第58話 スナネコのジャン

「遺跡…………かな?」

「そのようですわね」

「問題はその遺跡があの竜にどんな影響があるのか、ってことなんだが……」

 土中から体をくねらせ激しく砂を撒き散らす竜は、いささかも衰えたようには見えなかった。

 運命の指針が指す以上、ここに何かがあることは間違いないのだが。

「にょわわわわわわわわ!」

 竜が遺跡らしき巨大な岩畳をたたき割ると、その衝撃で吹き飛ぶ破片のなかから一匹のスナネコが飛び出した。

「なんじゃ? 誰じゃ吾輩のおやつの邪魔をするのは??」

 しっとりと艶のある砂色の毛並みにつぶらな瞳が愛らしいスナネコの口元には、しっかりとナツメヤシが咥えられていた。

「あら、ただの猫ではありませんわね」

「くっ…………可愛い……」

 ベアトリスはスナネコが知性のある魔物か、それに近しい存在であると警戒するが、ユイのほうは可愛らしい猫を抱きしめたい欲求を抑えるのに苦労している。

 どうやらユイは猫モフモフ派であるらしい。ちなみにエルロイは犬モフモフ派である。両者の間には決して埋めることのできない溝があることだけは伝えておこう。

「って、魔竜が来ているではないか! 吾輩、これには顔面蒼白! まさに晴天の霹靂である!」

「なんだこの猫?」

「無礼な! 吾輩こそはこのヘレスの守護神イフリート様の腹心、ジャンですぞ! にょわあああああ!」

 竜の鋭く巨大な鈎爪が目の前を通り過ぎたことで、スナネコのジャンは全身の毛を逆立てて飛び上がった。

 どういう偶然か、そのままユイのまろやかな胸にキャッチされるとジャンは歓喜に震えた。

「このふっくらしてかつ適度な弾力と、どこまでも埋もれたくなるような魅惑の柔らかさを兼ね備えた…………まさか、ここが天国(パライソ)?」

「緊張感ないな! この駄猫!」

「ふわっふわで可愛い~~!」

「ユイも正気を取り戻せ! そいつは見た目はともかく中身はオヤジだ!」

「吾輩はオヤジではありませぬぞ~~由緒正しき神々の愛玩動物にしてイフリート様の家臣筆頭! 吾輩の毛並みとつぶらな瞳の前には神々さえ骨抜きにされると謳われておるのですぞ!」

「ああああああ……この手触り、撫でる手が止められません!」

「…………ユイさん、ちょっと私にも触らせて……」

「ベアトリスまでっ!」

「吾輩の毛ざわりは極上の天鵞絨(ビロード)に勝るほど。しかも癒し効果で美肌やお通じまでよくなるおまけつき! 伊達にイフリート様の寵愛を受けていたわけではないのですぞ!」

 何が癒し効果だ! むしろユイの巨乳で癒されてるのは貴様だろう!

 大人げなくエルロイがユイからジャンを引き離そうとしたとき、堪忍袋の緒が切れたのか、土中竜は地上に這い出してその巨大な口を開けた。

「まずい! まずいですぞ! あのブレスを受けたら吾輩塵の一つも残らないですぞ!」

「いっそあのブレスに向かって放り投げてやろうか…………」

「ご主人様! めっ! です!」

 そんなエルロイの葛藤も知らずユイはジャンを抱えたままエルロイを自らの影の中に引きずりこんだ。

「あらあら、私は仲間外れですか」

 そう苦笑しながらもベアトリスはたちまち上空へと退避する。

 ただ浮かぶだけの空中浮揚と違って、ベアトリスの操る飛行魔法はハヤブサのような素早い移動が可能だ。

 土中竜のブレスは砂礫を一瞬にして細かい粒子へと変えただけに終わった。

 あるいはこの砂漠の砂は、この竜のブレスによって形作られたのではないかと思われるほどの破壊力ではあったが。

「うにゃにゃにゃにゃ! これはまさか天佑神助吾輩にあり?」

 ユイの影から戻ってきたジャンは、竜のブレスで大きくえぐれた遺跡を目撃して鼻の穴を大きくして興奮した。それでもユイの胸から片時も腕を離さないのはいかがなものであろう。

「何かありました?」

「神殿の奥深くに封印されているイフリート様の玉座への道が開かれておるのですぞ! あの竜の襲撃で一度は埋もれてしまった道が!」

「まさかとは思うが――この地の精霊力の異常はそのせいか?」

「よくわかったでありますな人間。あの魔竜はヘレスの守護神、泉の精霊ヴィヴィアン様を奪い、その手からヴィヴィアンさまを奪還するために無理をしたイフリート様は一時的に眠りについてしまったのですぞ!」

「その理屈だと、どうしてこんなに暑いのかしら?」

 イフリートがその名のとおり火の精霊であれば、イフリートが眠りにつけば寒くなるものではあるまいか。

「それは人間の早とちりというものですぞ! そもそも精霊力というのは自然界から失われるということはありえないもの。要する制御するものがいなくて好き勝手に暴れているというのが現状。ああ、やんぬるかな!」

「それと玉座の道となんの関係がある?」

「人間にしてはいい質問なのですぞ! イフリート様はもう眠りから覚めてもよいはず! まだ完全体ではなににしろ、少なくともヴィヴィアン様の雫を届ければ必ずや深い眠りから戻られるはずなのですぞ!」

「――――ところが玉座までの道が塞がれてしまって途方に暮れていたということか」

「そのとおりなのですぞ!」

「そのわりにはのんきにナツメヤシ食べてたよな?」

「……もしイフリート様がお目覚めの際にはそれは内緒にして欲しいですぞ!」

「ならとっととユイから離れろ! このスケベオヤジ!」

「あんっ!」

 ユイの胸からジャンが叩き落されると、名残惜しそうにユイが艶っぽい声をあげた。

「ということはイフリートさえ目覚めさせることができれば…………」

 自分の運命の指針が間違っていなかったことを確信してベアトリスは微笑する。

「今回は人質のヴィヴィアン様はおられぬ! 魔竜ごとき猪口才な、ひとひねり、といいたいところなれどまず負けることはないはずですぞ!」

「頼りない断言ありがとう」

 心底嫌そうに眉を顰めてエルロイはユイに告げた。

「そこの猫といっしょにイフリートを目覚めさせてきてくれ。俺はここで少しばかり時間を稼ぐ」

「回廊さえ抜ければ玉座まではそれほどの距離はないですぞ! 吉報をお待ちあれ!」

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