第57話 地中からの襲撃

 ユイの影から外に出るとそこは正しく灼熱の地獄であった。

 体感気温は六十度近くに達するのではないだろうか。

 乾いた熱風にたちまちじわりと汗が噴き出す。なるほど、この砂漠をまともに歩いて渡るのは不可能に近い。

「どうしました?」

 上空を飛んでいたベアトリスが、エルロイとユイが影から出てきたことでゆっくりと地上に降りてきた。

「どうやら精霊力の結界にぶちあたったらしい」

「ユイさんの影にまで影響を及ぼすとは、思ったよりも強力ですわね」

 全く水分を感じさせない砂の海。

 生物の息遣いもなく、ただ熱風が砂を波のように押していく。

 思わずため息の出るような幻想的な光景であった。

 もっとも、この殺人的な暑さを別にすれば、だが。

「それで、ここからヘレスはまだ遠いのか?」

 もうじき夕刻になろうかというのに、一向に弱まらない日差しに視線を送ってベアトリスは答えた。

「陽炎のせいでまだ見えませんが、ヘレスのオアシスはここから十キロ程度の距離でしょう」

 ベアトリスが北を指さしたときだった。

 砂漠の砂がまるで海のように渦を巻き始めたのである。

「――――気をつけてください! サンドワームかもしれません!」

「おっと!」

 砂の中から鋭い触手らしき影が飛び出すのと、エルロイがユイを両手に抱えて後ろに飛びずさったのは同時だtぅた。

「す、すいません……精霊力の狂いのせいで影の探知がうまく働いていないようです」

 謝罪しながらもユイはまんざらでもなさそうにエルロイの胸に顔を埋めていた。

 その様子を見ていたベアトリスの美しい眉が吊り上がる。

「もうここに置いていきません? その駄メイド」

「誰が駄メイドですかっ!」

 顔を真っ赤にして怒ったユイは汚名返上とばかりにエルロイの腕から飛び降りて攻撃を放った。

「影乱舞(シャドウダンシング)!」

 不規則に蠢く何十条もの影が地中の怪物を追うようにして突き刺さる。

 サンドワームならそれだけでオーバーキルであったはずだ。サンドワームなら。

「ギシャアアアアアアアアアアア!!!」

「なっ? まさか、地中竜(アンダードラゴン)?」

 ユイの影を鱗に突き刺され、怒りも露わに出現したのは、サンドワームなどより遥かに巨大な竜の姿であった。

 全長にして五十メートルはあろうか。

 全身を鎧う暗褐色の鱗が錆びた異臭を放っている。

 初めて見る竜の威容にエルロイはしばし口を開けて見蕩れた。

「いいね。竜、実にいい」

 この世界に存在する魔物のなかでも、とりわけ竜はエルロイの少年心をくすぐるモンスターである。

 魔物の頂点に君臨する竜にテンションが上がったエルロイは、笑顔を隠そうともせず竜へと駆け出した。

「点火(イグニッション)、全力射撃(フルオート)!」

 まずは小手調べに点火を連射する。

 しかし竜の鱗は、並みの攻撃魔法を凌駕する点火の弾丸をいともたやすく弾き返した。

「さすがは竜だな!」

「エルロイ様! 地中竜はこの砂漠の主のようなもの! 気をつけてください!」

 ベアトリスは飛行魔法を使用できるからこそ難を逃れているが、ヘレスの周辺で活動するサンドワームと地中竜は牢獄の役割を果たしていた。

 かつて幾度となくこの魔物の檻を突破しようとして、ヘレスの戦士たちが飲みこまれていったことをベアトリスは知っていた。

 あれは魔物の類のレベルではない。疑似的な精霊や神に匹敵する強大無比な何かなのであった。

 ――――だからこそ

「荒野の魔女の名が伊達ではないことをお見せしましょう!」

 一国が総力を挙げ、その命を狙ったにもかかわらず数百年を生き延びてきた伝説の魔女である。

 過酷な環境、獰猛な魔物たち、それらが束になっても殺すことが叶わなかったのがベアトリスという存在なのだ。

 竜が相手だからといって獲物となる気は毛頭なかった。

「運命の指針(フェイトガイドライン)よ! あの竜の弱点を導きなさい!」

「そんな使い方あり??」

 目的物を探す宝具だとは聞いていたが、まさかそんな使い方があったとは!

 スペンサー王国が国家を挙げて捜索するのも無理はない。むしろ本当によくぞベアトリスが無事であったと感心するエルロイである。

「北? 西ではなくて?」

 針が指した方向は北。

 ヘレスのオアシスがある西の方角でないことにベアトリスは首をひねる。だが、運命の指針が間違えることはありえない。

「北に何かあるのか?」

「わかりません。ですがきっとあの竜にとって弱みとなりうるものが!」

「なら、やることはひとつだ!」

 エルロイは竜の硬い魔法防御に、エルダーサイクロプスのような搦め手が効かないことを悟って手法を変えた。

「不協な衝撃波(ディソナンスウェイブ)」

 いかに竜が強固な結界と鱗に守られていようと、視覚や聴覚が無効とされているわけではない。

 ある種の音は人間以外のほかの生物にとっても不快な音として認識されるものだが、エルロイのその魔法は不快な音を衝撃波としてぶつけるものだ。

 肉体にはダメージがなくとも、これには竜もかなり参ったようで、身体を悶えるようにくねらせ、八つ当たりのように尾を振り回し始めた。

 追い討ちをかけるようにユイとベアトリスが影と岩塊の質量弾をぶつけていくと、ダメージはほとんどないながら地中竜は北の方角へと逃げ始めた。

 防御力ではほとんど無敵の地中竜も、影をうまく使うエルロイとユイ、空中のベアトリスを捕捉するのは困難と判断したのだ。

 竜が向かった北には、陥没した岩畳と砂礫が広がっていた。

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