

「ふふふ……女の子は可愛い見た目に弱いのよ?」

 拗ねたエルロイも可愛いけどね、とはマルグリットは言わずに、楽しそうに微笑む。

 そんなマルグリットに憤然とユイが割りこんだ。

「猫ちゃんも可愛いですがご主人様はもっと可愛いです!!」

「いや、それはそれで複雑だよ……」

 まだ少年とはいえ男にとって可愛いは決して誉め言葉ではない。

 もっともエルロイの姉で母でメイドを自認するユイにとっては、エルロイが可愛いというのも本心からの言葉であった。

 いつの間にかコーネリアの薄い胸に飽きたらしいジャンは、今度はこのところかつての荒々しい様子がすっかり影を潜めたガリエラの巨乳を堪能していた。が――――

「気にいらんな」

「ト、トルケル様?」

「うなななな! 吾輩の頭をごつい手で掴むにゃやああ!」

 むんずとトルケルに頭を捕まり、だらしなく垂れ下がったジャンは必死に暴れるが、歴戦の武人であるトルケルの拘束から逃れられるはずもない。

 その気になればトルケルの剛力は容易くジャンの頭を粉砕するであろう。

「トルケル様、そろそろ離してやってもよろしいのでは?」

「そうか、お前がそういうなら……」

「トルケル様…………」

 空気を読まずに潤んだ瞳で見つめあい始める二人に、悪戯っぽくコーネリアは声をかけた。

「それで二人の式はいつになるのかしら?」

「ふえっ? 式? 私とトルケル様の式?」

「むむむ……ガリエラを娶るのはやぶさかではないが……いつ戦が始まるかわからない今というのはいささか……」

 呆れたような白い目でエルロイはトルケルを見つめた。

「――――ガリエラの腰に手をまわして、独占欲丸出しの男がなんだって?」

「実質結婚してるようなものですよね……」

「むしろちゃんと結婚しないほうが問題がありますわよ。責任をお取りなさい!」

 ここぞとばかりにコーネリアとマルグリットがからかうと、ガリエラは耳まで真っ赤に染まって照れる。

 それでもそっとそりげなく身体をトルケルに預けているあたりは本人も無意識の行動なのだろう。

 そのラブラブっぷりは、人のことを言えないエルロイたちですら目の毒なのだ。

 おかげで旧レダイグ王国軍に所属していたトルケルの部下たちの間で、結婚する者が急増している。

 ソルレイスの村からトルケルとともにラングドッグの村へ移動してきた者はおよそ三十名ほどだ。

 いずれも小隊規模以上の指揮経験を有している。

 彼らは今後ウロボロスラント軍を編成する際には幹部として活躍することを期待されていた。

 さらにスナネコのジャンとともに、ヘレスからも数人の精霊使いがラングドッグ村へやってきている。

 彼らはラングドッグ村とヘレスの交易についても仲介役を担っていて、相互の安全保障についても交渉する権限を与えられていた。

 その彼らの長がマンティスである。

 まだ二十代になったばかりの青年だが、ヘレスの長アーギルの長男で将来を嘱望されて仲間たちの信頼も厚い。

 長身だが痩躯で、褐色肌に青い目と村の適齢期の娘たちの視線を釘付けにもしている。

「…………時代はやはり細マッチョなのか……」

「まだ言うか!!」

 真剣に悩み始めるロビンがユズリハに肘鉄を食らわされるのも、もはやラングドッグの日常の光景となった。

 この二人、最近になってマルグリットの許可を得て正式に付き合い始めたのだというから驚きである。

 まあ、エルロイとしては兄貴分のロビンが幸せを手に入れるのは喜ばしいのだが、ユズリハも趣味が悪いと思う気持ちもないではない。

 まあ、思ったより姉さん女房気質のユズリハの母性本能をくすぐる何かがロビンにあったということか。

「…………マンティス様、素敵!」

「サーシャ! お前にはまだ早い! というか歳が離れすぎてる!」

「ふんだっ、お父さんなんて嫌い!」

「のおおおおおおっ!」

 ひところはエルロイにべったりだったサーシャも、マンティスにご執心のようである。

 少女の成長は少年より遥かに早い。

 エルロイを巡る女の争いに自分が加わるのは不毛だとサーシャが現実的に判断するのは早かった。

 それはそれで寂しいと感じてしまう複雑なエルロイであった。

「ふう……手荒い歓迎だった。吾輩の可愛さが憎い」

「お前は何を言ってるんだ?」

 ひょい、とエルロイに首根っこを掴み上げられジャンは暴れた。

「うにゃっ! イフリート様の家臣筆頭、ジャン様を粗略に扱うなど許されぬ所業ですぞ!」

「そのイフィリートに罰を下されたんだろうがお前は」

「にゅうううう…………」

 イフリートの家臣筆頭の使い魔でありながら、封印されたイフリートを助けようともせず怠惰に流されていたジャンは、エルロイの助けとなるよう命令されている。

 それどころかエルロイはジャンが反抗するようなら罰を与えてよいと言われているのだ。

「…………お仕置きされたいか?」

「それだけは絶対にノウ!!!!!」

 実はエルロイはイフリートからお仕置き用の魔道具を託されている。

 もともと水を怖がる性質のあるスナネコのジャンを、温泉で茹で上げるという人間にとってはご褒美のような魔道具なのだが、ジャンにとってはネコなのに鳥肌が立つほど嫌らしい。

 決して熱くはない温めのお湯のなかで、悶絶して暴れるジャンの姿にエルロイは多いに溜飲を下げたものだ。

「いやいや、吾輩役に立っておるですぞ? ほらっ! 村の水脈も見つけてやったでありますし!」

「まあ、確かにあれは助かったけどな」

 ジャンはイフリートの使い魔ではあるが、同時にイフリートの妻、泉の精霊ヴィヴィアンの加護も受けている。

 ヘレスが砂漠に孤立していながらも生活することが可能だったのは、ヴィヴィアンの加護によって水に困ることがなかったからだ。

 水脈を感知し操る加護を得たジャンは、貴重な水源を何個も見つけてくれていて、そのためラングドッグ村は耕作地を何倍にも広げることが可能となっていた。

 まだまだ人口が足りないのでそれも限界があるのだが、そちらについては既にアテがある。


「――――殿下、物見より知らせが」

「来たか」


 どうやらちょうどアテのほうがこちらへやってきたらしかった。



 北部の諸侯で指導的な立場にあるフーリドマン辺境伯ノリスは正しく瞠目していた。

「…………なんの冗談だこれは?」

 彼は部下の官僚や武人を連れて、今後のエルロイの同行について協議するつもりでラングドッグ村を訪れていたのである。

 ノリスの脳裏には、ヴェストファーレン軍を鎧袖一触に撃破したエルロイの圧倒的な武力がこびりついていた。

 ノルガード王国を取り戻すのはエルロイしかいないと確信するには十分すぎる、まるで神話の世界の英雄のごとき威風であった。

 だが、今ノリスの目の前にある光景はその英雄的威風すら上回るであろう。

 滾々と湧き出る美しくも豊かな水が畑を潤し、その外周にはまるで砦を彷彿とさせるような堅固な外壁が張り巡らされている。

 その総延長は少なくとも十キロ以上に及ぶはずであった。

 さらに監視のものであろう高い櫓がいくつも建てられていて、その櫓には明らかに訓練を施されたとおぼしき兵士が常駐していた。

 さらにノリスたち一行がラングドッグ村へ移動する過程で、一度たりとも魔物の襲撃を受けなかった。

 ――――その答えが目の前にある。

 おそらくはエルロイはラングドッグ村周辺から魔物を駆逐することに成功しただろう。

 そして――――

 前方から十騎ほどの騎兵がノリスたちに迫る。

 一糸乱れぬ見事な統率ぶりであり、彼らが熟練の騎士であることを告げていた。

 エルロイに付き従った部下は数少なかったはずなのに、いったいどんな魔法を使ったというのか。

「フーリドマン辺境伯閣下であらせられるか?」

「いかにも」

「ようこそウロボロスラント公国へ。エルロイ殿下がお待ちです」

 見るからに洗練された見事な敬礼を行った騎士に鷹揚に頷きながらノリスは必死で記憶の糸を手繰っていた。

 これほどの騎士ならばそれなりに名が知られているはず。

 そんな騎士がウロボロスラントにいるなど聞いたことがない。

「――――本当にいったい何が起こっているのだ……」

 トルケルの副将でもあるゲルラッハは、気の毒そうにノリスを一瞥すると踵を返した。



 おかげさまで書籍一巻は好評発売中です。

 爆死せずにすんで心より胸を撫でおろしております。

 みなさま本当にありがとうございます。

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