第60話 凶報

 ノルガード王国の現状は混沌としている。

 まず王都は第四王子ハーミースによって奪還されてたものの、その後発生したダリトスバスの戦いにおいてヴェストファーレン王国に敗北したため戦線が押し戻されてしまった。

 しかも初陣で攻勢に積極的であったハーミースは、敗北に打ちのめされてすっかり守勢に回ってしまっている。

 かろうじて第四王子の勢力圏が保たれているのは、王子妃であるカトレアの手腕によるところが大きかった。

 カトレアの実家であるレオン王国の支援がなければ、この危うい均衡はすぐにも崩されていたことだろう。

 国王と第一王子、第二王子を失い奇襲で主力の王国騎士団を壊滅させられたノルガード王国はこのところ著しく精彩を欠いていた。

 一方、ヴェストファーレン王国のほうも計画の大きな修正を強いられている。

 何より王位継承者を三人も見逃してしまい、王都という見栄えのよい果実を失った今、この戦争を終わらせるビジョンが描けずにいた。

「――――なんたる無様だ!」

 新たな国王、ジョージ三世として即位したジョージはいらいらを紛らわせるために今日もワインを呷っている。

 ダリトスパスの戦いに勝利したとはいえ、それはハーミースの初陣による勇み足のおかげであって、実質的には痛み分けに等しかった。

 やはり所詮で王都を奪還されてしまったこと、北部や西部を制圧するために分割した軍が強か逆撃され損害を増やしたことが上げられる。

 なかでも北部のフーリドマン辺境伯ノリスに受けた大敗北が痛かった。

 ノリスは辺境伯という地位を生かして北部地域の貴族たちと連携し、現在では侮れない独立勢力として割拠している。

 なぜかハーミース第四王子に忠誠を誓ったわけではないようだが、やはりノリスも武人として野心があるということなのか。

 そうであるならばヴェストファーレン王国へ寝返らせることも可能だと思い、何度も条件を打診しているのだが、色よい返事は帰ってこない。

「いったい何がしたいのだ…………!」

 まさかノリスが内心でエルロイを主君として仰いでいるなど想像もつかぬことである。

 ヴェストファーレン王国にも第四王子ハーミースにも組しない理由が、ジョージには全く思いつかなかった。

 現在ノルガード王国内における勢力割合は、ヴェストファーレン王国がほぼ四割を占め、第四王子ハーミースの三割がこれに続く。

 そしてどちらにつくべきか、とハーミース寄りの中立を維持している辺境諸侯の勢力が二割、ノリスが固めた北部諸侯勢力が約一割となる。

 この一割という勢力がどうして馬鹿にならない。

 ヴェウトファーレン王国が手に入れれば五割となり、ハーミースに対して優位に立つことができる。

 優位になれば今は模様眺めの中立勢力もヴェストファーレン王国に鞍替えする可能性が高かった。

 逆にハーミースからすれば四割対四割と、勢力バランスを対等に戻すチャンスであり、守勢から攻勢に転じる切っ掛けにもなる。

 是が非にも支配下に置きたいところであろうに、ジョージにとって幸いなことにノリスにその気はないようであった。

「あるいは…………」

 むしろ積極的にノリスを実力で降伏させるべきか。

 ハーミースが守勢に回っている今なら、北部に転用できる兵力も用意できないわけではない。

 いや、本国からの援軍も視野に入れるべきだ。

 そして早急に北部地域を占領すれば、ノルガード王国で戦略的な優位を築くことができるだろう。

 半ばジョージが決断しかけたそのときであった。

「――――陛下、なにとぞお時間を賜りたく」

「珍しくにがり顔だな。ライブラ」

 国王の側近として辣腕を振るうライブラは、ジョージが相談することのできる数少ない存在である。

 もともとの出自が下級貴族であるため、側近に甘んじてはいるが、何か功績があればいずれは宰相に任じたいほどの男であった。

 肩まで伸ばした長髪が嫌味にならないほどの美貌であり、逆にそれが宮廷の仲間から嫌われる所以でもあるのだろう。

「少々聞き捨てならない噂を耳にしまして」

「噂を? お前が?」

 噂などという曖昧な話をされるとは思っていなかったジョージは軽く眉を顰めた。

 国家の緊急事態に噂などに関わっている余裕はない。そんなことがわからないライブラとも思えなかった。

「たかが噂とはいえ、到底見過ごすことのできぬ話で」

 そう言うとライブラは軽く咳払いをする。

「そもそも最初の話はあの不毛の大地、ウロボロスラントに行商人を派遣して欲しいという要望がとある商会にありましたようで」

「ウロボロスラントだと? あの流刑地に行商人とはどんな冗談だ?」

「そのウロボロスラントへ追放された男がおりましたな。我らがノルガード王国に侵攻する数か月ほど前に。そして運よく襲撃を免れた」

「まさか追放された第五王子エルロイが生きていて行商人の派遣を依頼したとでも?」

「それならばまだ良かったのですが……依頼してきた相手というのがマルグリット王女の護衛であるユズリハという女でして」

「…………なぜマルグリットの護衛がウロボロスラントにいる?」

 自分の野心のために見捨てた姉妹の名を聞いて、ジョージは不意を衝かれて愕然とした。

「それだけではありません。どうやらコーネリア王女の護衛も我が国の傭兵の一部と接触を図った形跡が」

「――――すまん。いったいどういうことだ? 意味がわからん」

「しかも行商人の派遣は不要であると後日連絡があったため、この話は何かの手違いであると考えられていました」

「そうではないと?」

「コーネリア王女の護衛ですが、傭兵仲間から我が国の侵攻計画を伝えられていたそうです」

「傭兵風情にどうして我が国の戦略がわかるっ!」

「詳しくはわからなくとも、傭兵を募集する依頼が急に増えれば邪推するのが連中の性質さが)というものでしょう」

 本気で冗談ではなくなってきた、とジョージはごくりと生唾を飲みこみ居住まいを正した。

「――――それで?」

「私の手の者に探らせたところ、どうやらフーリドマン辺境伯軍に勝利をもたらした魔術師はウロボロスラントのほうからやってきた、と。そして高貴女性を伴ってウロボロスラントへ帰ったとも」

「まさかそれが…………」

「私は両王女殿下である可能性が高いと思っております」

「ウロボロスラントだぞ? 人を寄せ付けぬ不毛の流刑地だ。本気でそこからエルロイ王子がマルグリットとコーネリアを助けたと思うのか?」

 脂汗がジョージの額からにじみ出ていた。

 かつては仲の良い兄妹でも、今や自分は父の仇であり、妹を見捨てた敵なのだから。

「残念ながら目撃の情報は確かなものです。もちろんマルグリット、コーネリア両殿下と確定したわけではありませんが……」

「まだ何かあると?」

「フーリドマン辺境伯から物資と使者がウロボロスラントへと出発しました。これは確かな情報です」

「――――つまりフーリドマン辺境伯がこれまで独立勢力であったわけは……」

「すでに担ぐべき御輿を持っていた。すなわち彼らは第五王子を奉ずるノルガード王国側勢力なのです!」

 ここにきて信じがたい最悪の情報だ、とジョージは神を呪った。

 第五王子はノルガード王国の王位継承権を持つが、それだけではない。

 ヴェストファーレン王国の王位継承権を持つ王女が、ノルガード王国王位継承者と手を組んだ。

 その事実そのものがジョージにとって受け入れがたい凶報であった。

 もはや事態は、ジョージの国王の地位そのものに対する危機となりえた。

「――――兵を集めろ」

「では?」

「何よりも優先して叩くべきはハーミースではない。フーリドマン辺境伯とその背後にいるであろう第五王子――エルロイだ」

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