第59話 復活のイフリート
再びジャンを胸に抱いたユイは満足そうだ。
ことが終わったらいっぺん締めようと決意するエルロイであった。
「……エルロイ様もそんな顔するんですのね」
「セクハラって精神の拷問だと思うんです」
ベアトリスにからかわれたようで、プイ、と悔しそうに顔を背けるエルロイを、ベアトリスはうれしそうに見つめていた。
自分ひとりを残さず、共に戦うことを選択してくれたエルロイに改めて惚れ直したのである。
「…………無粋ですわね」
せっかく感動の余韻に浸っていたかったのに、土中竜にその気はないようだ。
眷属であるサンドワームを大量に呼び寄せ、耳障りな奇声をあげてエルロイとベアトリスへと襲いかかる。
「――――暴食の天蓋」
ベアトリスの詠唱とともに、天空に巨大な漆黒の天蓋が出現した。
気品を感じさせる豪奢な装飾に彩られた天蓋は、まるで自らが覆うべき寝台を探すかのように白い粒子を零し始める。
その粒子は大地に降り注ぐと同時に、サンドワームたちの生命力を吸い上げてたちまち黒く染まっていった。
主に助けを求めるように、サンドワームの口から息絶え絶えの悲鳴をあげるが、絶大な魔法防御力によって守られた土中竜はそもそもなぜサンドワームがばたばたと死んでいくのは理解できないようであった。
「おっと、そっちに行かれちゃ困るんだよ!」
暴れる土中竜が玉座への回廊へ向かわないよう、あえてエルロイは土中竜の視線に身を曝した。
「ギョワアアアアアアアアアアアアアア!」
エルロイに侮られていることを察したものか、土中竜は怒りの咆哮をあげた。
この地を支配するイフリートすら排除した最強者たる自分が、ちっぽけな人間風情に侮られるなど決して許されることではなかった。
「――――うん?」
急激に眩暈と倦怠感を覚えてエルロイは焦った。
必死に結界を張り、慌てて距離を取るが、違和感は消えない。それどころかますます喉が渇き、肌がひび割れていくのを自覚する。
「そうか――――土剋水、水を吸い上げるオリジナルスキルを持っているのか!」
陰陽五行の思想によれば、土は大地から水を吸い上げる力を持つ。泉の精霊が人質になったというのはこのスキルによるものだろう。
そしてイフリートの火の力が制御を失い、土中竜によって水は奪われ続け、この地は不毛の砂漠地帯となった。
「ちょいとまずいな…………」
なんとか結界で浸透を防いでいるものの、かなりの体内の水分を奪われてしまった。
人間の身体は六割以上が水分で構成されていると言われるが、わずか数パーセント失われただけでも眩暈や震えなどの症状が表れ、二十パーセントに達すると死亡する。
症状から考えておよそ五~六パーセントの水分が失われたと思われ、十パーセントを超えるとまともに身体が動かなくなる可能性があった。
錬金で水を錬成しようにも、必要な素材となる水素がこの地は限りなく少ないため難しい。
まさか土中竜にこんなスキルがあるとは予想できなかった。
日頃からユイの影へ逃げこむことができたために、エルロイにも油断があったのだろう。
「――――そこの男、これを飲め」
浅黒い肌をした四十代ほどの男がラクダに似た生き物に乗って現れたのはそのときだった。
見事な体躯で一見しただけで優れた戦士であることが窺える。
「助かります。私の名はエルロイ。あなたは?」
「ヘレスの長でアーギルという。我らが守護神ヴィヴィアン様の神託によりはせ参じた。まさかあの魔竜と戦っているとはな」
「今、仲間がイフリートを目覚めさせるために遺跡に入っています。もうしばらく時間さえ稼げば……」
「なんと! 我らヘレスの民一同、イフリート様の目覚めを願わぬ日は一日たりともありませなんだ! なるほどヴィヴィアン様のご神託も頷ける」
「――――来ます!」
「うむ!」
ただでさえ少ない水を土中竜に吸収され、砂礫が形を維持することができず細かい粒子になって消えていく。
巨大化した土中竜は、地上に全身を曝して砂をまき散らした。
「ただの砂でこの威力かよ!」
無尽蔵といってよい大量の砂が、まるで生き物のようにエルロイとアーギルに襲いかかる。
砂を完全に避けることは不可能だ。
結界の強度をあげてひたすら耐えるしかない。
だが大量の砂に紛れて土中竜の尾や鈎爪が攻撃してくるのが性質が悪かった。
しかも距離を取るとブレスが飛んでくる。
攻撃に転じる余裕がないうえに少しづつ追い詰められていくエルロイたちだったが、土中竜はもう一人の存在を忘れていた。
「私を忘れてもらっちゃ困るわね。――――吸精樹(ドレインウッド)」
土が水を吸い上げるように、木は土から養分を奪い取る。すなわち、土は木と相性が悪い。
「ギョワアアアアアアアアアアア!」
突如走った激痛に土中竜は悶えた。
鉄壁の鱗を貫通したわけではないが、イバラが樹木を締め上げるようにまとわりついた枝がエナジーを吸い上げていく。
経験したことのない攻撃に土中竜は不覚にも恐怖を覚えるが、絶対にそれを認めるわけにはいかなかった。
今度はベアトリスを狙ってブレスを放とうとすると、エルロイが先に巨大な鉄球を土中竜の顎目掛けて撃ちはなった。
「弾丸じゃ効かなくてもこれだけでかければ邪魔にはなるだろ」
大質量によって顎を揺らされ、ベアトリスを狙ったブレスが明後日の方向へと逸れていった。
アギールにもらった水で、すでにエルロイの脱水時症状も回復していた。
「――――無様だなブリトラ」
「グギュッウウウッ!」
結界越しにも伝わる圧倒的な熱量と、肌がビリビリするような威風。
巨大な全長七メートルほどの巨人がイフリートであることは、本能がすぐに理解した。
心なしか土中竜の血色が青ざめたように感じたほどだ。
「ヴィヴィアンは息災か。ヘレスの長よ」
「我が主、ヴィヴィアン様ともどもイフリート様のお目覚めを心待ちにしておりました。きっとヴィヴィアン様も喜ばれましょう!」
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ヴィヴィアンの名を聞いた途端、土中竜の怒りの咆哮が轟き渡る。
「もはや未来永劫ヴィヴィアンが貴様のものとなることはない。なぜなら貴様は今ここで滅びるからだ」
どこまでも冷たくイフリートは言い放つ。
白い光が土中竜を包み、強力な魔法防御力を持つ鱗はしばらく抵抗を続けていたが、その時間は短かった。
ベアトリスの放っていた吸精樹の根が侵入して、弱くなっていた隙間から一気に体内を燃やし尽くし、悲鳴すら上げられぬままに土中竜はあっけない絶命した。
「大義であった人間よ」
「畏れ多いことにて」
「望みがあらばなんなりと申せ」
「叶うならばヘレスの街との同盟と交易を」
「お安い御用にございます! この灼熱の地獄に囚われていたヘレスを救ってくれた恩に報いるためなら、我が身命を賭しましょうぞ!」
イフリートが復活し、適切に熱を制御してくれる。
そして水を奪う土中竜が退治されたことで、泉の精霊の水も時間とともにこの土地を潤していくことだろう。
そして孤立していたヘレスの街へ他国から行き来するのも可能となっていくに違いなかった。
全てこの地をエルロイたちが訪れてくれたからこそである。
今度はヘレスの方がエルロイを助ける番である、とアーギルはごく自然に信じた。
「…………ところで」
「あれ? 吾輩どうしてこんな姿勢で摘ままれているのですぞ?」
「神殿が埋まってしまったのはやむを得ないにしても、貴様今日まで何をしておった?」
「ししし仕方ないのですぞ? 吾輩の小さな身体では埋もれてしまった神殿を掘り起こすことなど不可能なのですぞ?」
「誰かに助けてもらうこともできたであろうが! 口元にナツメヤシの残りかすがついおるわ!」
「うにゃにゃにゃにゃにゃ!」
首筋を摘ままれブランブランと揺らされると、ジャンは観念したようにダラリと脱力した。
その様子がなぜか女性陣の琴線に触れたようで、ユイとベアトリスの目が興奮で輝いている。
エルロイにとっては理解に苦しむ光景であった。
「ヘレスが落ち着いたら百年ほどこの者に仕えるがよい。我が名代として恥となることあらば……わかっているな?」
「う、うな~~~~。吾輩、いつでもご主人様のために生きておりまするぞ~~」
しかしエルロイはジャンの視線が、一瞬ユイとベアトリスの胸に注がれるのを見逃さなかった。
「待ってるわよ?」
「吾輩、可能な限り駆けつけるですぞ!」
「本当に役に立つんですか? これ」
呆れたようにジト目でエルロイがジャンを指さすと、イフリートは苦笑しながら答えた。
「こんなナリに見えても伊達に精霊の使いはしておらぬ。甘くみると痛い目にあうだけの実力は保障しよう」
確かに猫の姿は諜報や潜入に役に立つ。
喜ぶユイとベアトリスに釈然としないものを感じつつも、ヘレスの民とイフリートという心強い味方を得たのだから、旅は大成功というべきであろう。
ヘレスの街で歓待を受けたエルロイたちが帰路に就いたのは翌日のことであった。
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