第50話 前世の記憶

 その夜エルロイたちは、運命の指針が指し示す新しい村の場所まであと少しの距離にいた。

 野営の準備が終わると、いつのまにかトルケルとガリエラの姿が消えている。

 初々しいのはいいが、あまり爛れた空気を漂わせられるとこちらも何か変な気分にさせられてしまう。

 というか見ていてむず痒い。トルケルがいい年をしたおっさんなので、照れ甘甘さがなんともいえずもどかしいのだ。

 ガリエラも気風のいい女戦士だったのが、恋に恋する女子高生のような恥じらいを見せるので、もう突っ込むこともできず視線を外すしかないのであった。

 なぜか嬉々として見物するベアトリスの姿も消えているのはご愛敬というべきか。

 いや、覗きは犯罪だと止めるべきなのだろうか。

 誰よりも年長であるはずのベアトリスだが、好奇心が人一倍強くどういうわけか一番年下のように思えるから不思議だ。

 人間年を経ると逆に心は子供に近づいていくというから、ベアトリスが子供っぽいのもその理屈からするとおかしくはないのか?

「痛っ!」

 どこからともなく飛んできた石がエルロイの後頭部を直撃した。

 誰が、とは聞く意味もあるまい。女の勘は時として魔法すら超えるのだ。

「ご主人様」

 後頭部を押さえて悶絶するエルロイに後ろから抱きついたユイが、ふーっと甘い息を吹きかける。

 母親が子供をあやすような暖かな感触に、エルロイは肩をすくめて苦笑した。

 まだ幼く孤独を感じていた日の追憶が蘇ったのである。

「ありがとう、ユイ」

「いいえ、私のご主人様ですもの」

 久しぶりの二人きりの時間だった。

 思えばずっと二人きりの時間がこれほどなくなるのは、エルロイがユイと出会って以来初めてのことかもしれなかった。

 背後からユイの柔らかい頬がエルロイの頬へと摺り寄せられ、蘭のような重く艶めいた香りがエルロイの鼻孔をくすぐる。

「もう悪夢は見ませんか?」

「ああ、最近……ここ数年ほどは見た覚えがないな」

 ――まだユイと出会ったばかりの子供だったころ、エルロイはひとつの悪夢に悩まされていた。

 暗い部屋の一室で、いっしょに閉じこめられた女性とともに、自分によく似た男に殺される夢である。

 その殺される瞬間の刃が腹を突きぬける感触と、女性の魂消るような悲鳴があまりにも生々しくて、気づかぬうちに自分でも悲鳴をあげながら目が覚める。

 前世の記憶があってもあのときはユイにすがりついて肌のぬくもりを感じないと再び眠ることもできなかった。

 いまとなっては黒歴史以外の何物でもないな、とエルロイは思う。

 いくつになっても、男というのは気になる女の前では見栄を張りたい生き物だから。

「考えたことはありませんか?」

「うん?」

「あの夢は前世の最後に関わるものではないか、と」

「…………そう、かもな」

 かつて宮司として生きてきた記憶はあるが、ところどころ記憶が断片的であるのも確かであった。

 もっともおかしいのは、どうして自分が死んだのか一向に思い出せないということだ。

 あまり思い出したくなるような死にざまだったのだろうか。

 嫌な記憶を封印するというのは、幼年期に起こりやすい現象だが、いい歳をしたおじさんがそうなったとするなら、よほどやばい記憶に違いない。

「――――今も、思い出せない……ですか?」

「ああ…………無理に思い出そうとも思わないが」

 エルロイの返事はどうやらユイの望む答えではなかったようで、軽く困ったように微笑むだけだった。

「もし…………」

 そう言いかけてユイは止まる。

 言い出したいのに言い出せない、そんな雰囲気をエルロイは感じたが、同時に感じるものがあった。

「ギャオオオオオオッ!」

 遠い向こうから明らかに殺気だった異形の咆哮が響いたのである。

 

 聞こえた雄叫びはごく小さかったが、さすがに歴戦のトルケルとガリエラも聞き逃さなかったらしい。

 二人が慌てて茂みの向こうから姿を現すが、ガリエラの服の胸元が乱れているのはいささか目の毒だった。

 というかこのところ隙あらばヤってるなこの二人。

「――――これは村の方向、ですな?」

 なんとか場を切り替えようとするトルケルにエルロイは乗ることにした。

「夜遅く訪問するのはどうかと思ったが、逆効果だったかもな」

 明日の朝を待ってゆっくりと訪問しようとしていたのだが、村に何か不測の事態が発生したのはほぼ間違いない。

 ここまで来てせっかくの領民がいなくなってしまうのは許容できることではなかった。

「行くぞ?」

「はい」

 真っ先にエルロイとユイが駆け出す。そのあとをトルケルとガリエラ、さらに空を縫うようにしてベアトリスが追った。

 闇夜であるにも関わらず、まるで昼のように速度を落とすことなく梟のように加速するエルロイとユイに、さすがのトルケルとガリエラもついていくことができなかった。

「俺もまだまだ修行が足りん」

「いや、この場合は殿下がすごすぎるのよ」

「だが、それは臣下としては言い訳にならん!」

 必死に追いすがろうとするトルケルが、なんともいい男ぶりと見えてしまうのはガリエラの恋する乙女の埒もないところであろう。

「――――エルロイ様、気をつけてください。この潮の香には覚えがあります」

「知っているのかベアトリス?」

 上空を飛んでいるベアトリスぼ顔色を窺うことはできないが、その声が相手が尋常ならざるものであることを告げていた。

「場合によっては手に余るかも――――深き海に住まう者どもが、もしも本気で村を襲っているのなら……」

 とうの昔に村は全滅してしまっているだろう。

 かつてベアトリスは、彼らと本格的な戦闘することを諦め、早々に撤退したことがあった。

 彼らは基本的に縄張りに干渉されない限り、外界へと姿を現すのは稀である。

 いったい何をしたのか知らないが、村の人間が彼らの縄張りを荒らしたのだとすれば、もはや村が存続している可能性は限りなく低いと言わざるを得ない。

「今、騒ぎが起きている以上望みはある」

 これが何日も前であればともかく、騒ぎになるにはそれなりの理由があるだろう。

 戦っているのか逃げているのか、声が近づいてきているように感じるあたり、逃亡者がいるということだろうか。

 

「ギャッギャッギャッ!」


 明らかに接近した異形の声にエルロイは眉を顰めて気を引き締めた。


「――――なんだか厄介なバケモノがいるじゃないか」

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